色々なステレオタイプの話
キャラクターの基本形に、ステレオタイプと言う物がある。
ストックキャラクターとかいう事もあるが、この記事での定義的には「お約束のキャラクター」と言う事で話を進める。
で、そのステレオタイプ、人を観察して類型化した物で、言ってしまえば「アルアル」な存在だ。
だが、アルアルなのにファンタジーとリアルの2種類が存在する。
では、それらはどう違い、どちらが人気なのだろうか?
そもそも、どちらかの方が人気になりやすいなんて事があるのだろうか?
ファンタジーなステレオタイプ
ファンタジーなステレオタイプとは、フィクションを交えたキャラクター類型の結果パターン化された存在だ。
なので、現実には存在しえないステレオタイプが多数存在する。
例えば、種族系統だけ見ても、エルフ、ドワーフ、ホビット、オーク、等のファンタジー種族は現実には存在しない。
だが、ステレオタイプとして機能している。
これには、宇宙人やロボット等のSFの住人も含まれる。
その中で、エルフだけを見ても、そこには皆がイメージするエルフ像がある。
存在しないのに、共通のイメージが機能しているわけだ。
リアルなステレオタイプ
リアルなステレオタイプは、現実的に考えたり、現実にある事を前提とした、一定のリアリティを追求するタイプのステレオタイプとなる。
ファンタジーでは現実に存在しない要素をふんだんに使えたのに対して、リアルではリアリティレベルを下げる要素は可能な限り排除される。
すると、登場するステレオタイプを見て人が感じるのは、現実にいる誰かに似ていると言う感覚だ。
これは、身近なキャラクターや舞台を扱った作品で、現実と地続きに作品の世界があると錯覚させる様なパワーを秘める事になる。
で、リアルを決めるには更に軸が存在し、そちらを意識する事でよりリアルか、ファンタジーかが決まってくる要素がある。
それが、都合の良さだ。
都合が良いステレオタイプ
ステレオタイプの類型が持つ、欲しい要素だけを抜き出した簡易なステレオタイプキャラクターは、都合の悪いセットを切り捨てて描く事が多い。
すると、仮に現実的で、リアルなステレオタイプであっても、それは都合が良いファンタジーなキャラクターに見える。
都合が悪い事も含めたステレオタイプ
都合が良すぎる事は、リアリティがある設定だとしてもファンタジーに感じられる。
それは、リアルではパズルのピースがハマるが如く完璧な物の方が少なく、必ず歪さが存在するからだ。
欠点がある方が、リアルに感じられると言うわけだ。
で、それらを表にすると、例えばこうなる。

いずれもステレオタイプと言う枠の中で見た時、表のどの位置に分布するキャラクターが人気になりやすいだろうか?
基本的に人が好むのは、どこまでも都合が良い存在
SFでも何でもリアリティ警察がいて、リアル寄りな方が良いと思う人もいるかもしれない。
物語にも、キャラクターのディテールにもリアリティは必須だ。
だが、現実を見て見ると、人が好むのはリアルよりも遥かに、ファンタジーと言える。
都合の良い要素の集合体である方が、受け入れられるのは間違いない。
都合の良さの中に、個性が見える事で好きになる。
その個性さえも、見る側にとって都合が良い方が良い。
しかし、キャラクターを構成する際、欠点があった方が面白くなるのがセオリーだ。
ここで、矛盾すると感じる人もいるだろう。
だが、この都合の良い事と、欠点を抱えている事は、実は矛盾しない。
要は、見る人にとって害の少ない欠点であれば、それはキャラクターの人間的には欠点になるが、キャラクター的にはマイナスに働かないと言う事が可能なわけだ。
無能や自己中は、他人に迷惑をかけたり、道徳的や倫理的にラインを超えるから都合が悪くなる。
しかし、人に迷惑をかけなければ何かが出来ないだけであり、道徳的や倫理的にラインを超えなければ、その人の事を本当に嫌いになると言う事は、かなり減る。
どこまでも都合が良い要素だけで、裏表があり奥深いステレオタイプなキャラクターは構築可能なのだ。
都合が悪いを都合が良いに塗り替える成長をすると、かなり強い
リアルで都合が悪い部分が含まれるキャラクターは、最初、あまり好かれない。
身近だし、魅力的で無い要素も多分に含んだ、見ていて辛いキャラクターの場合も少なくないからだ。
しかし、このタイプのキャラクターは上手に作ると共感度が異様に高くなる。
時代や、世代を投影した「私達の代弁者」としてさえ、時に機能する。
そのキャラクターが、成長したり、都合が悪かった要素を変化させると、大きな支持を得る事が出来る。
ある種の自己嫌悪的な距離の取り方があったキャラクターが、その問題を解決したのなら、応援出来るキャラクターであれば、それは見る者にとって希望でありヒーローと言える。
ただし、そんなキャラクターを作り、成長を描くのは、かなり大変だ。
時代を読み、誰かの代弁者としてキャラクターを顕現させる必要があり、その感覚が分かって、代弁させたい叫びや主張が作者に無ければ、そもそもキャラクターを形成する事が難しい。
でも、そう言う物を抱えているなら、その想いや、苦しみには、大きな価値が眠っているかもしれない。
面白現象、「○○好きは、ガチ」
キャラクターカタログ的な様相を持つ作品の中には、ステレオタイプで言うと「リアル」寄りのステレオタイプキャラクターが登場する事がある。
そんな時に起きるのが「○○好きは、ガチ」と言う現象だ。
例えば、プリンセスコネクトと言う作品のミソギと言うキャラクターがいる。
9歳の悪戯好きな少女で、そのキャラクター造形から、このキャラを好きな奴は、やばい側のロリコンとされる風潮がある。
なので「ミソギ好きは、ガチ」みたいな使い方をされる。
「リアル」寄りで、犯罪臭を感じる人が多いと言う事だ。
プリンセスコネクトには、他にもキョウカと言うキャラクターがいる。
8歳の、主人公を変態不審者さんと呼びながらも慕う少女で、ガチャが出れば回る人気キャラクターだ。
設定だけ見ると、こっちの方がヤバイ筈なのだが、キャラクターを知っている人からすると「ファンタジー」寄りなキャラクター造形によって、「まあ、現実に存在しない、ファンタジーロリだからセーフだろう」と言う、団栗の背比べが発生するわけである。
ステレオタイプ的に、キャラクターが「リアル」寄りだと、対象キャラクターを推す事に、場合によっては問題が発生する時、この様な現象が起きるわけだ。
今回紹介した例は、ロリキャラと言うステレオタイプの話だったが、これはショタ、ケモナーやモンスター娘界隈だって起きうるし、別界隈でも十分起きる可能性がある。
現実にいると想像できる様な、ある意味で精度の良いディテールでキャラクターを作ってしまうと、物によっては変態性や犯罪性を推す人に感じさせてしまうのだ。
終わりに
ステレオタイプについての話でした。
ステレオタイプと一口に言っても、実は色々な種類があります。
フィクションの中でパターン化されたステレオタイプを現実に求めて生きるのは辛い事しかないですし、リアルの中でパターン化されたステレオタイプをフィクションに求めても、やって見ると分かりますが魅力が低いリアルなだけの作品になり、共感出来る人は大きく減ってしまう事もあります。
リアリティは必要ですが、リアルである必要は無いし、リアリティを求めて制御の出来ない不都合を入れるよりは、リアリティをアップさせる都合の悪ささえも都合良い設定で固めた方が物語は面白くしやすいです。
リアリティは、面白さや魅力の下支えに必須な物で、下支えにならずに邪魔になるなら、時にはリアルでない方が良い事もあります。
ビキニアーマー問題もそうですが、その登場で作品の魅力が下がるなら出さなければいいし、魅力が上がるなら理由を付けてでも出せば良いのです。
ステレオタイプの話をしながら、またリアルとかリアリティの話となりましたが、これらの要素は結構大事なので、意識した事が無い人は見返してみると発見があるかも知れません。
結構、リアリティの味付けでワンパターンな都合が悪い要素を入れて、それで苦しんでいる人とか、どこまでもリアルにし過ぎて物語自体が大人しくなってしまう人とか、よく見ます。
どこから先が、誰にとって都合が良くて、誰にとって都合が悪いか、そのリアリティは物語の面白さをアップさせているのか、自己満足なのか。
そう言った要素を見つめ直す切欠になれば幸いです。