物語を通して教える現実
教訓とは「教え、諭す」「戒める」事を指す。
例えば「人には優しくしなさい」とか「嘘は悪い事だよ」みたいな事だ。
これを物語を通して伝えるには、ちょっとしたコツがいる。
「こんな事をすると、こんな目に遭う」と言う因果応報をロジカルに描いたり、「こんな状態は、こんな事の前触れかもしれない」と希望や絶望の状況に隠された、納得出来る裏の意味を描いたり。
現実で起きうる法則と言うパターンを、物語のストーリーラインに乗せ、キャラクターを通して、シンプルに分かりやすく描く事が出来れば、そこには教訓が乗る。
要は、作品が伝えたいメッセージなのだが、今回は、それを昔話を通して簡単に見ていきたい。
題材は「うさぎとかめ」だ。
うさぎとかめ
<あらすじ>
ある時、ウサギに歩みの鈍さをバカにされたカメは、山のふもとまでかけっこの勝負を挑んだ。
かけっこを始めると予想通りウサギはどんどん先へ行き、とうとうカメが見えなくなってしまった。
ウサギは少し疲れていたので、ウサギは少しカメを待とうと余裕綽々で居眠りを始めた。
その間にカメは着実に進み、ウサギが目を覚ましたとき見たものは、山のふもとのゴールで大喜びをするカメの姿であった。
Wikipedia引用
教訓
ウサギ:油断大敵。過信から相手を侮っていると、思わぬ所で足元をすくわれる。
カメ:彼を知り己を知れば百戦殆からず。敵と自分をしっかり理解して戦えば、負けることは無い。
解説
うさぎとかめは、モチーフの力も使って非常に分かりやすく教訓を描いている。
イメージとしての機敏な兎と、愚鈍な亀の対比から入り、その2匹が足の速さで勝負をする事となる。
兎は亀に足の速さでは自分の方が優れていると信じていて、その点では認識も正しい。
だが、亀が挑んだのは、長距離走であった。
これが短距離走なら、兎が負ける様な事は無かっただろうが、長距離走だった事で予想がひっくり返る。
兎は短距離走型だった上に、亀を侮っていた事で、事もあろうに居眠りをして休んでしまった。
亀は、その隙を突いて、長距離を遅いなりに走り続け、兎の脚質と過信を利用して勝利したわけだ。
おごりから自滅した兎として見るが、亀の作戦に足元をすくわれる兎として見るか
教訓として、兎側の油断大敵が強く、亀側の教訓は「彼を知り己を知れば百戦殆からず」であり、「継続は力なり」は、あえて言えば程度で、教訓としては結構ガバガバだ。
亀は、仮に勝利を確信していたのであれば、兎が舐めプ(相手の実力を下に見てなめたプレイ姿勢)を確実にするであろう、ある種の確信めいた信頼があったからこそ成功した作戦であり、兎が居眠りをするなんて事が無ければ普通に負けていたし、一回の勝負に勝った後も亀が兎より足が遅い事実は変わらない。
なので「継続は力なり」を伝える為に、うさぎとかめを持ち出すと、言いたい事は分かるが、聞いた方の察しが良いと同時に「もやっ」が残る。
「彼を知り己を知れば百戦殆からず」は、どちら目線で描くかによるが、兎目線で描く場合は「考えすぎじゃない?」と思えなくもない。
一方で、「油断大敵」と言う教訓は筋が通っていて、万人が納得出来る。
油断大敵を描くには?
油断大敵、それに類する教訓を描くには、その状況を構成する役割を登場人物に持たせる必要がある。
油断大敵の場合は、
- 油断する人
- 油断させる人
- 油断が見える二人の関係
- 油断が絡む、二人が対決する状況
- 油断する人が負けて納得の状況
- 油断させた人が勝って納得の状況
等々を準備すると、油断大敵が描ける。
油断大敵とは、油断が原因で足元をすくわれる人を描き、だから油断は良くないと出来れば教訓を伝えられる。
それを伝えるには、油断する人とされる人が必要なのは分かるだろう。
物語で描くなら、その二人が油断を抱えた関係である事を描く必要がある事も分かる。
そして、油断が絡んだ何らかの対決をする事も、必要だと理解出来る。
油断によって足元がすくわれ、油断していた方が負ける事で教訓を見る者は感じ取れる。
その際、そこに納得性が必要で、その根拠として油断があり、だからこそ見る人の心に刺さる。
教訓が先行する作話なら、教訓がどんな意味合いで、どんな状態を表し、その変化を描くには、どんな変化が劇中で必要で、その為には何が必要かを考えれば、どんな教訓でも描く事が出来る。
その際、うさぎとかめの様に、モチーフの持つイメージを利用する事で、分かりやすさを増し、理解を助ける事も出来る。
終わりに
不良少年とオタク少年が喧嘩で勝負とか、モチーフの持つイメージの力は理解を助けるのに非常に役立つ。
教訓から作話するつもりなら、意識した方が良いだろう。
一部の層に向けるなら、もっと尖ったモチーフでも面白い話は作れるだろう。
例えば、Fateシリーズのファンに向けた二次創作なら、ギルガメッシュと士郎をモチーフに油断大敵を描けば、ファンはスンナリとモチーフの持つイメージから受け入れ理解する事が出来る、と言った具合だ。
今回は、この辺で。