主人公に行動させないで、物語を面白くするには?
物語とは、主人公が問題を解決する行動を描く物だ。
だが、行動力のあるアクティブな主人公を描きたい人ばかりでは無いだろう。
そこで今回は、行動力が高くない主人公が登場する物語を描く方法をいくつか紹介する。
チーム
チームは、非常に有効な手段だ。
チームと言う主体を主人公とする事で、登場人物としてのメインとなる主人公が行動せずとも、仲間の行動によって物語が力強く進んでいく。
主人公は、仲間の行動を見守り、ここぞと言う時に少しだけ動けば良い。
その、ここぞと言う時が、主人公にしか出来ない事であり、タイミングであり、メインテーマの問題解決に繋がっているならば、それで主人公は主人公のままでいられる。
状況による強制力
主人公が絶望して諦めない限り、どんなに消極的でも、危機的状況では行動をせざるを得なくなる。
行動力が限りなく無くても、チェーンソーを持った怪人に追われれば、逃げずにおれない。
圧倒的に共感出来る悩み
主人公がウジウジとした性格で行動を起こさないとしても、そのウジウジしているあらゆる状況に、物凄い共感が出来れば、行動を起こすまでに長めの猶予を見る者に与えられる。
応援出来るキャラクターで、悩みに共感出来て、状況的にも理解出来て、その上でウジウジと悩んでいるなら、そこには見ているイライラと同時に、どうにか立ち向かって欲しい、立ち直って欲しいと言う、見守り状態が発生する。
注意して貰いたいのは、応援出来るキャラクターとは、デザインだけの話ではない事だ。
どんなに魅力的でも、人が応援出来るのは、そのキャラクターの事を、見る人が知った後である。
設定やビジュアルを示されても、どんなに素晴らしくても、人がキャラクターを本当の意味で好きになるのは、動いているのを読んで、見て、聞いて、受け取った人の心が動いてからだ。
それを示せず、素晴らしいデザインがあるからと安心してウジウジと悩ませると、見ている人はキャラクターに対してウジウジしていて見ていて不快な人物と言う印象を持ってしまう。
大好きになったキャラクターが悩むから応援出来るのであって、そこの順番を間違えてはいけない。
そして、人が好きになるキャラクターとは、圧倒的に行動力があるキャラクターである。
いや、行動力を、既に示したキャラクターと言った方が良いだろう。
行動しない為に、最初に共感出来る行動を示すのは、とても有効と言える。
内面の物語
主人公の精神的な表現に重きを置く事で、物理的に行動せず、物語を進める事が出来る。
変化する為に活発に動くのは、主人公の心の中と言う事だ。
問題は、主人公の心の問題の解決の為に、心の中だけで行動して解決を試みるのは、物語として面白くするのに工夫が必要となる事だ。
一人の人間の心の悩みを、心の中だけで解決できるなら、それは小さな悩みにほかならず、相応の工夫がないと面白く無い。
周囲の人の助けで悩みを解決するなら、主人公は反応しているだけで心の中でも行動が十分に出来ておらず、それは主人公ではなく、心の治療を受けている患者と同じである。
内面を多く描く物語なら、物理的な行動以上に内面描写に時間を割く事になる。
だが、結局は自主的な実行動による問題解決行動は、どこかで必要となり、主人公でありたいなら物理的にも、何らかの行動を起こさざるを得ないのが基本となる。
主人公を演じる狂言回し
狂言回しは、状況を語るが、問題解決をするとは限らない。
自分では一切問題解決を行わないでも、別の登場人物が問題解決を行う姿を見て、追って行ければ、物語の定義として、もはや主人公では無いが、一見した主人公を演じる事は出来る。
主人公と主役と狂言回しの定義など、見ている人の大半は、気にもしていない。
主人公と言う役割を他のキャラクターが担っているのに、主人公っぽく語る狂言回しがいれば、どちらがメインなのかと言う戸惑いこそ生まれるかもしれないが、それでも、行動しない主人公っぽい存在を生み出す事自体は出来る。
これは、当事者でない出来事を語る意味では「感想」に近い。
こんな面白い出来事が、コンテンツが、ありました。
と言う感じだ。
問題を解決しない
劇中の問題を解決しないのであれば、行動の必要は無い。
待っているのは、バッドエンドか、不条理とか理不尽エンドか、超ご都合主義エンドとなるが、主人公が問題に、あるいは問題以外の何かに翻弄されたり、関わらずに見守る事で物語を描く事が出来ないことは無い。
言ってしまえば、完全な救いの無い事件の被害者視点とか、テレビや動画配信を見ている人を見ているとか、面白いと感じたがオチが無い夢を他人に聞かせる様な感じだ。
いずれにしても、受け取り手を選ぶ事になるだろう。
圧倒的なディティールの表現
神は細部に宿る。
絵が、文章が、演技が神がかっていると、物語としての面白さが無くても、コンテンツとしては大きな力を持たす事が出来る。
あまりにも長時間では退屈に転じるが、ある程度までであれば、主人公が行動せずとも作品世界の提示によって見る者の心を鷲掴みに出来る。
圧倒的な大自然の高画質な映像は、心を奪われる物があるだろう。
だが、その映像だけを、超長時間眺めていると、どこかで飽きてしまう。
神絵師のイラストや漫画は、見ているだけで幸せな気分にさせてくれる。
しかし、絵に物語性が無いと、やはり、どこかで飽きてしまう。
人は、行動や反応に繋がる情報に飢えているから、それが無いと退屈に襲われるからだ。
でも、確かに圧倒的なディティールを感じさせる表現は、行動を描かずとも、人を強く刺激してくれる事は、間違いない。
これだけで長編は描けないが、短編やアート系であれば十分描く事が出来るだろう。
アート系
アート系の作品は、個人的には好きな物もある。
だが、アート系を逃げ道に使う作品は、総じて好きではない。
アート系とは、面白く無い物語への免罪符ではなく、物語の構造と表現の、表現に多くを振り切った結果、特殊な構造を持つに至った作品に対して贈られるべき称号の様な物だ。
その定義で言うと、ミュージカルはアート系の作品と言える。
古典的な舞台芸術の多くは、アート系に寄った作りの物も多い。
決まった形式の表現は、そういう型として一定層に受け入れられ、特殊な上品さや贅沢さと言った価値を見る人に提供する。
ミュージカルの歌って踊るシーンは、物語としては一歩も前に進まずとも、エンターテインメントとして面白い作品は無数に存在する。
実験的な作品でも、表現全振りで構造が滅茶苦茶でも、コンセプトが面白ければ見るに堪える作品はあるだろう。
終わりに
あえて、物語の必須要素である行動を、主人公に対して封じたり抑制しながらも面白い物語を描く為の方法を解説した。
結論としては、一切行動しない場合、主人公っぽく描いても主人公でなくなるか、バッドエンドとなってしまう。
行動を抑制した描き方なら、主人公以外に行動させるか、主人公の行動以外に見所を用意して行動を起こすまでの猶予時間を見ている人に与えて貰う等の工夫が必要と言う事だ。
面白い物語は、主人公による葛藤を伴う問題を解決する為の一貫した行動を描く必要がある。
このルールに逆らうには、面白さを捨てるか、面白さを別の所に置くか、かなり高いクリエイターやアーティストとしての技術力が必要となると言う話だった。
はじめて物語を作る人とか、初心者の中には、カッコいいイメージや、謎のこだわりから、今回紹介した手法を使いたいと言う人が、結構いる。
実際に相談を受ける事も非常に多いので、これは間違い無い。
その際、こだわりを捨てて主人公の行動を中心に描くと、驚くぐらい筆が進む様になる人は、結構いる。
逆に、今回のいずれかの、よりにもよって難易度が高い手法にこだわってしまい、処女作制作時から重いスランプに陥って、まったく抜け出せない人も結構いる。
行動しない主人公を描くこだわりが、どこにあるのかは人それぞれだ。
だが、問題解決をするには、行動するしかない。
もし、主人公に自分や他の誰かを重ねて、行動できない人物を救う為に行動しない主人公を描こうとしているなら、考え方を変えて欲しい。
過去の自分を救おうとしているなら、創作と言う行動に移っている時点で、既に一定の行動を取っている筈だ。
行動しない誰かなら、その人は行動しないから救われない状況にあるかもしれないので、逆に、どう行動すれば救われるかを考える方が賢明だ。
その事に気付け、腑に落ちたなら、後は行動する主人公を描けば、それで物語は勢いよく動き出す。
行動しない過去の誰かをそのまま救おうとせず、そんな人がどうやって行動するに至ったのかが重要と考えて、行動する様になった主人公を描く事にシフトすれば、行動的な主人公を描く事への抵抗は、少しは減るかもしれない。
一応言っておけば、行動しない主人公を描く事で創作が上手く行っていたり、余計なお世話なら、主人公の行動を強要するつもりはない。
あくまでも、主人公が行動しないと言う高難度の手法にこだわり、創作が上手く行っていない人に向けた、お節介だ。
この記事が主人公に行動させる事に抵抗がある人の、物語創作の助けになれば嬉しい限りだ。