美談の正体
美談とは、現実世界で時々聞く言葉だ。
主に、実際に存在する誰かのエピソードとして語られる。
そのエピソードに対して、美醜で評価をつけた物と言うわけだ。
しかし、美しい見た目でも美談が無い人もいれば、特別美しくないのに数多くの美談を持つ人もいる。
つまり、美談とはエピソードの美しさであり、登場人物の美しさとは関係が無いと言う事だ。
では、美談が多い人と、少ない人、あるいは、まるで存在しない人の差は、どこで現れるのだろうか?
美談は、他人に語られる必要がある
まず、美談とは、他人に語られる事が必須だ。
つまり、語りたいぐらい、強い、特徴的なエピソードが無いと、美談は出来ない。
特徴的なエピソードとは、日常から外れた行動を言う。
そして、誰かに語られるからには、誰かに見て貰う必要がある。
自称で、自分で自分のエピソードを吹聴しても、人はエピソードの真意を完全には信じないし、信じないエピソードは広まらず、下手をすると自身の美談を吹聴しているヤバイ奴と言う噂の方が広まる事さえある。
美談とは、本人不在の場で、本人が物語の登場人物としてしか存在しない場で語られ、勝手に広まる事が理想である。
美しい行動は、自己犠牲的か自己抑制的
美談として人に捉えて貰える行動は、日常から外れている上で、苦しみを当人が容認している必要がある。
実際に辛いとか大変とか、苦労を思っているか感じているかは関係無い。
他人から見て「大変そ」と感じる行動である事が重要だ。
そして、それが他人か、当人の誇れる将来に寄与している必要がある。
他人の為に動くとか、ストイックに己を磨く様な行動が、他人に語られると美談として賞賛対象となる。
ただし、その様な条件だから、仕事や任務範囲での自己犠牲や自己抑制は、大きな賞賛の対象から外れる。
日本なら警察官、消防士、救急隊員、自衛官と言った職業の人が日常的な職務に従事しても、それだけでは美談にならないという事だ。
美談には、愚かさは不要
ただし、美談を美談たらしめるには、美しい行動を取るだけでは足りない。
同時に、愚かな行動を取らない事も重要になる。
愚かな行動とは、そのコミュニティ内のルールに背いて当人だけが得をする様な行動、要は犯罪や、一時の快楽や楽に溺れる短絡的な行動と言った物を指す。
どんなに良い事を美しくしても、その前後に醜い行動がセットとなると、それは美談としにくくなる。
美談では、美しき行動者の非を出来る限り排除する必要がある。
ただし、非が実際は存在したのに、それを隠して美談とするのは、一旦判断が必要となる。
仮に、愚かな行動に対して被害者が存在するなら、素直に美醜が混ざった出来事として、美談にしない方が良い。
美談に出来るのは、愚かな行動が仮にあっても、それによる犠牲者が誰もいない時だけだ。
美談は、愚かな行動をどこまでも嫌う。
終わりに
美談が多い人は、自分に非が無い時でも、率先して他人の為に行動出来る人と言う話でした。
また、誇れる夢の為にストイックに行動している人も、憧れの対象として美しく語られます。
多くの人は、他人が自分を犠牲にする苦労話が好きと言う事です。
だから災害や事件が起きた時に、人には非が無いタイミングでこそ、現実ではヒーローが生まれやすいわけです。