実は「そこまで伝えたい事が無いんでない?」と言う罠を避ける為に
- 「私は、これが死ぬほど好きだ!」
- 「これだけは、どうしても誰かに伝えたい!」
- 「誰か、この気持ちを分かってくれ!」
伝えるべき価値を感じる物事があって、ようやく創作者は、それを伝える為に創作活動が出来る。
この伝えるべき価値がある事物を、誰かに伝えられる形にするには、絶対に必要な物がある。
それは、創作者が持つ、その事物に対する意見である。
意見とは、「ある問題についての、考え」だ。
つまり「私は、こう思う」と言う事だ。
これが無いと、そもそも、伝えたい事が無いとか、伝えようが無いと言う事になる。
伝えたい事が無いなら、どんなに価値を何かに感じても、それを伝えるべきと思っても、伝えようがない。
意見とは、主張であり、テーマを通して伝えたいメッセージ
言いたい事が無い人は、どんなに綺麗な言葉を紡いだ所で、実のなる主張が出来ない。
実のなる主張をするには、種として植えた場所で発芽する可能性のある意見である必要がある。
実とは、意見を聞いた人の中で起きる変化によって変わった行動や考えだ。
情報の伝染によって、他人が変化すると言う事は、意見と言う種を植え付け、それが実を結ぶと言う事である。
他人が感動したり、人生観を変える様なインパクトを感じるには、創作物を摂取する事で種が植え付けられ、それが、その人の中で芽を出し、木に育ち、実を結ぶ必要がある。
意見が無いと、何も伝わらない
意見が明確に無い人は、相手に何も伝える事が出来ない。
意見があって、それが種となって芽を出す可能性が、ようやく生まれる。
意見の無い創作は、種無しの実みたいな物だ。
つまり、食べたら美味しいかもしれないが、それまでだ。
芽が出る事は無い。
芽が出ないと言う事は実を結ぶことは無く、嗜好品として消費こそされるが、摂取した人の中には「また食べたいな」と言う気持ちは残るが、精神や行動的な大きな変化は起きない。
意見があると、時々だが、芽が出る
意見と言う種があると、植わった土壌との相性が良ければ、そこから芽が出る事がある。
これは、創作物を見て、その中のメッセージが何らかの形で強く見た人の中に残った状態だ。
芽が大きくなって葉を茂らせ、枝を伸ばし、やがて花が咲く。
そして、実を成す。
そこまで行くと、創作物は他人の思考や行動に影響を与えた事になる。
つまり、創作物の影響を受けて、行動が大きく変化すると言う事だ。
例えば、ヒーローの活躍する作品を見て感化された人が、実際に人助けをする場合は、影響が少なからずあるだろう。
作品が好きすぎて二次創作をしたり、自分でも作品を創作し始めれば、次の実のなる種を備えた実がなる大樹が育っている事もあり得る。
意見の認識の大事さ
創作する際、自作のテーマやメッセージを見て、冒頭の
- 「私は、これが死ぬほど好きだ!」
- 「これだけは、どうしても誰かに伝えたい!」
- 「誰か、この気持ちを分かってくれ!」
みたいな強烈な事が、明確に思い浮かぶだろうか。
何となくではダメだ。
この感情は、情熱的だろうが冷静だろうが関係無く、強烈に思っている必要がある。
だが、多くの人が、この意見を、曖昧なまま作り始めてしまう。
強烈な想いが備わっているなら良い。
だが、そうでない場合は、一度、真剣な内省が必要だ。
それをしないだけで、意見が無いまま、無い意見があるはずだと彷徨いスランプになる人もいる。
自分と向き合い、自分の持つ意見と向き合い、種を多くの人に植え付け根を張る様な強い物とする為に研ぎ澄ませる必要がある。
恐らく、この記事を読んでも、多くの人は意見の内省を十分に出来ないだろう。
それでも書いておかなければならない。
種が芽を出さない様な作品を作って苦しんでいるなら、嫌でも自分の意見を持たなければならないと。
誰かに伝えたい事が無い人は、何も伝えられない。
これは、作りたい、描きたい、書きたい、撮りたい、何らかの創作をしたいが、何をして良いかわからないと言う状態にも繋がっている。
作りたい物が無い、何をして良いか分からなくなっている人は、誰かに伝えたい価値を感じている事物が見えていないか、見えていても、それに対する明確な意見が無い。
実は「そこまで伝えたい事が無いんでない?」とツッコまれた時に、ぐぬぬとならない為には、伝えたい価値を感じる事物を持ち、それに対する意見を持つ必要がある。
そして、その視点や描き方に、創作者としての個性やユニークさがある事で、それが作品の魅力となるわけだ。
そもそもの、伝えたい価値を感じる事物が無い人は、話にならない。
まずは、何が好きか、何が許せないか、何を伝えたいか、何を愛しているか、何が心を動かすかを探す所から始めないと、何に対して意見を持てば良いのかも見えない。
それらがあって意見を持つ対象を得たら、意見を内省して研ぎ澄ませて行こう。
その意見が他人に受け入れられる物なら、それは種として機能する可能性がある。
いずれにしても、意見が無い事には、何も伝えたい事は伝えられない。
伝えたい事が無いなら、なおさらだ。
伝えたい価値ある事物に対して、意見を持とう。