「言い訳の余地」は気持ちを楽にするが、現実を救いはしないと言う話【求めよさらば与えられん】

言い訳ばかりしていたら、人は前に進む事が出来ない

「言い訳の余地」は、人の気持ちを楽にする。

責任が本人以外にあると言う事は、何か別の事物や人のせいに出来て、自分が変わらなくても良いと思えるからだ。

「自分が貧乏なのは、政治家が国の舵取りに大失敗していて、国全体が不景気だから」と思えば、貧乏な現状を受け入れる事を出来る人は多い。

「自分は悪くない。自分は頑張っている」と自信を持って言えるなら、そこに後ろめたさは無い。

それだけで気持ちは楽になり、現状維持を踏まえた工夫をするぐらいの根性は、人によっては湧くだろう。

耐えて待つと言う選択だ。

いっそ割り切って、生活保護の世話になってやり直そうと考える人だっているかもしれない。

逆に、自分では逆立ちしたってどうしようも出来ないと自暴自棄になって、自殺を思い悩む人がいても、おかしな事とは言いきれない。

いずれにしても「言い訳の余地」は、人のプライドや尊厳を守り「俺は悪くねぇっ! 俺は悪くねぇっ!」と、真偽問わず本気で思わせ、心の一部を救ってくれる。

そう言う意味では、言い訳の余地の認識は、人に余裕と、偏っているかもしれないが状況の分析結果をもたらしてくれる事で、とても有用だ。

問題は「言い訳の余地」のせいで、肝心の問題に対して向き合えない場合、それが向き合わないといけない問題の場合に、その状態が維持され、現実でいつまで経っても救われないと言う事態が、あり得る話と言う事だ。

言い訳の余地が、変化を、成長を止める

「言い訳の余地」は、心を強すぎる衝撃から救ってくれる。

しかし、その衝撃吸収力は、居心地が、あまりにも良い。

それが、時に問題となる。

「言い訳の余地」で受ける衝撃から守られていると、人は考えや行動を変える事が出来なくなる時がある。

すると、現実は、今まで通りとなる。

言い訳の余地は、人の変化や成長を止める効果があるのだ。

成長を止め、永遠に若いままなら良いのかもしれないが、現実は、そうはいかない。

成長が止まっても時間は進み、世界は変わり、本人の老化も進む。

なので、言い訳の余地にすがって生きると、相対的に同じ年月を生きた人よりも出来る事が少なくなる。

つまり、言い訳の余地は、人を無能にしていく麻薬と言えるのだ。

まあ、恐ろしい。

「言い訳するな」「言い訳しません」の正しい使い方

しかし、言い訳は、状況次第で必要な物だ。

説明責任は、求められれば果たすべきである。

必要な場面で「言い訳するな」とか「言い訳はしません」と言う人は、相当な愚か者と言える。

同時に、必要な場面であっても、前提が整った状態で、「言い訳するな」「言い訳はしません」は、正しい使い方でなら、本来的には良い方向へ機能する物だったりする。

「言い訳」が可能な状況だとしても、自身の力で問題に立ち向かい続ける事が出来る人や、そうしなければその人が破滅や後悔する場面では、言い訳を受け入れた上で、言い訳で終わらせない為に「するな・しません」は、とても有用だ。

「言い訳をしても何も解決しない、何もかもがお前の責任じゃない事は分かっているし、その点を責める気は無いが、問題を解決するなら言い訳の余地に甘えていては前に進めない。だから、言い訳をするな。前に進む為に、問題に立ち向かえ。お前なら出来る」

とかの、応援する後押しや、自分への

「結果、至らなかった事実への言い訳はしません。引き続き問題解決に取り組み、乗り越えて見せます」

と言う決意表明、等の使い方なら、同じ言葉でも受ける印象はとても前向きだ。

これは、言い訳を封じる意味での「するな・しません」では無く、言い訳が出来る状態と言う事は分かっているが、それで問題に立ち向かうのを止めない様に「相手の為」と言う側面が含まれた使い方であり、言ってしまえば、本心からの優しさから出る言葉である。

この言葉は、誤った使い方をあまりにも多用されている為に、世間のイメージは、すこぶる悪い。

だが、言い訳ばかりして前に進めていない愛する人がいるなら、相手に意図を伝えた上で使う事は、相手の為になる。

当然、正しく使ったつもりでも、相手が誤って受け取れば、その効果は得られない。

イメージが既に悪い言葉だけに、コミュニケーションギャップには気を付けなければ、とんでもない事になる。

現実を救うのは、言い訳の余地があっても、自分が問題を解決しようとする姿勢

「自分が貧乏なのは、政治家の国の舵取りに大失敗していて、国全体が不景気だから」と考え、言い訳の余地に頼ってしまうと、人は基本的に、そのままとなってしまう。

これは、何にでも当てはまる。

  • 勉強の邪魔をする人が周囲にいるのが悪いから、私は無知だ。
  • 頭の悪い親から生まれたのが悪いから、私もバカだ。
  • 家が元々貧乏だから、ハンデがあって他の人みたいに金持ちには一生なれない。
  • 私の魅力を理解出来ない人ばかりで、いじめられる。

周囲の人の、環境の、状況の、過去の、悪い事を自分以外のせいにしてしまう事は、心を一部だけ楽にしてくれる。

だが、そこから抜け出す為には、どんなに本当に自分以外が悪かろうと、自分が問題に立ち向かわなければならない。

そうで無ければ、買ってない宝くじが当たる事を祈る様な確立に期待して生きる事になり、ほぼ100%状況は何も動かず、維持されてしまう。

  • 絵が下手なのは、画材を買ってくれないし、絵画教室にも通わせてくれない、絵を描いていると邪魔までしてくる、親が悪い。

と言って絵の練習をしなければ、一生絵が下手なままである。

もし絵が上手くなりたいなら、その状況を変えるか、その状況の中で出来る事をするか、とにかく考え、工夫し、動き続け、問題を一個ずつでも解決していく他に無い。

行動の全てが報われるとは限らないが、行動しなければ報われる事は無い。

当たらないと諦めて宝くじを買わないのと、当たるかもと宝くじを買い続けるのでは、救われる確率は恐ろしいほど違ってくる。

問題に対処する際、言い訳の余地として、他人の責任で発生する問題は、自分が悪くない事で、自分が至らない事を肯定するのに痛みを減らす言い訳となるが、対処しなくてはいけない問題としては自身が抱えている問題と変わらず、責任の所在がどこかと言う部分が違うだけだ。

不景気だから貧乏で良いと諦めるか、不景気だろうと関係無く大金持ちを目指すかで、未来は大きく変わってくる。

求めよさらば与えられん

「求めよさらば与えられん」は聖書の有名な言葉だが、これはキリスト教や宗教、自己啓発本等に限らず、非常に正しい教えと言える。

苦しい状況で我慢して、嵐が過ぎ去るのを待つのが正解のタイミングも、世の中には、そりゃあるだろう。

だが、殆どの場合は、目的や目標に向かい、求め続けた人が、より多くの物を手に入れるのだ。

現実で救われるには、言い訳をして何もしない口実を見つけるのに割くリソースは、無駄である。

言い訳は、強すぎる衝撃を吸収する時や、問題と向き合い解決を目指す時や、必要な時に必要な分だけ利用すれば良い。

決して、中毒になっては、ダメなのだ。

「言い訳の余地」で気持ちを楽にし、「求めよさらば与えられん」の言葉を胸に、自分で欲しい未来を勝ち取る事が肝心だ。

関連記事:【責任逃れ?】「言い訳」の作法について【説明責任?】

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