「楽を求める事」は、かなり大事と言う話。同時に、創作者は「丁寧に、積み重ねる事が出来る人」ほど強いと言う話。

楽を求めるのは良いが、学ばない為のズルは危険

一足飛びに凄い物を作ったり、急に凄い技術を手に入れたり、実は特別な物を持っていた事に気付いたり。

そんな事を夢見る人は、結構多いだろう。

一個や二個であれば、何らかの状況的な歯車の噛み合いが良いとか、科学の進歩でツールが進化とか、技術やセンスの転用が出来るとか、運が良い事があるかもしれない。

だが、結局の所、地道な積み重ねが大半の部分で必要になり、いわゆる人生の一発逆転をするには、どれだけ積み重ねて来たかで、欲しい物を手に入れられる確率が大きく変わってくる。

要は、何を積み重ね、それを活かすか、そこが重要だ。

しかし、人は積み重ねるのが苦手だったり、何をすれば良いか分からない事が多い。

丁寧に積み重ねるなんて苦行や修行、好んでしたい人の方が、もしかすると少ないかも知れない。

そうなると、いかに楽をして、積み重ねてきた人と同等か、それ以上の物を手に入れるかと言う方向に思考が行きがちだ。

問題は、楽を求める事は非常に良いが、それは工夫や効率化と言う意味での楽だ。

いかに工夫せず、学ばないで楽をするかと言う、いわゆるズルを探すのは、かなり危険な楽探しになる。

今回は、そんな話。

楽と苦労

楽を求めるのは、とても重要な事だ。

なんでも楽ちんで、楽勝の方が良い。

難しい事は少しでも楽を求める事で、成功確率が上がる。

盲目的に苦労を美化したり賛美する文化圏の人でなければ、これは同意して貰えると思う。

楽を求めた結果、文明は発展し、人はあらゆる発明をし、科学を産み出したりした。

楽を求めると言うモチベーションは、人類史を見ても、かなり強力かつ重要だ。

しかし、苦労も大事だと多くの人が感じる。

こっちも大事だ。

問題は、「苦労を何のためにするか」と言う話になる。

苦労とは、苦労をする意味があって、ようやく大事な苦労になる。

楽は、ズルを手段とせず、工夫や効率化によって獲得出来れば、正しく機能する。

同じ様に、苦労も正しい苦労と間違った苦労が存在する。

多くの意味ある苦労は、乗り越えた先に、高確率で楽がある。

人は、楽をする為に苦労をして、文明を発展させてきた。

それは歴史レベルだけでなく、個人でも同じだ。

まず、楽を求め、その為の苦労を「楽の為」と受け入れる事が、実は、かなり大事だ。

苦労の先に楽が無い場合、苦労する体験自体を楽しむとか、苦労の末の体験を楽しむと言った、別の楽が必要になる。

いずれにしても、楽が何もどこにも無い苦労は、何かがおかしい。

楽を分かりやすく提供出来ない苦労を他人に強いる行為は、大抵、大きな反発を生むし、その先に何も生まない。

例えば、確定申告をゲーム感覚で楽しめる人は、圧倒的少数だ。

苦労を強いられ、無視すると怒られ、やっても金を奪われると感じている人の方が多いからだ。

しかし、確定申告の代行でお金を稼ぐ場合は、面倒かもしれなくても確定申告は金を手に入れられる意味で楽があるし、支払う税金をいかに合法的に減らすかに工夫を見出す人にはゲーム感覚となり少ない支払った税金額は楽に繋がる。

苦労に対して拒否感が強い人が多いと思うが、苦労は楽を手に入れる為にある。

この認識を、まず持とう。

苦労は楽の為にある。

楽を丁寧に積み重ねると言う事

もともと出来る事と、苦労して出来る様になった事。

これらを楽に、丁寧に積み重ねるのが、創作では基本となる。

例えば、人の絵を描く場合、絵を描けない人や描いた事が無い人は、いきなり清書を試みたり、上手い人の描き方を真似て人の形をどうにか取ろうとしたりするだろう。

しかし、絵を描く技術を苦労もして習得してきた人は、ここまでの積み重ねが違い、更に、ここで一見同じ事をしている様でいても、楽の積み重ねが全然違って来る。

楽に出来ると言う事は、丁寧にやった時の精度も違い、そう言った積み重ねの総量によってクオリティがドンドン開いていく。

楽に出来ないと言う事は、習得度合いが低く、線を引くだけでもレベルが変わってくる。

スポーツで一々考えながらボールを前に「利き足でまず踏み込んで、ボールの3歩前に利き足の反対が来る様にタイミングをはかって、身体全体を使って」なんて考えながらプレイするのと、身体が自然に動いて同じ動きをスムーズに自動的に行うのでは、楽さが違い、楽に出来る方が丁寧にする余裕も生まれ、結果的に精度が大きく上がる事と同じだ。

真に楽な状態は、欲しい結果に向けたアクションを、個別のアクションでなく一連のアクションとして自然に、瞬時に出力出来る様な状態にまで高め、頭のリソースを最小限にしか使わず、空いた分のリソースで次の事や別の事を考えながらでも出来る様な状態だ。

その一連のアクションを連続して目的地まで駆け抜けれる状態が、楽を丁寧に積み重ねる事だ。

丁寧と聞いて、ゆっくり、慎重にと想像したのであれば、それは丁寧を勘違いしている。

ここで言う丁寧とは、早すぎず遅すぎず、ガタつかず、ブレず、洗練された動きや結果を指す。

楽に出来ないと、欲しい丁寧を安定して出力出来ない。

つまり、丁寧にやる為に楽を求め、楽をする為に苦労をするわけだ。

良くある大間違いは、雑に良い結果を求めて苦労せず楽を求めると言う、悪い楽と言う感覚をどこかで持ってしまったせいで、苦労して丁寧を手に入れようと言う姿勢になってしまったパターンだが、これから抜け出し、正しい楽を手に入れる事は、本当に大事だと言える。

終わりに

常に楽を求めよ。

正しく楽を求めるのが、創作上達の近道となる。

楽に出来ないと、丁寧に出来ない。

そんな話。

苦労するなら、途中かゴールに楽を見つけよう。

余談:AIによって創作が楽になる世界は、どうなのか?

昨今は、AIに苦労を肩代わりする世の中に拍車がかかっている。

この流れは、個人的には、大いに歓迎する。

よく聞かれるのが、AIが発展したら物語なんて自動生成が当たり前になるのでは無いかとか、スクリプトドクターなんていらなくなると言う話だ。

これは、私に想像力が欠けているのかもしれないが、自動生成が当たり前になるのは、別に困らない。

スクリプトドクターが今よりも不要になっても、そこまで困らないと思う。

例えば、タイプライターやパソコンとプリンターがあっても、書道の先生は存在しているし、写真が登場しても似顔絵に需要はあるしね。

それに、自動生成が可能な、技術によって丁寧に楽が出来る部分が増えると言う事は、それが出来ない部分にリソースを注げると言う事になる。

時代の変化に合わせて、新たに丁寧に楽に使いたい技術やノウハウを会得し続ければ、きっと、ずっと物語を、楽しく、意味を持って、さらに効率的に、作り続ける事は出来る気がしている。

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