「工夫方法の気付き」と言う経験が武器になると言う話

そもそも「工夫の仕方」から分からない人が、結構いる

さて、工夫の仕方はご存知かな?

上手に工夫すると、色々な事が効率的になって、楽になる。

しかし「工夫方法の気付き」と言う経験が少ない人は、工夫をそもそも「しようなんて考えもしない」とか、いざ工夫しようと思っても「どうして良いか分からない」なんて事がありがちだ。

そこで、今回は「工夫方法の気付き」を得るヒントにでもなれば、なんて話をする。

紙に線をまっすぐ引きたい時

線をまっすぐに引きたい時、あなたはどうするだろうか?

定規を使う?

そう。

それが工夫だ。

では、定規が無い時や、使えない時、どうする?

勢いで引くなんて方向に行く人もいるだろうし、既にある真っ直ぐな線を下敷きになぞるなんて方法もあるし、何でも良いからまっすぐな形状の物を定規代わりに使うなんて人もいるだろう。

これらは、精度の差に良し悪しや、その場で出来るか否かと言った違いはあるが、どれも工夫だ。

工夫を使わないで同じ事をした時よりも、上手に結果を出せれば、それは工夫と言える。

では、より良い工夫をどうやって探すか、選ぶかと言うと、それは、より少ない労力や投資で、より早く、より正確に、より無駄無く効率的に、より安全に、より良い結果を出せるかで判断出来る。

  • 労力・投資
  • 早さ
  • 器用さ・正確性
  • 最適化・単純化・効率化
  • 安全性

の総合値が工夫には不可欠で、そこに更に

  • 再現性
  • 継続性

が加わると、ツールとしては優秀な工夫となる。

例えば、フリーハンドで綺麗な直線を描く場合、労力や投資は不要だし安全だが、器用さによって良い結果を出す早さ、再現性、継続性に問題がある。

一方で定規は、投資が必要になるが、早さ、正確性、効率化、安全性、再現性、継続性が全て安定する。

見本を下敷きに描く場合は、フリーハンドよりマシだが、定規より全てが劣るだろう。

何でも良いからまっすぐな物の辺を利用するのは、定規と同じ取り回しが出来るなら定規と同じぐらい有用な工夫となる。

では、1枚や100枚では無く、1万枚の紙にまっすぐな線を引く事が必要になったら、どうするだろうか?

紙を一直線に並べて定規で数枚を一気に描く?

それとも、コピー機で量産してしまうか?

労力と投資と言うコストのバランス次第だが、コピー機を使った方が早くて楽だろう。

しかしコピー代が勿体無いなら、定規で線を引き続けるしかない。

だがもし、手伝ってくれる協力者が無料で募れるなら、定規とペンが人数分あればすぐに終わる。

協力者が10000人いれば、ペンと定規が数あれば一瞬だ。

人によっては、もっと良い工夫のアイディアを思いつく人もいるだろう。

墨ツボとか、レーザーで焼くとか、何が正解かは何を求めているかと、その場の環境に寄ってくる。

工夫する人しない人

この様に、欲しい結果に対して、使えるあらゆる物を使い、時に本来の用途や、使用する物にデフォルトで設定された使い方以外に転用や拡張をする事で、いかに実現するかが、工夫だ。

そして、自身による「工夫方法の気付き」の経験があると、パターンから様々な場面で工夫方法を考案しやすくなる。

工夫の仕方が分からないと言う人の中には、この経験値が人生で少なく、どう工夫を発想すれば良いのか、工夫方法に気付く感覚が分からない場合がある。

与えられた方法を愚直に繰り返して褒められレールから外れられなくなったり、工夫の余地があっても特に興味が無いと流したり、工夫の試行錯誤に失敗して恐怖症になったり、工夫をせず足並みを揃えよと教育されたり、工夫方法に気付くチャンスを自らスルーしたり誰かに潰され、工夫方法に気付けなくなってしまった人は、世の中に溢れている。

だが、そんな人でも、自ら工夫を封じたり殺すタイプで無ければ、周囲に工夫が上手い人がいれば、工夫方法に気付ける様になる。

良い工夫は共有すれば、世の中が効率化され、世界がアップデートされる。

もちろん、工夫をするべきか考えた方が良い場面も沢山ある

業界や界隈にあるフォーマットや作法、慣習に関しては、工夫するかどうかは、時に一考が必要な場合がある。

また、原理や作用を分かっていない事には、工夫が危険な事もある。

一見すると非効率的な方法が、ルールを分かり切っていない新人では気付けない高効率化にバランスを持って役立っているなんて事もある。

集団で作業する場合、連携のルールに抵触する工夫は、全体に共有しないと大事故を起こしかねない。

工夫によって得られる良い結果よりも、かかるコストが高すぎる場合も工夫するには人を選ぶだろう。

今でこそ当たり前になったが、パソコンが今ほど一般化していない時代に生半可な覚悟でクリエイターがアナログからデジタル環境へ移行するのは相当大変だった。

設備投資と環境構築と勉強と、高いコストを払いつつ先駆者になるのは、余裕と覚悟が必要だ。

洗濯機でレインコートや防水シートを洗うのは危ないとか、電子レンジで卵やイカを温めると爆発するとか、電子レンジで金属を温めてしまうと火花が出るとか、知らない場合に「私、頭良いな」と工夫したつもりが、大惨事になる事は、日常にも結構ある。

中には、危険とか命に係わる事もあるので、知らなかったでは済まされない。

シュレッダーの安全装置を外した方が効率的に裁断出来るだろうが、使う人が安全装置代わりをしないと滅茶苦茶危ない。

工夫の怖い話で、フォークリフトでブランコと言う工夫で、痛ましい事故も実際に起きている。

工夫する時は、

  • 労力・投資
  • 早さ
  • 器用さ・正確性
  • 最適化・単純化・効率化
  • 安全性
  • 再現性
  • 継続性

の中で、安全性は本当に重要な要素だ。

安全第一である。

内容が重くなりそうなので軽い例に変えると、なろう系の作品では一時、冒頭シーンがあまりにも共通フォーマットで溢れてしまい、仕舞には冒頭をカットして察して貰う形で本編から始めると言う作品がチラホラ登場した。

冒頭シーンが共通フォーマット過ぎて描く意味が無い事に既に大きな問題があるが、冒頭シーンは物語の入口であり、土台の説明をする大事な役割があるので、それをカットすると言う効率化は、試みとしては面白いかも知れないが、物語単体の完成度を著しく落とし、共通フォーマットと言う暗黙の了解を理解しているピンポイントな客層にしか理解出来なくなる意味では、工夫をしない方が間違い無く良かったのは、言うまでもない。

冒頭カットは、労力は減り、早くなり、効率化もして、安全にも問題無いし、再現性もある。

だが、作品の継続性と正確性には大きなマイナスが生じ、それを取り戻す為には後に冒頭に相当するシーンを入れる必要があり、それなら冒頭シーンを最初から描いた方がマシと言う点で、そこまで良い工夫とは言い難い。

カットしたらダメな物をカットするのは、カットする事で起きる問題があるからで、わざわざ説明されていなくても、カットすれば分かる理由があるわけだ。

バカな学校の宿題VSバカな工夫をする子供あるある

ノートに同じ文字を沢山書けと言う宿題を出された経験がある人は?

私の子供時代は、小学校の宿題で同じ漢字をノートの一行や一ページに延々と書かされた物だ。

この時、実直に宿題の文字を描く側の子供と、工夫をして高速で終わらせようとする子供に分かれる。

例えば、漢字の三を大量に書かなければならないとしたら、普通の子は「三」をマス目に書いていく。

だが、おバカだが工夫する子は例えば、一番上の棒だけを列順で直線に一気にモールス信号の様に書き、次に真ん中の棒を同じように書き、次に一番下の棒を同じように書いたり、3本の鉛筆を合体させて三専用の鉛筆を即席しようとしたり、とにかく普通のやり方よりも少しでも楽な方法を模索する。

やって見ると分かるが、同じ文字を大量に書く場合、単純な漢字なら分解してパーツ毎に書く方が手の動きを単純化する事が出来るので、楽に早く書けたりする。

綺麗に書くには、マス目を4分割したり、線の開始位置を座標にして、目測で起きるブレを最小限にすると、慣れれば割と綺麗に書ける。

別に、真似は推奨しない。

良い工夫は、シンプルに考えよう

良い工夫は、シンプルだ。

  • 労力・投資
  • 早さ
  • 器用さ・正確性
  • 最適化・単純化・効率化
  • 安全性
  • 再現性
  • 継続性

なんてあるが、全部を一気に考えなくて良い。

まずは、何をしたいかだ。

面倒臭い、難しい、大変、複雑、工程が多い、等と言った場面を見つけ、工夫して楽をする事を決めよう。

そうしたら、まずは、動線だ。

作業をする時に、効率的に動けているか。

行ったり来たり、変な迂回が無いか。

効率的な状態は、工場のラインを想像しよう。

一本道を通っている間に車や家電が完成する様な、あんな状態だ。

動線を整えるだけで、相当効率化出来る。

周囲の工員は、必要最小限の動きで必要な工具を手に出来て、必要なアクションを時間内にこなせる。

難しく考えず、シンプルなラインを作れば良い。

動線を整えたら、今度は簡単に欲しい結果を手に入れるには、どうすれば良いかだ。

そもそもが難しい事なら、要素分解をして、分解要素を動線で並べてしまおう。

要素分解すると、難しい事が簡単になる。

車を作るのを分解すると、エンジンやタイヤを作って組み立てると言う事になって、それを更に分解するとピストンやボルトの一本や材料の鋼鉄やゴムを成型したり、成型する為の型を作ったり、ドンドン要素を分解して単純化出来る。

単純化した要素にも工夫する余地があって、工夫を詰め込む事で、どんどん工夫が洗練されていく。

終わりに

常識にとらわれるな、オリジナルの工夫を恥ずかしがるな。

そんな感じ。

致命的でなければ、何度でも失敗して良いし、失敗から学ぶと自分なりの工夫の上手くいかせ方の勘所やコツも見えてくる。

安全第一で、色々と工夫してみよう。

物語を作る時だって、絵を描く時だって、詰め込める工夫が多い方が楽に作れる。

エクセルで時系列管理したり、パワポで人物相関図管理したり、そう言うのだって工夫。

3Dモデルやデッサン人形を下敷きにしたり、写真を二階調化して利用したり、そう言うのだって工夫だし、特殊なブラシをデジタルで作るのも工夫、アナログで星を描く時に歯ブラシやマスキングテープを使うのだって工夫。

自分でプログラムして自動化するのだって工夫だし、出来ない事を人やAIに任せてしまうのだって工夫。

革製品の絵を描く時に、自分で撮影した革の写真をテクスチャとして使うのだって工夫だし、フリー素材サイトを使いまくるのだって工夫。

本でハウツーを読んだり、動画で勉強したりだって、みんな工夫。

ゲームに詰まった時に色々試してクリア目指すのも工夫だし、攻略情報を検索したり攻略本をポチるのだって工夫だ。

工夫をすれば、時短になるし、クオリティも上がる。

「工夫方法の気付き」が武器になるって、伝わったかな?

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