他人が愚者である事を維持し、自分が愚者である事を肯定する
相手が愚者であり続ける事は、一部の人からすると、とても都合が良い。
では、相手が愚者であり続ける様に仕向けたり、愚者になる様にするには、どうすれば良いか?
愚者の世界
間違った事を信じ、行動原理や指標とする事は、それ自体を自覚して楽しんでいない限りは、すべからく間違っている。
例えば「ごっこ遊び」は、役割を本気で演じ、自分が憧れのヒーローだと思い込んだり、ままごと世界の家庭の一員となって、シミュレーションを楽しむ意味で、健全だ。
占いは、当たるも八卦当たらぬも八卦と割り切って、当たったら楽しいし、外れても「そんなもの」として、確実に当たる事を期待せずに「新しい行動指針や視点」の獲得を楽しむ範囲では、健全だ。
当たれば良し、当たらなくても破滅しない。
だが一方で、自分がアイドルの恋人だと信じ込んで家や職場まで押しかけるのは、どう考えてもアウトだろう。
命に係わる病気になったのに、処方された薬を棄てて医療知識ゼロの霊能者のアドバイスに従ったりするのも、とんでもなく危険だ。
この様に、愚者の世界は、愚を認識して楽しめば楽しく、愚を認識せずに生きれば超危険地帯となる。
嘘や間違いを認識出来るか、嘘や間違いまでも事実と誤認するかで、生きる世界は割れていく。
愚者の麻薬、愚者のモルヒネ
ここで言う麻薬は、金等を愚者から無限に引き出したい人が売りつける物。
まず、麻薬だが、これは世の中に氾濫していると言って良い。
霊感商法、新興宗教、陰謀論、疑似科学、疑似医療、中身の無い政治演説やマニフェスト、そう言った胡散臭い物は、基本的に愚者への麻薬で成り立っている。
接種すれば信じている人が一時的に気持ち良くなるが、効果が薄れると徐々に禁断症状が出て、現実を見て苦しみ、次の麻薬が欲しくなる。
次にモルヒネだ。
ここで言うモルヒネは、愚者から抜け出す事がメンタルや状況的に難しい人に、愚者の世界にいるから感じる痛みを和らげるために愚者の世界での自己欺瞞や自己暗示、自己肯定を提供する物となる。
こちらは、率先した嘘で接種者を騙す様な形ではなく、視点によっては明らかに間違っている部分がある事に対して、どうしようもない人の痛みを一時的に取り除き、安心させ、現状維持を良しとする。
「ありのままの自分で良い」「人の評価は気にしなくていい」「オナニーで自分勝手に創作していい」そう言った部分的に歪んだ「そのままで良いんだよ」と言う一見すると優しいメッセージの発信をしたり、主人公が努力も工夫もせずに運やチートだけで成功していく姿を見せて、あたかも「そのままの幸せがある」とか「努力しなくても一発逆転が在り得る」みたいな、気持ちが良いが、確かに天文学的数値であり得るかもしれないが現実にはあり得ないと言って良い事を疑似体験させる事で、気持ち良くさせる類の物だ。
仏教的な教えや、マインドフルネス思考に近いと感じる人もいて、部分的には近い部分もあるが、それらと愚者のモルヒネが決定的に違うのは、正しい教えは事実と向き合い現実を最適化する事で幸せを得る教えであるのに対して、愚者のモルヒネは歪んだ現実の中で痛み止めを与えられているに過ぎないと言う点だろう。
愚者肯定作品は、変化を嫌う
物語における変化とは、問題解決行動の末の変化であり、多くの場合は問題を乗り越える事で証明される成長である。
愚者の作品は、問題との向き合い方が根本的に違い、成長したり変化して問題を乗り越える事を良しとしない。
そのままの状態で、それが仕方が無い事、どうしようもない事、その中にある幸せに目を向ける事とか、とにかく行動せず、変化せず、成長せず、不満を抱える現状に対して説明をして、そこに一種の気付きや、新しい視点、共感と肯定による救済を与え、そのままフィニッシュする。
問題に立ち向かうと言う事は、現実に立ち向かうと言う事であり、現実の問題に立ち向かうには問題と向き合わなければならず、都合の良い嘘や欺瞞では戦いようが無い。
抱える問題と向き合うと言う事は、その覚悟が出来ていない人からすると耐えられないぐらいの痛みがある場合がある。
そこに、痛みで無く、痛み止めを提供されれば、問題に向き合いたくない人は、そちらに流れて行ってしまう。
愚者への作品は、この様に、変化を嫌い、しかし、それを見る者に感じさせず、綺麗事でラッピングして肯定し、変化に意識を向けさせない様にする。
真の問題や変化、成長の必要性に意識が向くと言う事は、嘘がバレる危険が膨れ上がると言う事だからだ。
愚者肯定作品の需要と危険性
愚者系の作品は、世の中的に言えば、大きな需要がある。
それは、言ってしまえば合法麻薬であり、傷だらけになってボロボロで疲弊した状態で余裕の無い戦場の様な社会を生きる上で、痛みを減らすモルヒネその物だからだ。
しかし、いくら合法だからと言って、過剰摂取して良いかと言うと、そこは気を付けたい。
嘘を嘘だと、あくまでも変化せずに痛みを減らすその場しのぎだと、認識した上で摂取する分には、娯楽の一つだ。
だが、愚者肯定を「こういう考えもあって、自分は間違ってなかった。自分はこのままで良いんだ」と本気で捉えてしまう場合、問題と向き合い解決を目指し行動する力が奪われる事となりかねない。
変化や成長が止まると言う事は、向き合わないといけない問題が延々と残り続けると言う事になり、その苦しみには追加のモルヒネが必要になると言う事だ。
終わりに
愚者肯定系麻薬・モルヒネ作品との向き合い方と、ある種の楽しみ方の話でした。
個人的には、これ系の作品で、これは面白いと言う物が咄嗟に出てきません。
問題と向き合って、解決目指して、ってのが面白い物語の基本ですしね。
本来バッドエンドをハッピーエンドやビターエンドに見せるタイプの邪道な物語と言う印象があります。
でも、SNSだと人気なイメージ。