覚えなければいけない事が、ぜんぜん覚えられない
私は記憶する事が大の苦手だ。
今回は、そんな自己分析と、どうやって生きて来たかを記していく。
まるで覚えられない!
私は、とにかく物覚えが悪い。
記憶力も良く無く、他の人なら何らかの方法で苦も無く覚える事も、苦労した。
あまりにも暗記が出来ないので、皆が暗記でクリアするタイプのテストは、本当に苦労した。
勉強も辛いのだが、それ以上に辛いのは、社会生活である。
学校や職場での辛さ
人の顔も名前も覚えられず、一致が難しかった。
これが、社会生活においては、致命的に辛く感じた。
「○○さんにこのプリント渡しておいて」
なんて頼み事、日常茶飯事だろう。
この日常茶飯事が、常に痛いのだ。
- (○○さんって、どの人?)
- (今更、○○さんって誰とは言えない)
- (と言うか、頼んできた人の名前も知らん。あだ名で辛うじてだぞ)
そんな内心を抱えながら、毎回、推理したり、人探しを工夫しながらしていくのだ。
私は、この状態が物心ついた時から、大人になるまで日常だった。
顔も名前も分からない人を、顔も名前も分からない事を隠しながら探せ!
人探しの基本は、聞き込みだ。
だが、人に聞くのは、時にリスクとなる。
そこで、私は基本的に、座席表で席と名前を一致させる事で、自分の周囲はクリアしようとしていた。
当時、学校のクラス数は4~6ぐらい、1クラスに40人とか。
座席表で、少なくとも40人はカバーできるのは、心強い。
しかし、座席表も完ぺきではない。
時々席替えはあるし、休み時間には他人が座っている事もあり得る。
そんな時は、情報をそれとなく探索する事で、クリアを目指す。
名札、名前入りの道具、上履きのかかと、それとなく盗み見て正解率を高める。
それが出来ず、顔も名前も席も分からない時は、聞くしかない。
そんな時は、情報を断片的に渡して情報を引き出したり、他の人を顔名前席測定器になって貰って助けてもらう。
仲が良い友人がいれば、こっそり聞くなんて事も場合によっては出来るが、いつもそう言う訳にもいかない。
顔も名前も知らない誰かに、それとなく顔と名前は一致してるが席を知らない風に聞いたり、誘導して貰う。
厄介な相手
こんな生き方をしていると、出会って厄介に感じるのは、顔と名前を覚えるのが苦でなく、それが出来て当たり前と言う感覚の人に、ディスられる時だ。
まあ、1~2年間も同じクラスでクラスメイトとして過ごしていたのに、顔と名前がまだ一致していないなんて言われたら、言われた人からすると接触が限りなくゼロに近くても、多少傷付く物かもしれない。
だが、こちらからすると、モブの顔と名前を覚えるほど余裕はなく、主要キャラを覚えるだけでいっぱいいっぱいなので、コミュニケーションゼロで傷付かれても困ってしまう。
厄介な場所
学生時代は、自分のクラスはマシで、それよりも職員室とかの方が厄介だった。
教師なんて、担任の苗字と顔が一致していれば、他はほぼ用が無い。
あと、移動教室系もダメだった。
座席表が機能しない場所は辛いので、体育もヤバイ。
まあ、とにかく記憶力が弱弱雑魚雑魚なのは、社会生活を苦しくする物である事は嫌と言う程味わった。
覚えていられる事と覚えられない事
友人の顔と名前は一致していた。
友人でも、顔とあだ名だけが一致して、名前を知らない人は、結構いた。
しかし、友人は覚えられた。
だが、友人の線より外にいると、そこは途端に顔無しも同然だ。
小学生の時なんて、オタク男子はオタク男子とばかりつるんで遊んでいる物だ。
だから、クラスの女子が20人ぐらいいても、名前と顔がちゃんと一致している人は、多分だが、3~5人いれば良い方だった。
ちなみに、男子も全員を覚えている訳でなく、接触が少ない半数は曖昧な認識だったりする。
じゃあ、その多くて5人の女子は、なんで覚えたのか。
好きとか、好みと言うのは、プラスに働いただろう。
例えば、印象に残る親切を受けたり、一緒に遊んだりして楽しければ、「しゅき……」と簡単に惚れ、それで覚えた風に思う。
しかし、現実は、その逆が圧倒的に多い。
優しくして得も何もない男子に優しい女子なんて、少なくとも私が子供の頃は、レアキャラだった。
近寄っては危険判定を何かしらの出来事でした事で、悪い印象によって覚えた名前の方が当時は多かった。
面白いのは、嫌いな相手は顔は覚えているが名前が既に思い出せず、好き判定した人は顔と名前を今でも思い出せるので、そう言う意味でポジティブな印象の方が長期記憶には良さそうだ。
話を戻し、友人の友人は、完全に他人判定で覚えられなかった。
状況を変え、家族は覚えれるが、親戚の把握は近しい人以外は今でも出来ていない。
そもそも、人を覚える時、私は頭の中に顔の系統毎の箱があり、覚えれない人は、その箱から系統顔を取り出して判断している。
これは、今もだ。
つまり、私の人生にプラスを多く与えた系統の顔の人は、会った瞬間から好感度が高めに始まり、覚えも良くなる。
逆に、人生にマイナスを多く与えた系統の顔の人は、良い人と分かっても、警戒感が残り続けたりも、ある。
ちなみに、タレントやスポーツ選手の顔も一般人と同じ箱管理が頭の中でされているが、モー娘。、AKB、坂、ジャニーズ、そう言ったグループは、例えばアイドルとかの特別箱があって、かなり雑に管理されているので、顔と名前が一致するレベルでは、かなり有名でもほぼ分からない。
人以外の記憶
私はゲームが昔から好きだ。
初代ポケモンとかは、もろに世代で、ポケモン151匹は覚えたし、今でも覚えている。
つまり、記憶するのが苦手なのは、何か条件があると言う話で、記憶する事が出来ないわけではない。
忘れる事も多いが、今まで触れた映画、小説、漫画、ゲームとかは、基本的には覚えているし、材料を与えればかなりの部分は思い出せる。
そう言った作品の主題歌とかも、結構覚えているし、物によってはマイナーな作品のテーマソングの歌詞とかも出てくる。
一方で、勉強での記憶力は、学生時代は死んでいた。
だから、美術、体育、国語の成績は、まあまあ良かった。
一方で、公式を覚えないといけない算数や数学、元素とか法則を覚えないといけない理科、科学、歴史や年号、国名や人名を覚えないといけない社会、歴史、そう言った教科の成績は、学年が上がるにつれて反比例して下がって行った。
中でも、英語の成績は絶望的で、英語に関しては中学生の時にABCの歌が正確に歌えないレベルで何も覚えておらず、大人になっても何も分からないに近い。
GoogleやDeepLとかの翻訳サービスが無ければ、外国の人との言語交流は不可能と言って差し支えない。
なのだが、画像生成AIのプロンプトを覚えるにあたり、英単語の語彙がここ数週間で偏って増えている。
やはり、覚えられないわけでは無いのだ。
覚える為に、自己分析
私の場合、物を覚えるには、プラスかマイナスになる要素があって、覚える事がプラスになり、面倒臭さがモチベーションを超えず保てるかが、記憶するのに重要となっていると思われる。
つまり、
- 友人=好き、楽しい=覚えるとプラスになり、面倒臭さをモチベーションが勝る
だから友人は覚えられる。
- 初代ポケモン=好き、楽しい=覚えるとプラズになり、面倒臭さをモチベーションが勝る
だから、ポケモンも覚えられた。
ちなみに現在は、未履修作品が数シリーズあり、数百匹の新ポケを覚えるモチベーションが無いので、ビジュアルが気に入った物ぐらいしか覚えられないだろう。
- クラスメイト=プラス?=覚えるとプラスに多分なるが、プラスに実感がないので、面倒臭さをモチベーションが勝らない
となっているので、全員を覚えようなんて気は、何も無いと起きない。
残念ながら私は、映画等に出てくる部下の顔と名前を全員覚えている名将には、なれそうもない。
- 英語=プラス?=覚えるとプラスになるのは分かるが、使う場面が具体的に見えないので、面倒臭さをモチベーションが勝らない
だから、英語は、何も工夫しないと覚えられない。
他の教科もだ。
ちなみに、漢字は書けないが読めると言う状態で、読めるのは読めた方が小説ではプラスになるからだ。
- プロンプト用の英語=プラス=覚えるとプラスになり、面倒臭さをモチベーションが勝る
となるので、同じ英語でも、プロンプト用の単語だけはスルスル記憶出来る。
逆に、マイナスの時は、
- 危険なクラスメイト=マイナス=覚えるとプラスになるので、保身の為に面倒臭さをモチベーションが勝る。
となり、覚えていると思われる。
他の人が気になったり
記憶を苦もなく出来る人は、どうやってやる気スイッチをオンにしているのだろうか。
- クラスメイト=プラス=覚えるとプラスに多分なる実感があるから、面倒臭さをモチベーションが勝る
なんてオートのジャッジが自分の中で動いている人ばかりでは、無いだろう。
暗記が得意な人は、語呂合わせを使うにしても、ゲーム感覚にするにしても、どういう心境で覚えなければならない事を覚えているのだろうか。
覚えなければならない事は、覚えられない私でも分かっている。
覚えなければならないから覚える事が出来る人は、どこに違いがあって記憶に定着させているのか。
私のタイプの覚えるのに斑がある人は、面倒臭さをモチベーションが勝ってくれないと、脳が記憶への定着を受けつけてくれない。
覚える気は表面的にはあるし、本人は本気で覚えたいし、覚えようとしているのだが、セルフでもナチュラルでも、適切なモチベーション管理をしないと、ビックリするぐらい、まるで頭に残らないのだ。
だから、テレビや配信を見ていても、見覚えがあるが知らない人の率が、見ている内に自然と覚える人に比べたら、相対的に少なくなりがちだ。
それとも、私が大きな思い違いをしていて、顔と名前が一致する人は、覚えている全ての対象に対して深く考えが及び、面倒臭さをモチベーションが勝るぐらい価値を感じているのだろうか。
私は、こんな世界観の認識だから、昔から人に興味が無いとかサイコパスだとか言われる時があるが、別に興味が無い訳ではない。
興味が出た人に興味が湧き、興味が無い人への興味は近くにいようが視界に入ろうが無いだけだ。
逆に、興味が薄い、あるいは全く無い物に対して記憶出来る程に興味を持てる人は、どんな精神構造をしているのかが知りたいぐらいだ。
覚える為の工夫
上記の通り、興味が湧かないと、脳が拒絶してきて覚える事が出来ない。
覚えられないから、はなから覚えなくて良い様に、しっかり管理方法が決まったメモ等に記録をつけて、それを外部記憶装置として使う事で、興味が無い事へは対処するしかない。
これが大前提だ。
どうしても覚えなければならないモノは、モチベーションと繋げて、脳の覚えを良くする。
モチベーションとの繋げ方は、報酬と繋げる以外に、好きな物の関連物や比較物として覚えるとか、かなりの種類がある。
好きな物の関連物として覚えるのは、好きな物をトリガーに、その周辺に記憶する物をツリーにしてしまう覚え方だ。
好きな物をより深く理解する為に必要と言うモチベーションを持てれば、モチベーションが面倒臭さを超えやすくなる。
人なら、グループの一人を覚えさえすれば、そのセットとして周囲の人を覚えやすい。
ただし、モチベーションを上げにくい物は特にだが、モチベーションがあっても、物を覚えるのにはSPとかMP、あるいはHP的な物を消費する。
つまりは、単純に記憶するだけで、超疲れるのだ。
この疲れを、みんなは乗り越えているのか、それとも日常的な記憶ごときで疲れるとかマジで軟弱と言う話なのかは知らない。
だが、覚える気が無い物を覚えるには、こちらとしては「身体保ってくれ! 界王拳10倍だあああぁぁっ!」的な覚悟が必要となる。
これが、言っても理解してくれる人の方が少なく、まず共感されない。
特に、営業系の人は「絶対営業とか無理でしょwww」とか言ってくる。
いや、それは、ホントそう思う。
営業やった事無いけど、顔と名前以外にも覚えないといけない情報沢山とか、職業適性が合っているとは到底思えない。
と言うか、みんな脳の体力だか、記憶筋力、あり過ぎでしょ。
ちなみにだが、このブログは、私の外部記憶装置的な側面も、しっかりある。
でも、書き込むと脳に定着しやすい物だけは残るから、詳細の確認が必要じゃ無いなら見なくても結構頭に入ってたりする。
じゃあ、覚えなければいけない物は全部ブログ記事にまとめればと思うかもしれないが、興味が無いと、やっぱりビックリするぐらい残らない。
覚えなければいけないと言う必要性より、興味に記憶のスイッチが支配されてて、記憶しにくい事が世の中多すぎる。
これって普通?
暗記得意な人とか、羨ましいわぁ。