先制攻撃の罪の重さについての考察

先に手を出した方が確実に悪い

先に何らかの攻撃を相手に加える事は、故意でも偶然でも争いを産み出す。

争いを産み出せば、当然だが反撃がやってくる。

先に手を出した方が悪いのは、非常にわかりやすい。

しかし、世の中、意外と口撃に対する反撃が暴力だと、暴力の方が悪いとする人が一定数いる。

正当防衛でも過剰防衛になれば罪になるのが現在の法律なのだから、その点では一定の納得感もある。

だが、そもそも先制攻撃が無ければ争いが起きない以上、過剰防衛だとしても先に口先だろうと挑発や精神攻撃をした方が悪いに決まっている。

そして、その先制攻撃の非は、過剰防衛を受けたって消える訳では無い。

先制攻撃の罪は、とてもとても重い

攻撃は何らかの反撃を産み出す可能性を秘めている。

攻撃をしたのに反撃が返ってこないのは、

  • 何らかの力の差を計算して反撃によるリスクがあると攻撃を控える場合
  • 攻撃を全く別の方法で返そうと考えている場合
  • 相手にしていない、する必要さえ感じないレベル差がある場合
  • 相手の負債として心に留め、カウントダウンをする場合

等があり、それ以外では基本的に何らかの反撃が即返ってくる。

その際、口撃に対しては口撃を、暴力に対しては暴力を、なんて事を真面目に考える人もいるが、それが通じない人も世の中大勢いる。

いずれにしても、どんな反撃が先制攻撃者に返っていくとしても、分かっている事は先制攻撃者に必ず非が有ると言う事である。

ここに例外は無く、先制攻撃者は反撃を受ける覚悟が無ければならず、力や立場の差で反撃は無いだろうと考えて先制攻撃をした場合、計算通り無ければラッキーだが、計算が外れて恐ろしい反撃が返ってくるとしてもそこに弁明の余地は無いに等しい。

故意なら自業自得、偶然なら不運

例えば、猛獣の尻尾を踏んで、その結果噛み殺された人がいるとしよう。

故意に尻尾を踏んだなら、尻尾を踏んだ反撃が殺害なら過剰防衛と言えばそうだが、踏んだ人が悪いのは分かるだろう。

踏む気は無く偶然踏んでしまった場合、それで噛み殺される事態になったら、自業自得とは思われないが不幸だったと思われる。

尻尾でなく、縄張りへの知らず知らずの侵入で同じ事があっても、同じように思われる。

いずれにしても、先制攻撃をしたからには、相手からの反撃の結果、相手によっては殺されても仕方が無いぐらいの「罪の重さ」が、先制攻撃には、ある意味で存在するわけだ。

これは猛獣ではなく人でも同じ事だ。

「撃って良いのは撃たれる覚悟がある者だけ」とは、そう言う意味でも真理と言える。

先に撃ったら、撃たれても仕方が無い。

挑発で暴力を誘発させる意味

とは言え、言葉や記録を気を付けた挑発行動による暴力の誘発は、相手を先制攻撃者に仕立て上げる罠として運用するのであれば役に立つ。

そもそも挑発によって暴力を誘発させようとする事が作戦で有効なのは、先制攻撃の罪が非常に重い事を利用した、反撃の口実作りの為である。

挑発による暴力の誘発に意味がある以上、先制攻撃の罪が重い事は誰もが理解していて、当然、挑発した方が真に悪い事は誰の目から見ても明らかだ。

これを、挑発は物理的に傷つけていないからノーカンと言う判断を下す人々は、本気でそう思っているなら挑発で暴力を誘発させる様な卑怯者よりも頭が悪いと言わざるを得ない。

みんな、当然、先に手を出した方が悪い事は分かっている。

それでも、この挑発による暴力誘因が役立ってしまうのは、過剰な反撃を先制攻撃と誤認させ、先に暴力を振るった方が悪い様に誤認させる事が、上手く行けば可能だからだ。

昨今の偽旗作戦

ウクライナ侵攻時に見られた偽旗作戦には、相手からの先制攻撃の自作自演によって、反撃の大義名分を作り出す卑怯な戦法があった。

情報戦で様々な情報が錯綜して何が本当か分からない状態だったが、わざわざ自作自演をするのは、先制攻撃の罪が重い事を誰もが分かっている為だ。

これが少し滑稽なのは、現在の情報化社会で偽の情報を本当の事の様に広めようとすると、よほどうまくしない嘘が嘘とバレるリスクがあり、結果的に偽旗作戦をやった方の悪評が広まり、結果的に自分を被害者に見立てて先制攻撃をされた事にして先制攻撃をしようとした事がバレてしまい、先制攻撃をせずして先制攻撃の罪を負うリスクがある事だ。

今ほど情報の速度が速く無かった頃であれば、プロパガンダに使う事も出来ただろうが、今ほど情報が溢れかえり、見る人の目と発言に晒される状況では、内の情報は多少統制出来ても外側は何もする事が出来ないに等しい。

口はホントに災いのもと

世の中、色々な人がいる。

すると、同じ言葉でも受け取り方が人によって違い、意図せず相手にネガティブに受け取られる事も、良くある。

先制攻撃の罪は重く、偶然でも成立してしまえば、一定の非を負ってしまう。

偶然でも非を負ってしまった場合、理不尽な事だろうと攻撃を受けるリスクが発生する。

予期せぬ誤解からの反撃と言う先制攻撃を誘発させ受けた場合、大抵の場合は、どうする事も出来ない。

出来るのは、誤解を解く努力をすることぐらいだ。

問題は、勘違いした相手は誤解である事を認めると先制攻撃の罪を背負う事になるので、それを認める事は心理的に難しい。

そうなると、誤解を解く相手は審判をする人や、世間と言う事になる。

そこの誤解が解けても、先制攻撃をされた痛みは反撃しても消えず、反撃をしたとしても少し気が晴れるぐらいで負った負債を清算する事は難しい。

勘違いによる反撃的先制攻撃

京アニ放火事件の様な、常識的に考えて在り得ない思い込みからの反撃と言う名の先制攻撃を受ける事があると考えると、自己表現も口と同じく命懸けな部分が実は潜在的にある可能性を考えてしまい、本当に嫌な事件だと気が重くなる。

京アニ放火事件の場合、裁判の模様を見る限り犯人側が完全に先制攻撃者となっていて、京アニの被害者側に非が一切無いのに、犯人が被害者面をする認知の歪みが見て取れて、どこまでも余計に救いが無い。

「パクられた」と憤慨しての放火らしいが、本気であの内容で「パクられた」と考えているのであれば、創作者として未熟すぎると言うか、創作に向いていない風に思える。

成功者にパクられたと思い込み、そのせいで自分は成功出来ないと思い込みながら周囲に邪念を振りまき攻撃性を発揮し続けるのは、いくら何でもヤバいし、想像するだけで生き辛そうだ。

勘違いだとしても、先制攻撃者となってしまった罪は重く、その罪は適切に清算されなければ被害者も関係者も納得出来まい。

終わりに

先制攻撃は、死ぬほど罪が重い。

そして、肉体的暴力を伴わない、精神的な口撃や間接的な嫌がらせであっても、先制攻撃に変わりはなく、それが偶然で、故意で無くても先制攻撃判定される事があり得る。

なので、出来る限り先制攻撃は避けよう、と言う話でした。

一方で、先制攻撃は客観的な証拠を集める事さえ出来れば、相手の罪として反撃の機会を得た事になります。

これは、例えば、ブラック企業の給与未払いとかも、同じです。

ただ働きの強制と言う先制攻撃を証拠を残し集めておけば、労働基準監督署を召喚出来ますよね。

ソシャゲでガチャテーブルを弄ると言う先制攻撃をプレイヤーが受けたら、消費者庁コラボの為の証拠を集めておくのが吉でしょう。

先制攻撃は、成立し、相手が反撃可能な時点で、ボコボコにされても文句言えません。

過剰防衛で反撃者が裁かれるとしても、先制攻撃者の罪は消えません。

反撃を受けない確証があるか、反撃不能になるまで初手で倒しきる覚悟が無ければ、先制攻撃は大抵良い結果を呼びません。

余談:試合の場合

既に何かしら争う事が決まっている場合、争い方によっては先制攻撃は非常重要です。

先制攻撃によっては有利不利が生まれたり、初手で勝負がついたり、勢いづいたり。

先制攻撃の罪が重いのは、争いが何も無い場合の話と言う事ですね。

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