運は、引き寄せられる?
運勢、運命に惹かれるだろうか?
それとも、そう言う考え方は苦手だろうか?
世の中、占いに一喜一憂し、中には有名占い師に大金を払う人もいる。
ちなみに、私は占いやスピリチュアル、あるいは宗教的な物とは相性が悪く(と言っておこう)、これまでの人生でそう言った物が役に立った試しが無い。
だからと言って、そう言った物を頭ごなしに否定する気も無く、運任せの際に占いを指針とする生き方自体は決断するリソースを減らせる点でロジカルとさえ思っている。
お守りと言う概念は好きだし、オカルトや幽霊の類もモチーフとしては非常に好きだ。
実際に実在するかは分からないし、知らないが、フィクションとしてこんなに魅力的なテーマである。
で、そんな科学万能にも染まり切っていないが、超自然的な存在を本気で信じるほどロマンチストでも無い程度の私が、運について考えている事を備忘録的に残す。
運は、果たして引き寄せられるのか、引き寄せられるとしてどうすれば良いのかについてだ。
運は、干渉出来るが制御は出来ない
運とは、認識外の領域からもたらされる変化の良し悪しで決まる。
認識外からやってくる変化の良し悪しを、人はラッキーとかアンラッキーと感じる。
運を感じる本人から認識外の領域からもたらされる変化なので、本人からすると制御出来ない。
しかし、認識外の領域に対して本人が影響を与える事自体は可能なので、程度こそあるが干渉する事は可能な領域があると言える。
認識領域外への影響
認識領域外への影響によって、操作可能な運と不可能な運がある。
これは、認識領域外への影響によって、操作可能範囲が決まってくる。
例えば、身嗜みを整えると言う事は、外部へのイメージを向上させ、本人の認識外への影響を発揮し、行動範囲の中で周囲に影響を与える。
すると、身嗜みを整えていただけなのに、誰かに声をかけられるなんてイベントが起きる事があり得る。
しかし、身嗜みをどんなに整えても、家から一歩も出ず、ネットもしなければ、外見を整えると言う事による影響力の効果範囲に他人が入る事が無く、認識領域外への影響を発揮する事が出来ない。
シンデレラは舞踏会に行ったから王子様に見染められたのであり、屋敷から一歩も出なければ見染められる事は無かった事と同じだ。
つまり、認識領域外への影響を出来るだけ大きく強くする事が、結果的に運を引き寄せるには必要不可欠と言える。
家にこもるよりは外に出るでもネットに繋がるでもした方が良く、外に出るだけネットを見るだけよりも認識領域外への影響を狙った通りに出せる領域に近づいていく事が非常に重要と言う訳だ。
例えばプロの絵師になりたい場合、描いた絵を自分だけが見るのではプロの絵師になんて一生なれないが、絵がSNSに貼られればそれだけで確率は上がるし、コミケにでも出て作品集を売るなりすれば更に認識領域外への影響は家の中よりはマシになるだろう。
外へ外へ、狙った外へと影響を与える事が、結果的に認識領域外への影響によって運を引き寄せるのに役立つ。
少なくとも確率は引き上げる事が出来るわけだ。
宝くじは買わないと当たらないし、沢山買わないと当たる確率を引き上げる事は出来ない。
他人の中の分身による影響
影響は、対人こそ最強と言える。
人は、人と知り合い、接触すると、他人の中にキャラクターとも言える分身を残す。
他人の中に残った分身は、他人を介して更に他人へと伝言ゲームの様に伝わり、認識領域外への影響力が間接的に広がる。
なので、人脈やコネクションは多大な意味を持ち、多くの場合、次の出会いや、趣味や仕事の切欠に繋がる事になる。
影響力磨きが運命力を強める
外へ向かい生きて、認識領域外への影響を広げても、その影響が他人に行動を起こさせるに足るレベルに無ければ、その先で更にサイコロを振る様な運が求められてしまう。
そこで、サイコロを必要としない場合に、認識領域外で選んで貰う為に、影響力を強める必要がある。
絵であれば、より上手い方が影響力があるだろうし、漫画であれば、より面白い方が影響力があるだろう。
運を引き寄せる為には、影響範囲を広げつつ、影響力も強める方が、絶対に良い。
運の力
自分より若く、自分より実力が無い人が、自分より遥かに運が良く、成功を掴んでいたら、それは面白く無いかも知れない。
だが、影響範囲や影響力が相応でない場合、かなり初動で運が良くても、一度掴んだ運を人は手放してしまう事もあるし、そこで実態が伴う変化をした場合は運以上の物を持っていた事になり、そこには一定の納得性がある。
運とは、初動の切欠を掴む力が一つ。
多くの人は、初動の切欠を掴む事さえ難しく、認識領域外の影響を考えずに「良い事起きないかな」と考えがちだ。
欲しい、あるいは必要な幸運を引き寄せる影響範囲に行動範囲がマッチした時に、人はラッキーを得る準備が整う。
そしてもう一つ、掴んだ切欠を物にする力が無い場合に、物にする後押しを引き寄せる力がある。
これは、遅効性の運であり、認識領域外への影響で干渉出来る場合は、普段の行いが物を言ったりする。
要は、本当に困り果てた状況で、万策尽きた時、認識領域外からの「お困りですか?」と言う助けは、助けてもらうに足る外部への影響力が必要であり、それを得るには外面的に整っている必要がある場合もあれば、他人との絆が必要な場合もある。
道を迷っている時に、美女であれば「お困りですか?」と声をかけて貰えるかもしれないが、見た目がイカツイ強面では、声をかけるのに勇気がいり、マイナスの影響によってラッキーを引き寄せられないかもしれない。
強面でも、友人が多ければ「よお、どうした?」と知り合いが助けてくれるなんて事が起き得る。
こう言った準備が運を引き寄せる。
終わりに
運を引き寄せるには、
- 認識領域外への影響を広げる
- 認識領域外への影響力を強める
- 影響と影響力を干渉可能範囲で自分にとって都合が良い様に普段から整える
- 運なので、試行回数を可能な限り増やす
つまり、いつも衛生的で健康的で、他人に友好的で社交的で、能力的に優秀であるアピールをする事が、僅かでも干渉可能な運を引き寄せるのに、回り巡って役に立つと言う事だ。
ちなみに、突然の隕石や雷とか干渉可能範囲外の運は、当然だが個人での干渉は難しい。
本当に不運が重なる時もあり得るので、その時は不運を不運と受け入れると良いだろう。
不運で済む事を自己責任とすると、人は簡単にストレスで潰れてしまう。
もっとも、自己責任がある事を不運にするのは、それはそれで問題があるが。
ちな、私は不運を引き寄せた場合は、レアな経験をしたと可能な限り楽しむようにしている。
ゲームやCDを買ったら中身が無い、誕生日にレゴブロックのセットをプレゼントして貰ったらパーツに溶解した痕跡がある、ポテチを買ったらカラッと揚がった芋虫が混入、初期不良品を引き当て返品交換したら別の不良品を引き当てる、自分ではどうしようもない不運は生きていれば幾らでも遭遇する物だ。
いや、いくら何でも不運すぎるだろって思う事もいっぱいあるな。
豪運への憧れと、他人の認識領域外の存在として
余談だが、やはり1枚買いで1等当選とか、憧れるよね。
誰か、この記事とかを1枚買い扱いにして、私に1等当選を体感させてよ。
そんな事を考えつつ、私が誰かの1等となる状況はあるのだろうか?
1等を他人にもたらすには、相当の価値を作るか提供出来ないと難しいから、他人に1等当選させたくても結構大変よな。
Make a one-time donation
Make a monthly donation
Make a yearly donation
Choose an amount
Or enter a custom amount
Your contribution is appreciated.
Your contribution is appreciated.
Your contribution is appreciated.
DonateDonate monthlyDonate yearly