「世界漂白化に怯える社会」に対しての考察

ほら、やっぱり間違ってたんじゃん

「こういう物だから」「これが常識」「昔からそうだった」

そう言った、個人から見ると自分が受けた苦しみを下の世代にも味合わせないと不公平と言う弱さ、集団から見ると実態的ルールとなった物を変えると社会が成り立たなくなるから従わさざるを得ない無能さによって許容されてきた「悪」。

近年、特にそう言った物の問題が表面化して来ている。

記事執筆時の直近では、宝塚歌劇団のパワハラ自殺騒動が話題だし、その前にもジャニーズ性加害問題や旧統一教会問題もある。

この流れは、ブラック企業やブラック校則・部活等と言う言葉の登場によって会社や学校に優劣が付いた時代を経た自然な物で、フェミニズムやポリティカルコレクトネス、人種差別や男女差別の戦いにまで遡り、社会が抱えた間違った状態を是正したいと言う流れが、より細部にまで浸透してきている証拠とも取れる。

突出した問題提起は、集団に外圧を与える

ジャニーズ問題はBBCと言った海外からの圧力によって途端に動き出した。

旧統一教会問題も、元首相暗殺事件と言う前代未聞の問題によって動かざるを得なくなった。

宝塚歌劇団パワハラ自殺騒動も、団員の自殺と言う大問題によって触れざるを得なくなった。

こう言った問題の分かりやすい噴出は、SNSが行き渡り個人が力を持つ現代において、人々の正義感と問題と向き合う気持ちに火をつけやすい。

大半の人は、問題と向き合うと反応し、その内の何割かが問題の解決に動き出す。

これは、つまり、問題を解決する事に価値があるほど大きな問題と感じられる、そんな問題を提示出来れば、正義の味方達が解決に助力してくれる可能性を意味している。

大きな問題を解決する為には、共有して価値を提示する事が有効と言う事だ。

問題内包集団側の人は、反発する

問題を内包した集団側の人は、問題噴出をした際、自分達が大きな変化を求められる場合、十中八九反発し、今まで通りであろうとする。

これは、当然保身もあるが、対処を求められている事が構造的な問題である場合に、大きな構造変化が求められ、とんでもなく面倒臭い上に当人達は近い目で見ると得をしないからだ。

こうなると、問題を抱えている側の人には、問題提起した人が敵に見え、なんとしても潰して今まで通りであろうとする力が働く。

すると、被害者や関係者に攻撃的になったりする人が出て、二次被害を産み出す。

しかし、長い目で見ると現状で維持が難しい集団構造を持っているのであれば直した方が良いし、被害を出せば清算を必ず求められるので、逃げ切ろう等考えずに痛みや恥辱を味わうとしても問題解決には早々に取り組んだ方が良い。

なのだが、それが問題の内側にいる人には見えない事や、見えていても怖くて選べない事が多く、結果的に問題の外側からなら分かる愚かな行動を堂々と取ってしまい、自身の首をギューギューに絞めていく。

会見を見ている人達からすると「正気かな?」と言う事が起きるのは、内側にいると本当に自分の置かれた状況が把握出来ないからだ。

今の世界は正しさと自由を求めている

現代、人権意識やSNS等の普及により、人々は正しさや自由を求めている。

結果、正しくない物と不自由な物は、より正しく、より自由にを強制され、正しくないが正しさより価値があるか、不自由だが自由より価値があるか、そういった価値を個人に与える事以外は許容されず、集団からすると価値があるからで運用されていた間違った不自由なルールは存在が許されなくなってきた。

この流れは、行き着く所まで行って、底を打って反発するまで続くだろう。

この個人にとっての正しさと自由と、個人に価値を与える間違っている不自由が徹底された集団は現代でも強いが、そうでない集団は漂白化とも言える流れによって、同じ状態を求められていく。

これは、細部にまで浸透し、家族は毒親や毒兄弟姉妹となり、ブラック企業やブラックカルト宗教で世の中は溢れる。

これらは、昔と何も変わっておらず、漂白剤として時代の流れが正しさや自由と言うホワイト化を求め始めた事で、黒かった事がバレてしまっただけの事だ。

自ら漂白を使いこなす集団と、付け込まれ真っ白にされて死ぬ集団

洗濯の際、漂白剤には使い方に注意が必要だ。

これは社会の漂白化にも言えて、もう、漂白自体は強制なのだから、自分達でどの服を漂白化して良くて、どれが漂白化で無く手洗いで出来る限り綺麗にするかを選んだ方が、服は長持ちする事と同じ事。

他人に漂白化を強制されるまでに真っ黒になった状態になると、漂白剤の投入に対して自分達で分別する猶予が与えられず、結果的に漂白剤を使ったら台無しになる服も一緒くたに洗われてしまう。

それを、多くの人々が分かっていない。

漂白化は、服の洗濯と一緒で、漂白剤や服を選択する余裕が無ければ大変な事になる。

社会は、ドス汚れた集団に対しては、汚物の付着や内包を想起し、早急に強力な漂白剤を投入して全部一気に洗い、とにかく完膚なきまでに白くしたいとウズウズしているのだ。

エンタメ消費される漂白と言う正義執行

とは言え、当事者以外から見ると、悪行や圧政で成長していた事がバレて叩かれる悪の組織が袋叩きに遭う光景は、洗剤のCMで汚れが綺麗に落ちて真っ白になるイメージ映像を見ている様で愉快だ。

頑固な汚れだとしても、社会公認の汚物集団と実態的になるので、サンドバッグ扱いで延々ネタに出来るだろう。

この実社会のエンタメ的な消費は、一種のおぞましさがあるが、同時に消化不能な感情をそうでもしないと消化したり吐き出せないと言う人の性質も物語っている。

人は受け取った情報をインプットし、それをもとに何かしらのアウトプットをする。

現代は、このインプット情報が多すぎて、テレビやネットを介した現実でも、全てを自分事として処理し、反応や行動するにはキャパがオーバーしている。

そうなると、もはや対岸の火事やフィクションの様に処理するしかなく、それを個人の中で少しでも価値がある物とするなら楽しめる物を求め始め、各個人が現実をエンタメとして消費する図式が出来上がっていく。

情報過多な情報未整理社会による現代病と言った所で、これはAIによって情報が整理され個人により寄り添った社会になれば、また多少変化する物と言えるかもしれない。

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