管理者「もしかして、管理者って有利じゃね?」
使命や任務があったのに、与えられた権限の有利さや、自分の存在意義の為に管理姿勢が変わってしまう管理者がいる。
こうなると、管理下の存在が影響を受けて歪み始める。
この記事では、そんな「管理者の私的な暴走」を描く作品を紹介していく。
ネタバレを含むので注意。
現実でも「管理」と言う仕事・役割を任されているだけなのに、「管理者は偉い」と勘違いしてしまう事で良く起きる。
管理者は管理権限を持っているだけで、それだけでは別に偉くも何ともない。
環境の管理をして効率的に目的を達成する事が役割であり、身体で例えるなら神経の様な物である。
ビジョンを掲げたリーダーならともかく、管理者は脳味噌では無く、手足を上手に動かす為の神経に過ぎないのだ。
ただ、実態的に権力が集中しやすい状況になりやすい為、結果的に偉く感じる立場と言う話である。
実際、管理する権限が増えれば、様々な事を自由に出来る様な万能感を感じるだろう。
だが、それでも、トップで無い限りは、管理者は脳では無いのだ。
なのに、脳の様に振る舞ってしまう事がある。
この様な組織の腐敗を防ぐ為に、組織は不適格な管理者を排除出来る体制を持つ場合も多い。
例えば、多くの国では「弾劾( 英語ではImpeachment/インピーチメント)」と言う制度があり、身分保障された官職にある者を、義務違反や非行などの事由で、議会の訴追によって罷免し、処罰する手続きが存在する。
一方フィクションの場合は、弾劾裁判や告発よりも、犯した罪を命を持って償わせる過激な場合が多い。
いずれにしても、威張り散らして勘違いしている管理者が正され「わからされる」展開は、多くの人にとっては、スカッとするモチーフであると言えるだろう。
それだけ多くの人が、管理者に日頃から困らされているとも言えるわけだ。
良い管理者……親、先生、上司、政治家、等々と言った人と共にいられる事は、実は大きな幸運と言える。
愚かな管理者の下にいる事は、それだけで不幸な未来が待っている可能性が高まるからだ。
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