全員の不快を全て消すと、誰も何も表現出来なくなる
現在、アニメが絶賛放映中の「推しの子」と言う作品。
1話目で、単行本1冊分の内容を90分で一気に流し衝撃的なプロローグを超ハイクオリティで流し、大きな話題となった。
その後も、芸能界の裏側を舞台に敵討ちの為に暗躍する主人公アクアの活躍と、次々登場する魅力的なキャラクター達に魅了され、今期の覇権アニメと言う風格を漂わせている。
その中で、恋愛リアリティショーをモチーフとしたエピソードが、実在の事件をあまりにも想起させると言う事から、軽く炎上じみた反応がSNSで見られた事があった。
これは結局、世界中で同様の事件が以前から起きている事をモチーフにしている事、エピソードの連載時点での構想や執筆の段階が、事件の時系列よりも前である多数の証拠が作者や出版社側にあった事で、
- 世界中でリアリティショーへの出演によって病んで自殺する人がいると言う社会問題をテーマとしてエピソードを練る
- 執筆中に問題提起を行いたいテーマの事件が、まさかの日本でも起きてしまう
- 悪い偶然が重なったが、日本の事件単体をモチーフにしている訳ではない等の事から計画通り連載される
的な状況が分かり、冷静な一般人や作品ファンの間では大した問題とならず、記事執筆時点では作者も出版社も大々的な反応をせず、勘違いから作品に噛み付いてしまった人達も大半は冷静となり、有耶無耶となっている。
今回は、証拠があり問題無かったが、この実在の事件をモチーフにしている疑惑問題は、創作の世界では時々起きる。
そこで今回は、この問題について考察してみる。
“作者と無関係な事件などの出来事をモチーフにしても良いタイミングや条件の考察【推しの子問題から見える事】” の続きを読む