今回の講義のテーマは、そもそも物語とは何かと言う事について。 全体のマップで言うと、ここ。 基本的な部分だね。 物語の定義論は、昔から色々な所で語られて、人によって出した結論も結構ひらきがあったりする事もあるもの。 だから、これから講義の中で話す内容を違うと感じるなんて人も、もしかすると、いるかもしれない。 切り口や立場、立ち位置、抽象度や具体度によって、物語の定義には、揺らぎがある。 でも、先に言っておきたいのは、今回、話をする物語の定義は、何も昔の偉い人が言っていた事の受け売りだとか、私がこう思っているからと言う理由だけで、提示するのでは無いと言う事。 経験則だけでない理論があって、物語と言う物を客観的に、ロジカルに定義していくと、こうなると言う、事実をベースにした話をしていくつもりだよ。 なので、気に食わないと感じたとしても、頭ごなしに「これは違う」と拒否するのでは、なく、一度受け止めて欲しい。 事実の部分は、逆立ちしたって変わる事は無いので、気に食わない切り口だとしても、事実は事実なので「そう言う考え方があるのだな」と、出来れば受け入れて欲しいんだ。 と言うか、受け入れて貰えないと、この先の講義で、ぶっちゃけ話にならない大前提の話を、これからするわけ。 だって、主観的で思想的な考え方や意見でなくて、この現実の世界が、そう言う物と言う話の部分は、受け入れるか、無視して見えないフリをするしか、無いよね。 私は、こう思うと言う話ではなくて、物語とは、こういう物と言う話をするので、無視されてしまうと、前提の話が後で噛み合わなくなってしまうんだよね。 だから、まず、その辺を理解して聞いて欲しいかな。 あなたが今持っている「物語とは何か」と言う定義が、これから講義の中で話す事と近いか同じなら、この講義は事実確認であり、あなたがストーリーテリングを今回初めて学ぶとしても、認識は正しいので、安心して良いし、何なら今回の講義を聞く必要が無かったかもしれない。 反対に、あなたが今持っている「物語とは何か」と言う定義と、少し違うとか、欠けているとか、多すぎると言った場合、その持っている定義に付け足したりして、補足的に聞いて欲しい。 元から持っている定義を捨てる必要は無い。 きっと、定義の両立が出来る人が、ほとんどだと思うからね。 両立が出来ると言う事は、切り口が違うか、部分的に合っているか、より具体的な認識と言う事なんだ。 その際、より具体的と言う事は、定義する物語の当てはまる範囲が狭まっていると言う事が言える。 もし、それで困っていない場合は、その狭まった定義の中にある物語が、あなたの得意な物語だと思えば良い。 それは、とても良い事なんだ。 でも、もし、定義の両立が逆立ちしても難しかったり、今あなたが持っている「物語とは何か」と言う定義での、物語創作が上手く行っていない場合は、試しに今回定義する、一般的に正しいとされる「物語とは何か」と言う定義を、素直に受け入れてみて欲しい。 それだけで、物語に対して、向き合う姿勢が大きく変わる筈だから。 すると、上手く行っていない所が、それだけで解決する事もありうるんだ。 いきなり、前置きで、なんだか難しい事を言っているなと感じる人もいるかもしれないけど、要するに、一度、こんな理論があるんだと、素直に聞いて、受け入れて欲しいと言う話だよ。 と言う事で、前置きは、この辺で。 じゃあ、さっそく講義を始めるよ。 そもそも、さ、みんなは、物語と言う物が何なのか、考えた事は、あるかな? 好きなクリエイターやアーティスト、権威ある本とかが「こう言ってた、書いてた」とかを、そのまま鵜呑みにしている人も、結構いると思う。 それが合っていれば、全然良い。 と言うか、そんな人が殆どだと思うし、その内の大半は、合っていると思う。 間違った知識が、長く幅を利かせる事は、あまり無いからさ。 で、合った認識なら、数式を当てはめて使えば答えが出るのと同じで、創作する上では全く困らない。 だけど、物語が何かについて、分かったつもりで、実は分かってない人や、ちょっと勘違いしている人って、かなりいるんだよね。 その中には、ほんの少しの理解不足で、創作に困っている人や、スランプになっている人と言うのが、かなりいる。 でも、この物語とは何かって事が分かってくると、物語を作る時に、とても役立つ。 グラグラで穴だらけの傾いたの土台の上で作業していたなら、今回の講義を聞いて、腑に落ちる所まで認識を持って行ければ、強固な足場の上で安定して作業する事が出来る様になる。 でっ、どう定義を定めていくかと言うと、物語とは何かを、抽象的な所や、具体的な所から、必須要素を探して、徐々に丁度良いレベルまで、整えていく方法である程度定義する。 それから、既にある有名な物語の定義と比較して、ある意味理詰めする事で定義を明確に解説していくよ。 さてさて、物語って何だろう? まず、誰かに伝える物と言うのは、必須で異論はないと思う。 『誰かに伝える物』 物語を伝える形態は、様々だけど、文字でも、声でも、映像でも、絵でも、他の何でも、誰かに伝える物だよね。 自分を含め、誰かに伝える事が無い物語なんて、この世に存在しない。 断言して良い。 誰かに伝える物。 でも、伝える物が何でも物語かと言うと、それは違うよね。 人に対して話しかける事は、全部が物語とは違う。 メールは、物語とは言わない。 本だって、物語もあれば、実用書だって、ポエムやコラムだってある。 つまり、物語とは誰かに伝える物だけど、これだけだと物語以外が含まれてしまうと言える。 おっけー? まだまだ条件の絞り込みが足りないわけだね。 じゃあ、誰かに伝える物の中で、何が物語と言えるだろうか。 相手に天気を聞いたり、近況を聞くのは、あまり物語とは言えなそうだよね。 質問をするのは、それだけだと、何か違うみたいだ。 じゃあ、相手に自分の状況を聞かせるのは、どうだろうか。 これも、まだ何か違うみたいだ。 お腹減ったとか、伝えても、それだけだと物語っぽくない。 じゃあ、これはどうだろうか? 相手に、過去の出来事を聞かせるのは、どうだろう? つまり、例えば、昔こんな事があった、みたいな話だね。 これは、さっきよりも物語に近づいて感じるのが、分かると思う。 さっきよりも、物語っぽい。 相手に語り掛ける、過去の出来事についての話が、じゃあ、物語なのだろうか? そう考えると、過去の話しか物語じゃないみたいに聞こえる。 でも、実際は、過去だけじゃなくて、こうなったら良いなとか、夢を語ったり、未来の予定を話す事だってある筈だ。 なので、未来を予想した話も、物語と言えるかもしれない。 でも、過去と未来は物語っぽいけど、今起きている事を語るのは、あまり物語には感じない。 単純に、今その場の事を伝える必要が無いので、あまり意味が無いからだね。 でも、それを考えると、今、その場所以外の事を予想するとか、遠くから知る事は、物語になりそうだよね。 つまり、今その場、以外の出来事を伝える事が、どうやら物語の条件と言えそうだ。 『今、その場以外の出来事』 にこそ、誰かに、わざわざ伝える意味があると言えるわけだね。 でも、今その場以外の出来事を伝えたとしても、それだけで、全てが物語かと言うと、まだ少し違いそうだ。 昨日の天気や食べた物を伝えた所で、全然物語には思えない。 じゃあ、今その場以外の出来事を伝えるとして、どんな事を伝えると、物語に、人は感じるだろうか。 そもそも、伝えたい事とは、どんな意図があって共有したくなる物だろうか? それを考えると、伝えたい事とは、何だろう? それは、わざわざ伝えなければいけない事だ。 つまり、特別な事の筈だ。 今以外の特別な出来事を伝えると、より物語に近づくと言う事だね。 でも、ニュースは、聞いていて全てを物語には感じないだろう。 つまり、まだ条件が足りていない。 定義としては、まだ不完全で、弱い。 今以外の特別な出来事を伝えるとして、どうすれば物語に感じられるだろうか。 ニュースは、条件の何が足りていないのか? どうすれば、ニュースが物語に感じられるだろうか? ニュースは、いつ、どこで、何があったかの中で、特別な事を伝える物だ。 それだけでは足りないなら、何が必要だろうか。 交通情報や天気予報よりも、被害者や加害者のいる事件とかの方が、みんなも、きっと物語を感じると思う。 つまり、誰が、と言う情報があった方が良いみたいだ。 誰かとは、物語で言うと、登場人物だね。 登場人物がいれば物語を感じるかと言うと、まだ、それだけでは足りないみたいだ。 被害者と加害者の名前や年齢、写真がニュースで出ていても、そこに物語をニュースを見ている人のすべてが感じないと思う。 では、何が足りないだろうか? 被害者と加害者の関係や、事件に至るまでの出来事が分かってくると、ニュースを見ていても、少し物語を感じる人は増えるのでは、ないだろうか。 物語の定義として、登場人物の名前や年齢や見た目以外の、何かが重要みたいだ。 それは、何だろうか? 登場人物の設定も、事件の出来事の詳細も、あった方が良いに越した事は無いだろうけど、何が特に重要なのだろうか。 ニュースを見て分かるのは、登場人物の関係と、出来事を通して分かる動機と行動だ。 つまり、こんな関係の人が、こんな理由があったから、こんな事件を起こしたとか、そう言う事が分かる事で、物語は感じられるみたいだ。 でも、物語は、事件ばかりではない筈だ。 事件以外の物語では、何が必要だろうか。 ニュースでは、良い事も伝えられる。 人助けをした美談のニュースが流れる場合も、人は、そこから物語は強く感じられる事がある。 その場合、こんな理由があったから、人助けをしたと言う事が分かる事で、物語を感じる筈だ。 事件を起こすのも、人助けをするのも、どちらにも共通する物語を感じられる要素がありそうだ。 これらを合わせて、考えると、登場人物の行動が共通していると分かる。 今その場以外の特別な出来事の中で、登場人物が動機を持って行動すると、物語を感じられると言えるのでは無いだろうか? 先日、AさんがBさんにフラれたは、ニュースだ。 それよりも、 先日、AさんはBさんの事が好きで、告白をしたがフラれてしまったは、少し物語っぽい。 つまり、ニュースの速報の様な結果だけの提示では無く、詳細の中で、登場人物の行動を描く事が、物語では重要と言える様だ。 ここまでで、もう物語が何なのか、分かった人もいると思う。 『今その場以外の、特別な出来事の中で、登場人物が動機を持って行動するのを描写した物』が、物語と言える。 でも、果たして、こんな風に出来事を聞かされて、その物語は、面白いだろうか? 面白い物語と言う、限定的な定義に絞ると、どうやら全然必要な条件には届いていないみたいだ。 あくまでも、今その場以外の特別な出来事の中で、登場人物が動機を持って行動する事を描写する事は、物語っぽい話を作る、最低ラインに過ぎないのが分かる。 面白くなるかもしれないし、面白くも何ともない話になってしまうかもしれない。 なので、ココからは、面白い物語の定義を、掘り下げて探していこう。 さてさて、人に物事を伝えるからには、伝える意図があって、それは伝えるべき意味や価値がある事が、大前提の筈だよね。 つまらない事を伝えても、それは時間の無駄と言える。 では、意味や価値がある事とは、どういう事だろうか。 大雑把な言い方をすれば、面白い事そのものが価値だろうし、面白い事に価値を感じる時は、人は感動を求めていると言える。 感情が動かない物語には、何の価値も無い。 何かが面白くて、何らかの感動が出来る、今以外の特別な出来事の中で、登場人物が動機を持って行動する話が、面白い物語の条件と言えそうだが、じゃあ、面白いとか、感動って、どうすれば良いのだろうか? どういう事だろう? 例えば、相手に話をして、面白いとか感動出来るって反応を得るには、どうすれば良いと思う? 逆に、相手に話をして、面白くないと思われるには、どうすれば良いだろうか? 分かりやすい面白くない反応は、「あ、それ、もう知っている」とかがある。 つまり、面白い話は、相手が知らない事を話すから、価値がある側面があるわけ。 多くの人が知らないと言う事は、新しいと言う事も、同時に意味する。 何かしらが新しくて、相手が知らない話を聞いて、相手が期待するのは、何だろう? それは、驚く事だね。 意外な事実や真実、意外な展開、何かしらの意外さによって驚くから、聞いた人は面白いと感じる。 じゃあ、意外さは、どうすれば作れるのだろうか。 意外さとは、何か? 意外さって、組み合わせのミスマッチが調和する事で起きるんだ。 難しい? 例えばね、ラーメンとアイスクリームを混ぜて食べて、不味いのは、意外では無いよね。 でもさ、ラーメンとアイスクリームを混ぜて食べて、すっごく美味しいのは、意外だよね。 意外じゃない? とにかく、ミスマッチが調和する状態が、意外の正体だ。 それは分かった。 物語の場合は、出来事や登場人物や行動や状況が、ミスマッチなのに調和していると、その点では面白いと感じると言えるんだ。 今その場以外の、ミスマッチが調和している特別な出来事の中で、登場人物が動機を持って行動している事を描写するのが、面白い物語の条件で、定義と言えそうだ。 どうだろうか。 結構、理解が深まってきたかな? では、ここから更に、面白い物語の定義を出していこう。 「物語とは、登場人物の成長を描く物」と言う定義を聞いた事は無いだろうか? これは、半分正解の定義と言える。 合っているから、この定義を信じている人は、落ち込まなくて大丈夫。 少し全問的な話をすると、ストーリーテリングの世界で、旅物語等で見られる男性的と言われる自己犠牲的な物語では、自己犠牲的な成長を、 シンデレラの様な夢物語をはじめとした、女性的な自己実現的な物語では、自己実現的な成長を描く物が、多くある。 少し難しいかな? 説明すると、自己犠牲的な成長とは、誰かの為に出来なかった事を出来る様になる成長と言う事で、自己実現的な成長とは、自分の目標の為に出来なかった事が出来る様になる成長で、後の講義で詳しく説明するから、今はそう言うのがあるんだと言う認識で良いけど、とにかく、主人公が成長しないとバッドエンドになる物語の種類があると思って欲しい。 でも、主人公がメンター、つまり、師匠的な立ち位置の人だったり、探偵の様な立ち位置の物語の場合、主人公が出来ない事が出来る様になったり、精神的に成長しないのに、面白い物語も沢山ある。 主人公が出来なかった事が出来る様になる成長を描かなくても、主人公が出来る事を使って苦難を乗り越えさえすれば十分面白くなる話の種類があるわけだね。 つまり、面白い物語の定義として正しいのだけど、そう言った主人公が成長しない物語を除外した条件付きの定義と言う事になるんだ。 この成長を描くと言う要素は、今その場以外の、ミスマッチが調和している特別な出来事の中で、登場人物が動機を持って行動している事と言う物語の定義と矛盾せず、登場人物が動機を持って行動して目的達成に向けて動く事を描く上で、出来ない事が出来るようになる姿を描く事が重要な種類の物語があると言う認識をする上では、とても役にたつ。 ただ、先に半分正解と言った様に、主人公が成長しない物語も存在する事も、忘れない方が良い。 また、成長を描くとは、主人公が行動によって変化すると言う事で、つまり、行動による登場人物の変化を描く物と言う定義の方が、定義の表現として曖昧で、分かり辛いが、広く面白い物語と言う定義としては、より正確と言う事になる。 行動によって変化すると言う事なら、主人公がメンターでも探偵でも、定義として当てはまるからね。 次に、物語とは旅を描くと言う定義だ。 旅と言う表現は、ミスマッチが調和している特別な出来事に対して、行動の一連の流れを意味する表現と言える。 これは、旅が一つの目的地に向かう物で、目的地とは、物語の場合はエンディングであって、旅の間に人と出会い、旅をして目的地到達までに必要な行動を取る事をイメージする助けになる事で、物語を想像させやすくする良い定義と言える。 同時に、旅は、日常の世界を出て、非日常の世界を進み、再び日常に戻る傾向がある行為と言う事も、この表現の良い点と言える。 特別な出来事とは、非日常の世界だからね。 物語とは、日常系等のジャンルだとしても、必ず非日常が存在する事によって面白い物語となるのが、前提だ。 話が少し脱線するけど、日常系を描く上で、非日常を描かないで、面白い日常系は描けない。 日常の中で起きる特別な出来事を描くから、日常作品は面白いし、日常描写は非日常があってこそ輝く。 仮に、日常を描く物が物語だと定義しているなら、その点の認識は改めた方が良いかも知れない。 日常が舞台でも、日常を描くとしても、面白い物語として描く場合は、日常の範囲の非日常が必ずあって、何も無い平凡な日常では無いと言う認識だけは、認識しておかないと、思わぬ失敗に繋がる。 平凡な日常はかけがえのない物だが、それだけで面白い物語を作るのは、かなり難しいと言えるからね。 ああ、あと、 面白い物語は、感動したいから見たいのであって、どう感動させたいかは、とても大事な視点となるんだ。 ワクワク、ドキドキ、ハラハラ、ヒヤヒヤ、イライラ、ムカムカ、ゲラゲラ、喜怒哀楽を刺激する要素は面白い物語では、必須となるからね。 この様な感情の刺激は、感情の起伏を作る事が必須で、いかにして感情を上下左右に揺り動かすかが、面白さには必要不可欠。 つまり、登場人物や状況が、高いテンションから、低いテンションになるとか、あるいは、その逆を描く必要があるってわけ。 それを実現するには、意外性を際立たせる物が必要となるんだ。 意外性は、さっき言った通り、ミスマッチなのに調和している状態だよね。 それを際立たせるには、どうすれば良いか? 例えば、非日常を際立たせる為には、同時に日常の要素が必要と言う事になるし、その逆も然りだ。 日常をしっかり描くから、非日常が際立つわけよ。 他の要素も、大体そう。 日常から、非日常に行って、日常に戻るから、意外性は際立つし、面白い旅に見える。 でも、もし、旅と言う言葉のまま受け取ると、旅物語に似た種類の物語しか作りにくくなってしまうから、それは、成長と言う定義と同じで、面白い物語の種類を限定してしまう働きにもなりうる定義と言える。 あくまでも、例えの表現だと認識しないといけないわけだけど、成長の定義と同じで、あなたが旅物語を作るのが得意で好きなら、字面のままに定義しても面白い物語を作る役に立つからね。 次に、面白い物語は、謎を提示するとか、答えやメッセージを提示する、と言う定義がある。 これは、謎を、どう定義するかがポイントとなる定義だ。 物語の要素で、分かりやすい謎は、例えば、誰が犯人かみたいな隠された事実が、暴かれる物がある。 でも、この謎と答えとは、物語全体の流れとして、主人公が最後にどうなるか、劇中の試練を乗り越えられるか、と言った事も謎と答えに含まれる物と定義すると、定義として、より曖昧だが、正しいとも言える定義として機能する。 物語とは、主人公が出来事に対してどうするのか、主人公がどう行動するかを、見る人に気にさせる事が出来れば、それで、謎を提示した事になる。 謎の提示をして、見る人や聞く人に、それを「どうなるの?」と、気にさせる事が出来るか否かは、面白い物語の構成要素としては、必須の条件だ。 先がどうなるのか気にならない物語は、そもそも最後まで気にして貰えず、結果的に、ちゃんと見ても貰えないからね。 だから、ミステリーに限らず、謎と答えは、面白い物語の定義としては、ある事が前提なんだ。 次に、切り口を変えて。 主人公が動機を持って行動する事で、物語を描けるのは、もう分かった。 しかし、行動を描く上で、良くある失敗として、主人公がリアクションこそするが、アクションを起こせないと言う場合がある。 正確には、創作者が、アクションとリアクションを混同して、リアクションのみで、物語を作ろうとする事がある。 それの、何が問題だろうか? 一見すると、リアクションのみをしていても、主人公が出来事に対して反応して、対処の行動をしている様に見え、物語が動いて感じる。 でも、リアクションとアクションは、実は、全然性質が異なる物で、面白い物語の定義としては、登場人物の行動は、アクションとリアクションのセットで成り立っている。 なので、リアクションに重きを置くと、結果的に、行動しているつもりなのに、面白い物語の定義から、いつの間にか外れてしまう事があるんだ。 出来事の中で登場人物が動機を持って行動すると言うのは、面白い物語にする場合は、必然的に登場人物が葛藤を伴う事は、間違いない。 登場人物が葛藤しないで進む物語は、登場人物が葛藤するまでも無い出来事と言う事になり、何も困らず、その結果、何も変化を必要としないと言う事に自然となる。 登場人物が簡単に出来ない事を含む、アクションと言う、自主的な立ち向かう行動をしないといけないからこそ、葛藤が生まれる。 その場合、登場人物が成長等の変化をしないと、行動して達成したい目標が、達成出来ない状況になっている筈なんだ。 変化を必要とすると言う事は、出来なかった事が出来る様になったり、知らなかった事を知るまでの苦労を、物語では、描くと言う事になる。 動機があって、葛藤を乗り越えてまで行動して、出来なかった事が出来る様になったり、知らなかった事を知る為に苦労するのは、登場人物が達成したい願望があるからだ。 登場人物の願いとは、何か? それは、理想と現実のギャップを埋める事だ。 理想と現実のギャップを埋める為に、理想に近づく為の行動を苦労しながら取る必要が、面白い物語には、必ずある。 絵が上手くなりたい絵が下手な人は、絵の練習を自主的にしないと、絵がいつまで経っても上手くならないのと同じだね。 それは、自己犠牲的な行動でも、自己実現的な行動でも、変わらない。 現実を理想に変える為の行動は、トラブルへの対応や、チャンスへのチャレンジとなる。 立ち向かうのがトラブルでもチャンスでも、現実を理想に変える為には、登場人物がギャップを埋める積極的な行動を取らないといけない。 と言う事は、ギャップを埋める為に足りない物を探したり、補ったりする、アクションが必要と言う事だ。 これは、登場人物が目の前の問題を解決しようとする姿勢が必要で、問題の解決に向けた行動を取らない限りは、登場人物の手によって、目的は絶対に達成できない。 そして、目的達成の為の問題を解決する為の行動は、絶対にアクションであって、リアクションをいくら重ねても、問題は一向に解決されない。 殺人鬼に狙われたとして、ビックリして、逃げて、隠れてと過ごしても、リアクションだけの内は、殺人鬼は延々と追ってくる。 倒すでも、逮捕するでも、何か、アクションを起こさない限りは、ハッピーエンドは、手に入らない。 ギャップを埋めるには、アクションを描く必要があって、だから、面白い物語を描くには、必然的に問題を解決しようとする行動を描くのが必須となる。 これは、逆説的に、物語には問題が必須と言う事でもある。 解決するべき問題があるから、登場人物は、リアクションを取れるし、アクションを問題に対してする事も出来ると言うわけよ。 解決が難しい問題がある状況や、矛盾を解決しないといけない状況に置かれると言う事は、面白い物語には、皮肉な状況が必須とも言えてくる。 ところが、だ。 アクションと言う行動を描かずとも、面白い物語があると言う意見を時々耳にする。 アクションを描く事は、定義の上では、必須では無いと言う意見だ。 では、面白い物語の定義として、登場人物によるアクションや問題の解決を目指した行動と言った定義は、実は不完全なのか? と言うと、それは少し違う。 登場人物のアクションを必須にする事が、面白い物語の範囲を狭める事には、ならない。 面白い物語の定義では、間違いなく登場人物による問題を解決しようという姿勢と、アクションとリアクションと言う行動が、必須の条件だ。 では、アクションを描かず面白い物語とは、どういう条件で、定義づけた物だろうか? ここでポイントとなるのは、物語を表現する上で、見たり聞いたりする人が惹かれる「表面的な表現」の話である。 物語は、主人公や他の登場人物のアクションによってのみ、前に進む。 これは、絶対だ。 アクションを描かない物語は、勢いが無く、前に進まないし、一向に劇中の問題も解決しない。 登場人物がアクションをして、自発的に問題を解決しようと行動しなければ、物語の中の問題は、都合の良い奇跡が起きない限り、解決に向かわない。 それは間違い無い。 だが例えば、小説の場合は、文章や登場人物の台詞の表現で、物語の流れとは別に、場面によって感動や面白さを表現する事が出来る。 当たり前の話だけどね。 大自然の環境映像を見ていて、物語的な面白さは皆無でも、圧倒され感動する事もある。 内容は面白く無いけど、絵が上手くて感動する漫画だって存在する。 つまり、ここまで定義してきた面白い物語の定義は、実は、物語を構成する要素の話で、構造を強固にする為の必須条件であって、構造とは、構成する要素として何で表現するかと言う話になる。 一方で、ここで問題となっている面白さの種類は、構造によってもたらされる物では無く、表面的な見た目や演出的な話であり、構造の上に乗せて何をどの様に表現するかと言う話に大きく関わるんだ。 構造は、肉体で言えば骨格や筋肉や内臓と言った内的な機能の正常さ、強度、噛み合いの良さによって、出来の良さ、面白さに貢献する。 一方で、表現は、肉体で言えば、顔の整い方や、髪型、肌艶、声質、臭い、性格、そう言った外的な要素で、出来の良さや面白さに貢献する。 これらを混同してしまうと、後々、おかしな事になる事がある。 また、これらは、片方だけでも成り立つが、同居しうる物と言う事も忘れない方が良い。 健康な美人もいれば、病弱な美人もいるし、健康優良児だが不細工な人だって、病弱かつ不細工な人だっている。 世の中には、構造的には甘いが、表現的には優れた作品と言う物も確かに沢山存在し、その中には素晴らしい物も沢山ある。 仮に、構造的観点から登場人物の行動を描かずに、ひたすら表現的に優れた作品を作ろうとすると言う事は、どういう事か? エンターテインメント性の高い作品は、構造的な強固さを必要としている。 一方で、アート性の高い作品や、文学性の高い作品は、表現的な凄味が、構造よりも優先されると言える。 つまり、表現のみに技術のすべてを注ぎ、構造を疎かにする場合は、アーティスティックな作品になりやすい。 ああ、ちなみに、この講座では、両立を目指して講義をしていく。 なので、各講義で構造と表現のどちらに役立つ知識かは明確にしていくので、その点は安心して欲しい。 今回の面白い物語の定義は、両方に関わる基本的な知識だ。 さて、ここまで物語の定義を固めてきたが、もう十分に感じている人もいるだろう。 だが、面白い物語の定義としては、もう少し別の角度からも見て、更に明確にしたい。 今その場以外の、ミスマッチが調和している意外さを持った特別な非日常の出来事の中で、登場人物が動機と葛藤を持って問題を解決しようと行動して変化する話が、面白い物語と、まあ、なんとなく定義出来た。 だが、 面白い物語とは、そもそも、どうして人は求めるのだろうか? それは、面白がりたい、つまり、感情を動かしたい。 感動したいから求める。 でも、感動するには、条件がある。 さっき言った、感情を上下左右に揺り動かす以外でもだ。 それは、共感だ。 共感できないと、人は感動出来ない。 ニュースで人が死んだ情報を聞いても、きっと心は、大して動かない人が殆どだろう。 情報が少ないと、余計に感動が少なく、大災害があって10万人が死んだと言われるよりも、名前のある一人が死んだ方が、よほど堪える事さえある。 これは、登場人物の情報が詳細に出てくると、何かしらの共通点から、共感が生まれるから起きる現象だ。 例えば、子供が事故に遭う様な痛ましい事件が起きた時、子供が身近にいる人と、いない人では、感情移入度が変わって来る。 事件に遭った子供と、知っている子供に共通点が多いほど、感情は揺さぶられ、情緒は揺れ動く。 つまり、面白い物語は、見る人が何かしらの共感が出来る要素が必要不可欠と言える。 共感は、登場人物の属性、考え方、置かれた状況、様々な所で要素を入れ、描く事が出来る。 そして、面白い物語は、物語を通して描くテーマやメッセージにも、何かしらの共感があった方が良い。 ハッピーエンドやビターエンドが物語で好まれるのは、テーマに共感しやすい為だ。 バッドエンドだとしても、共感出来るかどうかで、大きく受ける印象が変わって来る。 まったく共感出来ない物語は、面白くない。 しかし、共感では無く反感を買う物語は、見る人を不愉快にさえさせてしまう。 この事から、面白い物語は、見て欲しい人が共感出来る様な作りである事が求められる事が分かるよね。 ふぅ。 今回定義した様に、様々な条件を満たして、初めて面白い物語を作る事が出来る事が分かったと思う。 他にも条件を付け足したり、別の言い方をする事も出来るだろうが、今回は、この辺でまとめに入らせて貰うね。 ここで面白い物語の定義を認識すると言う事は、とても重要なんだ。 今後、面白い物語を作ろうとした時に、そもそも定義を満たしているかどうかを振り返る事で、それが面白い物語にする事が出来るかどうかのチェックを行えるし、今後講座の中で示していく様々な知識やテクニックは、全て、この定義を前提としている物になる。 なので、これを認識するか、しているか否かで、体系的にストーリーテリングを理解する上での、理解度に大きな差が出るんだ。 もちろん、いきなり覚えたり、理解したり、使う事は、最初は難しいかも知れないし、腑に落ちるまでは、時間がかかる人もいると思う。 でも、それでも、そもそも物語とは何か、と言う事が分かっていると言う事は、映画、漫画、小説、舞台、みたいなメディアに関わらず、あらゆる物語に対して、知らない人よりも深い理解に繋がる切欠を作った状態だと言えるんだ。 最初にも言ったけど、物語の定義として、今回定義した要素は、客観的で誰にも逃れられない事実で、法則の上にあると言って良い。 だから、使いこなせれば、誰でも、物語で無い物を物語にも出来るし、面白くなかった物語を、どうすれば面白く出来るか考えるのにも役立つ。 もし、あなたの中の物語の定義と、何か矛盾していると感じる所があれば、その矛盾を両立して解消して、定義を立てられると、とても役立つ筈だ。 しっかし、今回の定義は、丁寧過ぎて、長すぎると感じる人もいると思う。 そんな人は、当たり前に思える所をカットして、気になった所だけ覚えておいて欲しい。 伝えるのは、当たり前だよね。 今、その場以外の事と言うのも、当たり前だね。 ミスマッチが調和している意外さは、表現がかぶっているから、意外性があるとか、どんでん返しがあるとすれば短くなるよね。 特別な非日常の出来事も、当たり前かな。 興味を引かれたり、共感出来る登場人物は、魅力的なキャラとかで良いし、まあ、これも当たり前だよね。 皮肉な状況で、動機と葛藤を持って、問題を解決しようと一貫した行動を取ると言うのは、人によっては馴染みが無いかもしれないね。 特に、アクションについて、苦手な人は多い印象がある。 もしそうなら、難しい問題を自分で解決する為のアクションをするとか、覚えやすい形で覚えると良いかな。 成長や謎解き、変化を描くと言うのは、作りたい作品のジャンルが決まっているなら、それにあった物だけでも良いかもね。 感動出来ると言うのは、これも当たり前だよね。 なんか他にもあった気がするけど、その辺はこの動画を何度か見て覚えてくれると嬉しいな。 物語とは、何かって話だったけど、どうだった? この講義を聞く前と聞いた後で、物語に対する認識とか、印象が、変わったって人もいるかな? この定義がシックリ来たって人も、来てない人も、一度、自分が好きな物語が当てはまっているかどうか、チェックしてみて欲しい。 多分、面白い物語に関しては、ほとんどの条件を満たして作られてる筈だから。 他の講義では、今回の面白い物語の定義を前提に説明していくから、一回で覚えられなくても良いけど、今回みたいな条件があったなって事だけは、忘れないでね。 って事で、今回は、この辺で。 なんか長くなったね。 最後まで、ご静聴ありがとう! 分からない事があったら、コメントしてくれたら答えるよ。 じゃあ、チャンネル登録、高評価、よろしくね!