やあやあ、こんにちわ ストーリーテリング講座にようこそ。 この講座シリーズでは、物語の作り方を体系的に学べる様に、なるべく優しく、時々専門的に講義をしていくよ。 今回の講義の内容は、物語を形にする為に、のせるメディアについて。 講義の全体図で言えば、ここだね。 物語と言うのは、何らかのメディアと言う形にして、メディアにのせて、ようやく他の人が見て、聞いて、さわって、分かる形になるんだ。 当たり前だけどね。 これを見てる人の大半は、きっともう、どんなメディアに物語をのせるつもりかは、決まっているよね。 だから、これは、ちょっとした基本のおさらいと、本当に当たり前の事の言語化になるかな。 ここで言うメディアって言うのは、媒体で、映画とか、アニメとか、漫画とか、小説とか、 別の切り口だと、動画とか、絵とか、本とか、文とか、まあ、そんな感じの物の事だよ。 まず、これらには、それぞれに特性があるんだけど、考えた事はあるかな? あなたは、人が扱う上で、一番おおもとのメディアは、何だと思う? それは、脳味噌、そして、声だね。 脳味噌の中で練った創作物のアイディア、ここでは物語を、誰かに口頭で直接耳に語り聞かせ伝える事が、一番手っ取り早く、物語を出力する方法になる。 要は、語り聞かせだね。 同じぐらい原始的なメディアは、体一つで出来る演技とかダンスとかがあるね。 これらの原始的なメディアの問題点は、人の外側に情報を安定して保存する事が出来ない事があるんだ。 見た人の脳味噌には、情報の一部は残るけど、完璧な状態ではないよね。 だから、現代の主流のメディアは、脳味噌から出したアイディアを、何らかの保存媒体を使う事で、人の外側に安定した形で情報を保存する。 そうする事で、人の寿命よりも長く綺麗に残したり、人が移動するよりも早く遠くに運んだり、口伝えで教えるよりも完璧な形で複製して共有したり、人の枠を超えた扱い方が出来る事が出来て、それが重要とされているんだ。 要は、メディアとは、一種の外部ストレージで、外付け脳味噌と言える側面があるんだ。 そう言った、何らかの人の外側に、脳味噌から出した物を保存するメディアを使って、元々は脳味噌で作られた物語を残る形にするわけだけど、 選んだメディアによって、特性がそれぞれあって、それを考えてメディアを選ぶ必要が創作者には、あるわけ。 絵や音に始まる感覚的な情報の場合は、専用の道具を使わないと使用自体が難しく、高い技術力が無いと正確に物語を伝える事が難しい。 反面、表現的な限界が実質的に無く、コストをかけて望みの表現を追い求めれば、誰の目にも分かりやすい物語を届ける事が出来る。 昨今だと、専用の道具の値段は下がり続けているので、昔に比べて非常に低コストで高いクオリティを出せる環境が一般にも整ってきていると言える。 一方で、文字に始まる意味的な情報の場合は、道具的な制約はほぼ無く、習得すれば使用も容易な反面、高い技術力があってもメディアの情報量に限界があり、低コストで正確に物語を伝える事こそ向いているが、表現的な上限の限界点が低く、制限の中で表現を追い求める事になる。 メディアを通して受け取る側が払うコストも、高いと言える。 要するに、五感だけで楽しめるメディア、例えば映画を見るのと、文字を読んで意味からイメージを膨らませる必要がある、例えば小説を読むのでは、映画の方が遥かに楽で、小説の方が大変と言う事だね。 そんな感じで、メディアには、それを形成する要素によって、それぞれに特性があり、向いたジャンルの物を選んだり、メディアの制限に合わせて工夫する事が前提として創作者には、求められると言える。 受け取る側、読者や視聴者が払う労力的なコストは、低ければ低い程、メディアに触れて貰える可能性が高まる。 メディアを形成する要素の順で言うと、 文字→音・絵→動画 と言う様な順番となり、メディアから受け取る感覚的な情報量が少ないほど、受け取りては、情報を自分で補完しなければならず、物語を楽しむ事の大変さに差があると言えるわけ。 これを別の切り口で見ると、 小説→音声ドラマ→漫画→アニメ・ドラマ・映画 みたいになり、感覚的な情報量が多い方が、受け取りての負担が減る事が分かる。 文章→音→絵と文章→動画と音や文章 と言うふうに、情報量と特性が違う事が分かる筈だ。 小説を読むよりも、動画を流しておくほうが、情報を受け取るのは、楽に感じるよね。 しかし、これは創作者側の負担と言う意味では、反比例する。 つまり、作る側は、受け取る側が楽なメディアほど大変になり、受け取る側が大変なメディアほど楽になる。 ここで、「いやいや、作る大変さは、その順番とは限らないだろう」と思った人もいるかもしれない。 それは、考える際の条件が違う。 今言っているのは、全く同じ物語の内容を、ゼロスタートでメディアに乗せる場合の話である。 つまり、SFやファンタジーの物語を描く場合を想像してみると分かりやすい。 どう考えても実写映画でやる方が難易度が高く、情報量が減る程に創作するコストが下がっているのが分かるだろう。 宇宙船をCGや模型、実物大のセットで作るよりも、絵で描いた方が楽だし、絵より文字で説明した方が楽だ。 これは、現実的で、特殊な設定が出て来ないリアルな作品を想定しても同じ事だ。 だが、ゼロスタートと言う条件を外せると、これらは話が少し変わって来る。 例えば、日常的に身近なモチーフやテーマで、リアル寄りの物語を描く場合、身近な物の流用が出来る点で、実写映画の制作コストをお幅に下げる事が出来るのが分かる。 もう、持っている物や、ある物を、大量に流用できると言う事だ。 つまり、創作者が置かれた環境と、作品の相性があると言う事になる。 日本を舞台にするなら、日本在住の日本人の方が有利になると言う事だね。 他に、制作工程を工夫する事でも、制作コスト削減を行う手段は多く存在するのも、忘れてはならない。 アニメでは、リミテッドアニメ方式、目パチ・口パク、バンク、3DCG、様々な工夫や技術革新で、制作コストを下げてアニメを作ろうとする事が、当たり前になっている。 また、アニメでも漫画でも、絵柄や書き込みの違いだけで作画コストは大きく変わって来る。 ゼロスタートではなく、創作者の状況、創作ツールのコスト、創作スキルの練度、必要な技術の追加習得コスト、創作上の工夫可能性、技術的な補助の有無、創作する物の表現の方向性あテイスト、創作者のコミュニケーション能力によるコミュニケーションコスト、創作中の生活コスト、等々まで計算に入れて考えると、メディアの選択は、どんな物語を形にしたいかによって、それぞれに合った適正がある事が分かるだろう。 ここに、更に、メディアの形としてゲームと言う、物語に参加可能なメディアを加える事で、メディアの選択は、更に選択肢が増える事になる。 会話形式、ゲームブック形式、ボードゲーム形式、体感型アトラクション形式、コンピュータゲーム形式、と、情報量や参加性の違いによって、ゲームは様々なメディアで作成する事が出来る。 何もかもを自分でやる場合、絵を描く事が苦手な人なら、小説や実写映画の方がコストが低く取り組めるかもしれないし、主義を曲げて作画担当者と組んだ方が早く完成するかもしれない。 SFやファンタジーを視覚的にメディアにのせたいなら、実写より漫画やアニメの方が向いているかもしれない。 文章を綺麗にまとめるのが苦手なら、小説よりも、漫画や実写映画の方が合っているかもしれない。 プログラムが出来ないなら、メディアはコンピュータゲームでない方が良いかも知れないし、表現にこだわりが少ないならゲーム制作ツールに頼るのもありだ。 だが、ここまで見てきた合理性に由来する相性以外にも、見るべき物がある。 それは、創作者が持つ、メディアへのモチベーションである。 憧れや、思い入れと言い換えても良い。 好きなメディアや、憧れのクリエイターやアーティストと同じメディアを選びがちだと思うけど、実は、表現したい物と、表現する人に合っているメディアが違うなんて事は良くある。 これを間違えて、実は創作物や創作者に合っていないメディアを選んでしまった場合、合ったメディアにのせる以上の、余分に大変な思いをする事になる。 だが、モチベーションが高ければ、そのハードルは、十分乗り越える事が出来る物だ。 さわり始めで苦手なメディアを、使いこなせる様になるまで練習する事は、遠回りとは限らない。 何かしらの一時的なミスマッチや困難を乗り越えた上で、求めてやまない理想の表現に近づけるのであれば、それが一番良い事だ。 しかし、明らかにコストや実力と見合わない場合は、一度、立ち止まって考えてみる必要がある。 ここが明らかに間違っていると、作品がそもそも完成しない何て事も、十分にあり得るからだ。 どのメディアが、感情的にも、論理的にも、自分の創作する物語に合っているかを考える事は、人によっては結構大事な視点だったりするわけだ。 さて、そんな、物語をのせるメディアなんだけど、それぞれに作法があって、使うからには、それを覚えなければならないと言う事にも、軽く触れなければならない。 作法を無視してメディアに物語をのせる事も出来る。 だけど、作法には、作法がある理由があって、作法を無視すると思わぬ所でマイナスに働く事になる。 また、選んだメディアの作法を破るのと、知らずに無視する事は雲泥の差があって、見ている側の大半は、その差を見破ってくる。 作法を知らずに無視していると、メディアにのせたい物語の出来ではなく、メディアの使い方の下手さに目がいってしまい、それは大きなマイナスとして働く事になる。 どうしてメディアの作法を無視するとマイナスに働くのかと言えば、そのメディアを好んで使う人からすると、メディアの決まり事を守って貰った方が心地良いからだね。 例えば、そうだな。 ちょっと、例えとして間違っているけど、まあ、分かりやすいかもと言う例で。 日本の家で、友達が遊びに来て、靴を脱がずに土足で家にあがられたら、家の住人は、どう思うかな? 日本の家の作法では、玄関で靴を脱ぐと言うのが、まあ、ほぼ当たり前だよね。 メディアの作法も同じで、そのメディアに物語をのせる場合、その中にある作法は守る事が当たり前で、作法を無視されると、メディアの作法に慣れた人は、違和感を感じるわけ。 小説なら、……(三点リーダー)は2つセットで、全角、おお文字は使わないとか、「」(かっこ)内の文章終わりに。(句読点)は付けないとか、細かな作法がある。 無視しても書けるし、読み手も読めるけど、作法をやぶった表現が・・・とか「。」とか出てくるたびに、日本の家を土足で歩き回る様な、違和感が延々とついて回る。 それって、物語を楽しむ上で、邪魔だよね。 要は、作法を守らない状態を延々続けるのって、メディアを通して物語を楽しむ上では、ノイズがずっとのっているのと一緒なんだ。 だから、作法は、時々は間違っても仕方が無いけど、使うメディアを決めたなら、一度はしっかり覚えた方が有利になる。 それだけで、メディアを通して物語を楽しもうとしている受け取りては、あなたが作法を身に着けた、当たり前が出来る気持ちが良い人と感じるから。 漫画なら、ページ綴じ部分の台詞を避けたり、印刷時にどこまで紙面に載るか考えたり、見る人を考えた作法がいくつもある。 映画なら、イマジナリーラインとか、効果的な構図やショット、ライティング、見ていると自然に感じる作法がある。 他のメディアでも、メディアによって作法は必ずあるわけ。 舞台なら、第四の壁を正面にして演技をするのが作法だよね。 何か効果を狙って作法を破る分には、面白いかも知れない。 でも、作法を知らずに破っているのは、あまり格好良くない。 まして、作法を注意されて、嫌なら見るなとか言うのは、友達の家で靴を脱いでとお願いされて、注意されて気分が悪いから怒って帰るみたいな物だ。 作法は、メディアを通して物語を楽しむ際に、不要なノイズを減らしてくれる。 作法は、創作者の味方であって、創作者を縛るようでいて、縛る物では無い。 創作マナー講師による理不尽な指摘とは別物だからね。 別に、冠婚葬祭や、伝統的な何かをする際の様式やマナーを守るレベルは、誰も求めていないわけ。 あくまでも必要な作法とは、大多数の人が気持ち良く、違和感なくメディアを通して物語を楽しめるように、出来て当たり前の簡単な事を最低限満たすって事なんだ。 映画館で上映中に電話を鳴らすな、画面を光らすな、食べる時はクチャクチャ音を鳴らすな、口に沢山モノを入れて喋るな。 それに抵抗すれば、それを愛してるヒトは、気分が良くない。 メディア毎の、そんな事なのだけど、そんな事だからこそ把握した方が、創作者側も気持ち良くメディアを使える。 作法を守らないと、必ず直すまで延々と「直した方が良いですよ」と、作法警察に言われ続ける事になって、創作者側も延々と嫌な気分になると思うから。 なら、映画館では電話を鳴らさないか、映画館を使わないか、選ばなければならないよね。 映画館で電話を鳴らして良いと言う事を、意地でも通したいなら、それが許される場所を探すか、作る必要がある。 悪い例えだと、こういう所で訂正が必要になってしまってダメだね。 まあ、ちょっと強引だけど、とにかく、その物語をのせるメディアを、そもそも選んだと言う事は、そこには何か理由がある筈だ。 もし、選んだメディアを愛しているなら、感情的なモチベーションがあるなら、メディアを作って来た先人や、憧れの存在に敬意を払うでも、手本や教えにならうでも、作法のいくつかぐらい、普通に覚えて守った方が賢明だ。 さてさて、今回の講座は、どうだったかな。 あまりにも当たり前すぎて、あくびが出た人もいるかもしれない。 逆に、メディアにこだわりが実は無いのに、苦手なメディアを選んでいた事に気付いた人もいるかもしれないね。 あなたの物語をのせて形にするメディアには、様々な切り口での、向き不向きがある事が分かったと思う。 作りたい物語に合っているか。 あなたに合っているか。 かかりそうなコストは高くなり過ぎないか。 そして、メディアには、作法があって、使うからには守った方が良いと言う事も分かった。 仮に、メディアの特性が合ってなくても、コストさえ払えるなら、分業化や、人を雇う事でクリアする事も出来る。 でも、お金や時間、体力や気力の様なコストを払う余裕が無い場合は、メディアを吟味して物語を形にした方が、有利に創作出来る。 映画、テレビドラマ、アニメーション、漫画、四コマ漫画、縦読み漫画、SNS漫画、ライトノベル、文学小説、児童文学、ラジオドラマ、舞台劇、語り聞かせ、絵本、TRPG、ゲームブック、コンピュータゲーム、ボードゲーム、等々と、メディアの多様性は時代が進むほど増している。 新しいメディアは、新しい記録メディアや、閲覧方法の登場と、一般化によって基本的に増える。 なので余談だけど、作法を無視し、新天地を探すと言うのは、実は、かなり難しかったりする。 あなたは、自分の創作に合っていそうなメディアをしっかり選べているだろうか? 選べているなら、それは、あなたが思っている以上に、大変素晴らしい事だ。 世の中には、こんな一見すると当たり前に聞こえる事で、多くの人が躓いているんだ。 逆に、メディアの選択に自身が無い人は、一度確認して見ると良いかも知れない。 漫画家を目指して、合って無くて小説家に転向したって、映画監督を目指したけど合って無くて、絵本作家に転向したって、全然恥ずかしい事じゃない。 メディアが、しょうに合ってないのか、ただの挫折なのかは、大きな問題じゃない。 大事なのは、あなたに合った創作メディアを選んでいるかどうかだ。 一度目指し始めたからと言う理由で、最初に選んだメディアを使い続けなければいけない何て縛りは無い。 逆に、もし、あなたが器用なら、色々なメディアで、メディアに合った物語を作る事だって出来る。 と言う事で、今回は、メディアについての講義でした。 って事で、今回は、この辺で。 最後まで、ご静聴ありがとう! 分からない事があったら、コメントしてくれたら答えるよ。 じゃあ、チャンネル登録、高評価、よろしくね! バイ・バイ! よろしくねっ! よろしく〜! ねぇっ?