「努力」「友情」「勝利」の正体に迫る
週刊少年ジャンプで有名な面白い作品の黄金律、「努力」「友情」「勝利」と言う3要素。
これらを聞いて「鉄板の面白い作品の法則」と感じる人もいれば「子供向けの作品だから通用する要素」だと感じる人もいるかもしれない。
今回は、物語の構造と言う観点から「努力」「友情」「勝利」の正体に迫ります。
物語の構造上の「努力」とは?
努力と聞くと、何を思い浮かべるだろう。
ジャンプ作品では、修行などと表現される事がある。
スポーツ物では特訓や練習に相当の尺を裂くし、バトル物でも修行するシーンは必ずと言って良いほどある。
スラムダンクでもハイキューでも、練習シーンが相当数ある。
ドラゴンボールでもハンターハンターでも、修行をこれでもかと言うほど重ねて行く。
だが、そう言った物をトータルとして「努力」と表現しているとして、この「努力」の正体とは何だろうか?
「努力」と言う言葉そのものの意味は、辞書などで引くと、
- 目的・目標に向け、到達する為に邁進する事
等と説明される。
つまり、「努力」と言うのは、そのたった一言で「目標に向けて行動する」事を表しているのだ。
これは、物語において実に普遍的で、逃れようがない要素である。
「努力」しない物語は、存在しないからだ。
それは、物語の主人公は、必ず目的をもって、目標に向かって行動するものだからだ。
何でも良いが、試しに探偵物で考えてみよう。
探偵は、事件の真相を追って行動する。
そこに練習も修行も無いが、犯人を捕まえると言う目標に向かって行動する。
どんな構造の物語でも、必ず主人公は「努力」を、「目標に向かっての行動」をする訳だ。
そう考えると「努力」とは、ジャンプ作品の専売特許では無い事が分かる。
むしろジャンプ作品が、普遍的な物語の構造を大事にしているからこそ、面白い作品が生まれやすいと言う事なのだ。
物語の構造上の「友情」とは?
物語の中の「友情」と聞くと、主人公の仲間を思い浮かべるだろう。
ジャンプ作品の主人公には、必ずと言って良い程、仲間が出来る。
だが、これは物語の構造で考えると、どうだろう?
「努力」には、ある種、絶対の普遍性があり、物語に欠かせない物であったが、「友情」も同じ様にそうなのだろうか?
ここで、注目したいのは「友情」の「友」だろう。
「情」だったならば、普遍性が存在し、「努力」と同じ様に欠かせない物であった。
「情」とは、
- 他人や物に対して動く心の動き
である。
「情」は、物語を描く上で構造的に排除出来ない。
それは、物語とは他人や物に主人公が影響を受ける事で、反応したり行動する事で進行するからだ。
その普遍的な物を、あえて「友情」と限定しているのは、どうしてだろうか?
それは、ジャンプの読者層を考えての事だろうと推測する事が出来る。
人は、成長と共に処理できる感情に幅が出て来る。
生まれたばかりの頃には「保護者への愛情」「周囲への興味と恐怖」そして「食欲・睡眠欲・排泄欲」に支配されるのが常である。
3歳前後で自意識が芽生え、そこから徐々に社会性を獲得していく。
社会性の獲得とは家族以外、つまり「他人」と「友人」の獲得と言う事だ。
それから成長し、10歳程度から徐々に第二次性徴が起き、「性欲」や「恋愛感情」にまで処理できる感情の幅が自然とアップデートされる事になる。
つまり、3歳から10歳の社会性の獲得を経験した人ならば「友情」への理解は間違い無く見込める。
そして、「友情」と言う感情は、生涯消える事が無い。
一方で、「恋愛感情」や「母性・父性」と言った感情は、作品のメインターゲットとしている読者に理解出来ている層も、もちろんいるだろうが、全員が理解出来る訳ではないと言う問題が付いて回る。
つまり「友情」に「情」を絞ったのでは無く、全読者が理解可能な「友情」を必ず入れた方が、幅広く受け入れられる可能性があると言う戦略的な意味合いもあるのだ。
仮に「情」と言う「友情」の上位概念で考えてしまうと、「友情」を入れないで物語を創る事は可能であり、その場合は「友情」までしか理解出来ない読者にとっては、分かる様で腑に落ちない物語と捉えられてしまう訳である。
だからこそ週刊少年ジャンプには「友情」が絶対に必要なのだ。
物語の構造上の「勝利」とは?
勝利が嫌いな人はいないだろう。
勝負をすれば勝って終わりたいと考えるのが普通だ。
だが、物語の中では、そうとは限らない。
物語の構造で考えた「勝利」とは、何だろうか?
例えば、スポーツ物では、最後に負けて終わる時がある。
だが、その物語に感動する事が無いだろうか?
負けたのに感動する。
「勝利」は?
勝つから嬉しいし、感動するのではないのか?
この疑問に答えるには、物語の基本を理解する必要がある。
その基本とは、
物語とは、主人公が目的を持って、目標に向かっての行動をとる事で進むが、目的は、あくまでも目的と言う事である。
「努力」の所で触れた「目的・目標に向かっての行動」の「目的」こそが、本当の意味での「勝利」に関わってくるのだ。
当たり前の事だが、だからこそ考えずに目標とすり替えてしまう人がいるポイントでもある。
主人公には「目的」があり、その目的を達する為に「目標」に向かって行動する。
目標に向かっての行動とは、抱えている問題を解決する為の行動だ。
主人公は、何かしらの事を期限までに、出来なければいけない等の制約に追われるのが普通である。
その為、出来なかった事が出来る様になる為の「努力」を重ねざるを得なくなり、結果的に「目的」へと向かって突き進むのだ。
ここで大事なのは、「目標」は大抵が勝つ事、成功する事だが、「目的」は必ずしも勝つ事や成功する事だけではないと言う事だ。
つまり「目的」を達する為に「目標」に向かって行動しているが、「目的」さえ達せられれば、途中にある「目標」は全てを達せられなくても良い場合があると言う事だ。
物語においての「勝利」とは、「目的」に対する「達成」であって「目標」に対する「達成」では必ずしもない。
だからスポーツ物で言えば「試合に勝つ」と言う「目標」に届かなくても「目的」を達成さえ出来ていれば、物語としてみれば「大勝利」なのだ。
「試合に負けて勝負に勝つ」なんて言葉があります。
私は、ガンダムの第08MS小隊のノリス・パッカードを思い出しますが、知っている人に説明するなら、まさにアレである。
知らない人は、アマプラで見ましょう。
ノリスさんカッコいいぞ。
話を戻すと、「目的」さえ達成出来れば「勝利」なのが、物語なのです。
では、物語の中の「目的」とは何だろう?
それは、主人公の目的達成だが、物語の構造ごとに「努力」の在り方と同じぐらい違うので、一概には言えません。
だが、その中にも普遍的な共通点は存在している。
それは、主人公の「変化や成長」と呼ばれる物です。
ここで、多くの初心者は「技術的・肉体的に強くなっていれば変化、成長した」と勘違いをして物語を創り、うっかりと煮え湯を飲まされる。
試しにそれで物語を創作してみると分かるが、期待した面白さは、それだけでは得られない。
その理由は、物語の「目的」を達成できていないからに他ならない。
もったいぶってしまったが、物語の「目的」にある「変化・成長」とは、主人公の「傷ついた、あるいは未熟な精神」に起こる物である必要があるのです。
トラウマの克服であったり、自分の居場所や本当に大切なモノに気付いたりと、精神的な変化や成長は、肉体的な成長の比で無い感動をもたらす要素である。
主人公は心の底で、辿り着きたい「目的」を持っていて、実はその為に「努力」しているのだ。
物語の構造で考えると、その「目的」に達する事こそが真の「勝利」であり、勝負や試合の勝敗は目的の阻害にならなければ、勝っても負けてもどちらでも良い。
スポーツ物で大会の優勝を目標としていたとしても、主人公の精神的な目的は、実は夢の舞台に立って仲間達と全力で戦う事や、青春を体感する事等で、一体感を得る事こそが目的かもしれない。
大きく脱線する前に話を戻そう。
物語の構造で考える真の「勝利」とは「主人公の目的達成」である事が分かった。
それを踏まえると「勝利」とは勝って終わる訳では無く、何らかの形で「努力が報われる」事を描くと言う普遍的な所に落ち着く。
だが、概念としては普遍的ではあるが、物語の構造としては普遍的ではない。
例えば、こち亀のお約束のパターンでは、両さんは毎回、目標こそ幾つも達するが肝心の目的を達する事はあまり無い。
そう言う意味では、ジャンプ作品にも例外となる名作はいくつもある。
真の「勝利」は、物語の構造上、普遍的では無いのだ。
それでも「勝利」と言う要素がジャンプにとって重要なのは「友情」と同じく、ターゲットとなる読者層が関係していると推測できる。
精神年齢が低い程、目的意識と言う物は漠然とし、薄くなりがちだ。
「友情」までしか「情」を本当の意味で分からない読者にとって心地良いのは、遠い「目的」よりも、近く分かり易い「目標」の達成だろう。
テストで良い点を取る事が良いのは誰にでも分かるが、何のためにと言う目的を聞かれて自分の意見を言える人は低年齢になれば成る程減るのと一緒だ。
つまり、真の勝利に至れれば物語としてみれば最高だが、まずは目標を達成すると言う小さな「勝利」を積み重ねて行く、何らかの「サクセスストーリー」的な構造が、ターゲットの年齢層には分かり易く、必要とされるのだ。
それゆえに「勝利」と言う要素は、必要不可欠と考えられる。
目的達成では、表現として難しいと感じる年代にも「勝利」は真っすぐに届く力があるからだ。
そう言う意味で「勝利」は重要な要素だが、先にも書いた通り、読者が真に感動するのは「勝利」した時では無く、真の「目的」を達した時、登場人物が精神的に変化した時である。
そう言う意味では「勝利」と言う要素は、読者とされるターゲット層にも理解出来ると言う意味では、かなり重要だが、物語の構造としてみると「努力」ほど普遍的では無く、「友情」ほどの普遍性しか無い。
まとめ
以上、面白い物語の黄金律として有名な「努力」「友情」「勝利」の意味の解説でした。
「友情」と「勝利」と言う要素が、子供でも理解出来る、または、し易いと言う部分だった訳です。
人によっては、この部分で子供向けと感じたり、万人受けと感じたりする訳です。
面白いのは、ターゲットの年齢層を下に絞る事により、より普遍的に、誰にでも理解出来る面白い物語を創ろうとしている編集部サイドの姿勢です。
流石、天下の週刊少年ジャンプと言った所でしょう。
ここまで読んで頂きありがとうございました。