ほとんどの物語創作者が基本に最初は興味が湧かない理由、基本を学んだ方が有利になる理由、そして苦しまずに学ぶ方法

基本って多分みんな、嫌いだよね

このブログで扱うコンテンツの大半は、物語創作の基本について触れている。

つまり、このブログのコンテンツの大半は、必要に思っていない人にとっては、退屈極まりない部分がある筈だ。

では、なぜ、そんな基本をわざわざ扱うのか?

教科書的な記事は人を選び、嫌煙されるが、基本を扱うと寄って行ってしまう所がどうしても出て来る。

それでも、触れる。

答えは単純、基本を知り使いこなせる事は、こと創作に置いて、創作者の有利に働くからだ。

では、そんな、創作者にとって知っていれば有利に働く事が分かっている(もしくは気付いていない)基本に、なぜ、ほとんどの人は興味が湧かないのだろう?

基本から学ぶのは、基本的に退屈

この答えも単純。

基本とは、面白くないからだ。

いや、面白く無いと言うと語弊がある。

基本は、知れば知る程、本来は面白い物だ。

嘘だと思うかもしれないが、本当なのだから仕方が無い。

基本は、本来、とても面白い。

奥が深く、汎用性がある上に、便利なツールとして大いに使えもする。

だが、基本が好きな人は、なぜか少数派だ。

それを、まずは簡単に解説する。

例えれば分かり易いかも

で例えよう。

あなたは、建築家の卵だ。

夢の様な豪邸を将来建てる事を考え、建築家の道を志したとする。

その時、あなたはきっとこう考えている。

豪邸の外観や内観、実際に人が使う光景、誰もが羨む立地、景観、装飾品や家具の数々。

スポーツでも例えよう。

あなたは、サッカー選手を目指している子供だ。

憧れの選手の背中を追い、サッカー選手の道に足を踏み入れた。

その時、あなたはこんな事を夢見ている。

満員の観客席、華麗なプレーでファン達を沸かせ、チームメイトのアシストによってハットトリックを決め、あなたが所属するチームはワールドカップで優勝する、そんな光景を。

物語の創作も同じ事だ。

あなたは、新人の小説家でも脚本家でも、漫画家でも構わない。

目指したからには、感銘を受けた作品があったり、描きたい物語があなたの中にある筈だ。

そして、こんな事を夢見る。

あなたの物語に人々は感動し、心動かされ、一つの物語の世界をもっと広げようと人々があなたの周りに集まり、メディアミックス展開し、人々はあなたの物語をもっと求める様になって行く。

これらが、多くの人が何らかの「道」に踏み込む切欠だ。

分かるのは、誰もが見ているのは「道」の先にある大きな「目標」である事だ。

この目標の大半は、外側から見た物事の「見た目」である事が分かると思う。

つまり、人は目標と言う目に見える「見た目」から憧れ、「道」に足を踏み入れる訳だ。

この「見た目」から足を踏み入れるのが、基本に興味を沸かせない原因の一つでもある。

基本とは、目には見えないからだ。

だが、進む「道」の上に常にあるものでもある。

まず欲しいのは「見た目」

「見た目」が欲しくて「道」に足を踏み入れる為、「見た目」を整える為に必要な事を、大抵の人は満たそうとする。

憧れの人のファッションを真似たり、様々なアプローチで「見た目」から近づこうとするのだ。

建築家であれば、好きな建築家の建てた建物を勉強し、真似たりする事もあるだろう。

スポーツ選手であれば、憧れの選手に近づこうと、何かカッコイイ練習を密かにするかもしれない。

小学生でオーバーヘッドキックを延々と練習する子がいたりするが、それも同じ事だ。

物語創作者であれば、感銘を受けた作品のオマージュ作品を作ろうとするかもしれない。

「自分だったら、こうする」と言う物語に変化をつけた真似事をしてみる訳だ。

こうして、様々な手段と工夫によって「見た目」から入って行く。

ふるいにかけられる

「見た目」から憧れに近づく事に、人はやがて限界を感じる。

ここで、次に人が求めるのは「知識」と「技術」である。

憧れをファッションで終わらせたくないと思い、本物になろうとした時に、役割や機能をこなせるようにと中身を整えようと動くのだ。

この段階で、自分には合わないと諦めたり、見た目だけを極めようとする人と、「道」を進み続ける人で別れる事になる。

第一のふるいだ。

「見た目」から入ったが、中身を満たす知性が必要だと知り、「知りたい」と思えるかどうかで、ふるいにかけられる訳だ。

建築家であれば、足りない知識を学ぼうと、不足した知識を補い始めたりするだろう。

サッカー選手であれば、出来なかった技術をマスターしようとリフティング練習やトラップ練習をするかもしれない。

物語創作者であれば、知識を満たすために辞典、図鑑、資料集を買い漁るかもしれないし、名作を読み漁るかもしれない。

こうして、不足を補おうと「知識」や「技術」を得て行こうとする段階に来ると、一定の人は求めていた「見た目」にグンと近づいていく。

「見た目」を目指した行動と経験、手に入れた「知識」と「技術」によって、自然と「基本」も身体や頭に沁みつき、そうして「道」を着実に進んでいける訳である。

ところが、「道」を進めば進むほど、「見た目」が近づけば近づくほど、本人は気付くのだ。

何かが足りていないと。

また、ふるいにかけられる

ここで、また人は選択を迫られる。

トライアンドエラーを積み重ね、行動と知識や技術の会得によって、不足を補うのが、野生のプロへの道だ。

多くの人は、この道に憧れを持っている。

自分のセンスによって修練し、欲しかった「見た目」に急接近した「道」を究めようとする人々である。

長所を伸ばし、欠点を補い、不足を満たし、そう言った行動を自主的に行えるストイックな人を、人は才能があると言ったり、天才と呼んだりする。

このタイプの人は、必要に応じて基本が染みついている事が多い。

トライアンドエラーの中で教訓として、断片的に基本を身に着けて行くのだ。

だが、思わぬ基本がすっぽり抜けていたり、少し歩んできた「道」から外れるとガタガタになる人もいる。

この道に不安を覚える人は、別の道を探す事になる。

それは、先人によって既に体系化された基本を学ぶ事で、不足を埋めようとする道である。

おわかりいただけただろうか。

人が自主的に「基本」を求める段階は、最初では無く「道」の途中なのだ。

ちなみに余談となるが、日本の学校教育と言うのは「基本を最初に叩きこんだ方が、道を進むのに効率良いよね」と言うスタンスで基本を詰め込んでくるので「つまらない」のである。

既に何らかの「道」の途中にいる状態だと、基本を知る事は「楽しい」物なのだ。

何かが「必要」な状態だと、満たしてくれる「情報」は「必要な情報」として脳に定着しやすい。

逆に「何の為に必要か分からない」状態だと、「情報」の意味は分かっても「価値」が分からず、脳に定着しづらい。

通貨の無い地域に住む人に100億ドルの札束を渡しても、火にくべられるのが精々なのである。

第二のふるいとは、基本を会得できるかどうかにある。

基本を学ぼうともせず、トライアンドエラーからも学べない人は、この段階に留まる事になる。

しかし、高みを目指そうと「道」を進む事を止めない人は、この先に進む事になる。

余談、ゲーム化と言う裏技

興味の無い人にとって、まるで価値を感じられ無い基本。

それを上手に身に着けて行く人が、世の中には一定数いる。

彼らが使っている手法は、別の価値を見出すと言う方法だ。

これは、一種のゲーム化である。

例えば、数学の問題であれば、本来は必要になった時に教えられて、初めて価値に気付ける。

だが、ゲーム化が上手い人は、何か問題を抱えているから必要とするのでは無く、提示された問題を解決するのに必要だからと言う理由で価値を感じられる。

つまり、クイズを解いている感覚に近く、知識欲を満たす為に脳に定着させる事が出来ると言う訳だ。

これを裏技と聞いて「当たり前」と感じる人は、出来ている人だろうから、聞き流して欲しい。

だが、この思考法が出来る人ばかりではない。

不要な知識は、覚えられないと言うのも、普通の事である。

「基本」は最初に知るべき? 後で知るべき?

ここまで読んでくれたなら、基本が欲しくなるのは「道」の途中だと言う事が分かったと思う。

だが学校では「基本」から教える。

順番として、何が正しいのだろうか?

実は、どちらでも構わない。

ただし、どちらにも一長一短がある事の理解は、した方が良い。

途中で「基本」が欲しくなったのなら「道」と言う観点では早く進み、「基本」と言う観点では遠回りしている事になる。

もっと早く「基本」を知りたいと思っていれば、先人の知恵を学び、今まで経験した、いくつかの悩みやスランプが無駄な時間に思えるのは間違いない。

物語創作なら、基本が欠けた物語を幾つもつくる覚悟がいる。

これが途中で「基本」を学ぶ事の、一種のリスクである。

では、最初から「基本」を学ぶリスクは、退屈以外にあるのか?

ある。

「基本」を最初に学ぶ事で、多くの人は型にはめられる事になる。

人は、意識しないと型通りに、レールの上を進む様になっていく。

すると、必要だから基本と言う型に沿うのではなく、とりあえず型に沿って中身を埋めようとするようになる時がある。

つまり、盲目的にルールに支配される事になるのだ。

だが、ここで問題となるのは、基本の持つ見た目の「シンプルさ」と、「やたら奥が深い」と言う、学べたつもりでも、全てを簡単には理解出来ないと言う性質だ。

従っている基本が、その場面で本当に必要で使うべき正しい基本なのかを、間違える事があるのだ。

これが、「基本」を最初から学ぶ場合のリスクである。

もう一つ。

もし、自分は最初から基本が知りたい感じているなら、実は、その先にも問題がある時がある。

それは、完璧主義と言う罠だ。

基本から学ぶリスクも、後で学ぶリスクも知っていると、基本の性質が持つリスクを無くすために、基本を完全にマスターしてから始めようとする人が一定数いる。

この人達は、行動する事で得られる経験値が「道」を進む上で必要な事を忘れている。

基本の知識や概念をマスターしても、実際に使えるかどうかは別なのだ。

スーパーマリオブラザーズの操作を覚え、何度も攻略動画を見たとしても、実際にクリアするまでには、そこから練習が必要になるのと同じである。

建築家でもサッカー選手でも漫画家でも、同じ事である。

トライアンドエラーは必要な過程であり、失敗では無く試行錯誤と考えて向き合わなければ先には進めない。

基本を知る利点は?

信じれらないかもしれないが、先人のいる「道」では、あなたがぶつかる壁や落ちる穴は、既に誰かがぶつかった壁や落ちた穴であり、問題を乗り越える方法が多くの場合、誰かの手によって確立していると考えて良い。

探しても見つけられない場合も、実は誰かが持っている場合が殆どなのだ。

あなたが「基本」を学ぶと言う事は、これから進む「道」にあるであろう、誰もがぶつかる壁の超え方や、誰もが落ちる穴を埋め方を、先取りする事になる。

歩きやすい舗装された「道」がすぐそばにあるのに、荒れ地や、ぬかるみを苦労して進む事に、意味を感じられるか否かで、基本を学ぶタイミングは大きく変わる。

苦労した方が身に着くと考える人は、荒れ地を選ぶかもしれない。

その場合、歩ききれるかもしれないし、つまずいてしまうかもしれない。

要らない苦労を避けたい人は、舗装された道を選ぶかもしれない。

楽に歩けるかもしれないが、荒れ地に踏み出すのが億劫になるかもしれない。

どちらが良い悪いと言う事は、無い。

「道」を進む以上、どんな「道」でも歩ける必要があり、遅かれ早かれ「基本」は断片的に、または体系的に身につける事になる。

タイミングの話である。

一見、基本が無い道でも役立つ基本

どんな「道」にも未踏の「道」がある。

そこを踏む事にロマンを感じる事も、あるだろう。

だが、未踏の道には、一見して基本が無い。

それならば、未踏の道を進めば基本を学ばなくても済むと考える人がいる。

しかし、そんな「道」でさえ「基本」は役立つ。

進んできた「道」から「枝分かれした」未踏の「道」であれば、枝の基で通用した基本は、通用してしまう事が多いのだ。

そこには、上位概念と下位概念の関係があり、「基本」からは逃れられない。

そう言った理由もあるため、必要に感じたら迅速に「基本」を学んだ方が「道」をこれから先も進むつもりなら、有利なのである。

そして、枝分かれでは無い全く新しい「道」を進む時でさえ、基本は役立つ。

一つの基本を理解していれば、基本の基本を他の「道」に応用し、全く新しい「道」に置いての基本を、最初に歩む人が体系化する事も可能なのだ。

プログラムや他言語を一つ学べると、他の物にも考え方を応用できるのと同じ事と言う訳だ。

辛い思いをしないで基本を学びたい

退屈は苦痛だ。

だから勉強をドロップアウトする人は大勢いるのだ。

では、有用な「基本」と言う物を苦しまないでマスターするには、どうすれば良いのだろうか?

答えは簡単、先にも触れたが、「必要」な状態に、状況に、身を置けばいい。

英語をあなたが学ぼうと思っているとしよう。

あなたの英語力は、絶望的だとする。

その状況で、あなたが英語をマスターできるかどうかは、「必要」の度合いによって大きく変わってくる。

  • なんとなくの場合は、挫折するだろう。
  • 嫌いな人に強制されても、覚えられない。
  • 仕事で必要な場合は、必要な英語だけは覚えられる。
  • 試験で必要な時も、試験範囲までなら覚えられるだろう。
  • 先にも触れたゲーム化を使えば、覚える事は出来るが、使えるかは別の話だ。
  • 海外旅行に行こうと思っている場合は、日常会話ぐらいなら覚えられる筈だ。
  • 英語の歌を唄いたいなら、その歌だけなら発音もマスターできるかもしれない。
  • もし、異国の友人や恋人が出来たなら、飛躍的に覚える筈だ。
  • 外国に移住する事になったら、もう、覚えざるを得ない。

基本を学ぶと言うのは、これらと同じ感覚だ。

物語の創作だけじゃない。

勉強でも何でも、あなたが何かを健全に学ぶには、より強い「必要」が必要と言う事である。

まとめ

以上、基本に興味が湧かない理由と、基本を学ぶ利点、健全な学ぶべきタイミングについてでした。

多くの脚本の書き方の本や、シナリオ教室で「ログライン」「テーマ」と言った物を最初の方で触れるのは、それが物語の「基本」だからであり、その時点で拒否反応を感じる人が一定数いるのは、その人達にとって「必要性」がまだ感じられていないからです。

「必要」だと感じるには、既に何らかの「欲しい理由」があるか、無い事で「困る」と言う経験が必要になります。

必要だと感じない場合は、手持ちの知識と技術と経験値で、一度、物語を創ってみれば良いのです。

それで、自然に作れれば断片的に基本を学べますし、困ったら、それから体系的に必要な部分を学べば「道」の先に必ず進めます。

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