自分の気分を他人に押し付けると言う事の危険性について
人は、それぞれに自立し、自律している。
つまり、それぞれが、それぞれの気分を持っている。
良い時もあれば、悪い時もある。
外的環境に左右される事もあれば、内的環境に左右される事も、イベントやアクシデントで急変する事もある。
その際、何を最優先で行動するかで、その人がどの様な人か決まってくる。
自分の不快を取り除こうとする時のスタンス
気分を変えるのは、快不快な状況や出来事だ。
心地良い環境では快感が高まったり、維持される。
心地悪い環境では不快感が高まったり、維持される。
出来事も同じで、快不快で心地良さが変わり、気分に影響を与える。
快感の場合は、そのまま受け入れたり、もっと求める事に問題は無い。
問題は、不快感の場合で、その取り除き方によっては、大問題が発生する。
それは、不快を取り除くスタンスが、
- 不快が去るまで我慢する
- 不快から距離を取る
- 不快な物を攻撃する
と大きく分けて3種類あり、その使い分けを間違った時に事態はおかしくなる。
気分を周囲に押し付ける、周囲への攻撃行動
不快な事に対して、とるべきスタンスに種類があっても、当人の考え方によっては状況的に間違ったセレクトをしてしまう事がある。
その代表が、気分の押し付けである。
間違ったと言うのは、対処法として適切とは言い難いと言う意味での間違いだ。
不快な物を攻撃する事自体は、誰にでもあり得る。
蚊が寝ようと言う時に延々と耳元を飛んでいたら、殺したくもなるだろう。
だが、それは対象を見てから考えるべきだ。
周囲に不愉快な人がいる場合、その人にピシャリと言ってやりたいと言う気持ちになるのは理解出来る。
だが、それが正しいか否かは条件による。
条件はケースバイケースだ。
そして、多くの場合、気分を押し付ける側面がある為に、正しく攻撃出来る状況とは、限られている。
想像して欲しい。
気分を押し付ける為に、相手を正してやろうと攻撃出来る対象は、きっと、あなたより弱い人か、反撃してこない確証があるか、かなり高い人に限られているだろう。
つまり、気分を押し付ける人とは、自分より弱いか、言う事を聞いてくれそうな都合が良い人だ。
これは、甘えていると言える部分がある。
仮に、自分より強かったり、言う事を聞いてくれ無さそうな人に自分の気分を押し付けてモノ申せたら、勇気があるとも言えるかもしれないが、それ以上に愚かとも言える。
と言う事は、周囲に気分を押し付けられる人は、その場で強者の立場にあるか、愚かと言う事は、揺るがない。
強者の立場にある場合、自分の気分を押し付ける為に、他人に言う事を聞かせるのは、我儘な行為だ。
強者の立場にない場合、自分の気分を押し付ける為に、他人に戦いを挑む事は、リスクが高く、危険である。
いずれにしても、気分を周囲に押し付ける行為は、する時点でどっちに転んでも良くないと言える。
気分で圧をかけて世界が変わる快感
世の中、気分で圧をかける事を好む人種は、かなりいる。
悪い意味で気分屋な人は、気分だけで周囲を引っ掻き回す。
実際、強い立場になれば、周囲はご機嫌伺いをしてくる事もあるだろう。
それは、自分の周囲だけだが、王様にでもなったような征服感で満たされ、不愉快が転じて快感を感じる事となる。
自己中が気持ちが良い瞬間だ。
気分で世界を変える代償
気分で周囲の行動を変えさせる行動を取り続けると、周囲から人が離れていく事になる。
その人自体が、周囲の人にとって気分を悪くする不愉快な存在になるからだ。
要は、その人の気分に振り回される事に、周囲は嫌気がさすのだ。
赤ん坊であれば、周囲がご機嫌伺いをして、なだめ、あやし、愛しもする。
だが、それが許さるのは赤ん坊だけで、なんなら赤ん坊相手でも無理な人は大勢いる。
気分で周囲を動かす人の存在は、基本的に不愉快だ。
分かりやすく自己中心的な存在なので、気分だけで周囲を振り回す癖がある人は、間違いなく嫌われる。
その人の周囲に最後に残るのは、振り回されない人か、その人や環境に依存している人ぐらいだ。
少し頭が良い人は、大義を用意する
周囲に行動を変えさせるには、自分の気分だけでは理由として弱い。
どうひっくり返しても、逆立ちしても、自己中で迷惑な人になってしまう。
そこで、少し頭が良い人は、自分の気分を不愉快にさせる行動を止めさせる事が出来る、公共性の高い別の理由を上手に使う。
そうする事で、大義名分を得るのだ。
すると、やっている事は同じでも、大義が通る分だけ、意見が通りやすくなる上に、心象も良くなる。
例えば「気分悪いです。目障りなので出てって下さい」と頼むのと「ルールを守って下さい、守れないなら出てって下さい」では、全然違うだろう。
これは、表現規制を行いたい人が使う常套手段でもあり、どうにか大義名分を作って、不愉快な物を消そうとするのは、誰の目にも明らかだ。
頭が良い人は、周囲や相手の気分も考えてからスタンスを選ぶ
頭が良い人は、自分や自分と同じ意見の人の気分だけを見ない。
もっと広い視点を持って、その上で取るべき手段を選ぶ。
我慢するのが良いか、離れるのが良いか、勇気を出してでも注意を促して行動を変えさせる努力をした方が良いかだ。
この、自分の気分をコントロールする為に取る姿勢の使い分けが出来る人は、自分の機嫌を取る事も、周囲の機嫌を取る事も得意と言って良いだろう。
そして、このタイプの人は、一緒にいても疲れる事は少ない。
少なくとも、気分の押し付けが無い事で、その点で振り回される事が無いからだ。
終わりに
気分を周囲に押し付ける人が超嫌われるのは何故か、どうすれば嫌われずに済むか、と言う話でした。
基本的に、気分を周囲に押し付けた時点で、嫌われるので、別の解決手段を持ちましょうと言う話です。
物語の登場人物を描く際、気分を周囲に押し付けるタイプのキャラクターを描いて、嫌われると悩む人が結構います。
その内の何割かは、天然キャラとか天真爛漫キャラを描こうとしての失敗だったりします。
気分を周囲に押し付けるムーブは、物語でも現実でも、やらない方が良いし、やっている人からは距離を取った方が賢明です。
逆に、嫌われるキャラクターを描く場合は、字面以上に物凄い威力で嫌われるので、キャラクターの属性として有効に使うと良いでしょう。
気分は、察して貰えたら嬉しいですし、共感して貰えたら救われる物ですが、周囲に押し付けたら周囲を敵に回しかねない取り扱い注意な物と言う事です。