コラム

「言い訳の余地」は気持ちを楽にするが、現実を救いはしないと言う話【求めよさらば与えられん】

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言い訳ばかりしていたら、人は前に進む事が出来ない

「言い訳の余地」は、人の気持ちを楽にする。

責任が本人以外にあると言う事は、何か別の事物や人のせいに出来て、自分が変わらなくても良いと思えるからだ。

「自分が貧乏なのは、政治家が国の舵取りに大失敗していて、国全体が不景気だから」と思えば、貧乏な現状を受け入れる事を出来る人は多い。

「自分は悪くない。自分は頑張っている」と自信を持って言えるなら、そこに後ろめたさは無い。

それだけで気持ちは楽になり、現状維持を踏まえた工夫をするぐらいの根性は、人によっては湧くだろう。

耐えて待つと言う選択だ。

いっそ割り切って、生活保護の世話になってやり直そうと考える人だっているかもしれない。

逆に、自分では逆立ちしたってどうしようも出来ないと自暴自棄になって、自殺を思い悩む人がいても、おかしな事とは言いきれない。

いずれにしても「言い訳の余地」は、人のプライドや尊厳を守り「俺は悪くねぇっ! 俺は悪くねぇっ!」と、真偽問わず本気で思わせ、心の一部を救ってくれる。

そう言う意味では、言い訳の余地の認識は、人に余裕と、偏っているかもしれないが状況の分析結果をもたらしてくれる事で、とても有用だ。

問題は「言い訳の余地」のせいで、肝心の問題に対して向き合えない場合、それが向き合わないといけない問題の場合に、その状態が維持され、現実でいつまで経っても救われないと言う事態が、あり得る話と言う事だ。

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