コラム

【創作論】「井の中の蛙大海を知らず」の時期が大抵の人には必要かもと言う話

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井の中の蛙である事に気付く通過儀礼を恐れるなかれ?

「井の中の蛙大海を知らず」とは、井戸の中の蛙は海等の井戸の外の事を知らず、井戸内の狭い常識や知識に囚われ、井戸の外を踏まえた大局的な判断が出来ない事を表す言葉だ。

井戸を世界の全てと思い込み、外の世界が無いかの様に振る舞うのは、外の世界では通用しない。

似た言葉に「お山の大将」があり、小さな成功を誇り威張る人や、狭い世界で威張り散らす人を表す時に使う。

どちらも狭い世界しか見ずに偉そうに生きている人に対して、バカにしたり、鼻を明かしたり、窘めたり、外を知らせる事で痛みを伴う気付きを与えようと言う物だ。

確かに井の中の蛙状態もお山の大将状態も、客観的に見ると気分が良い物では無いかもしれない。

当事者も、良い気分になっていたのを突然奈落に突き落とされたり、肩身が狭いとか恥ずかしい気持ちにされて、碌な物では無い。

しかし、現代の高度情報化が進んだ社会では、中二病を予め知った中学生が中二病は恥ずかしい事と回避する様に、井の中の蛙もお山の大将も、SNS等によって世界が近く狭くなった今では回避しやすくなってしまい、井の中の蛙にもお山の大将にも、なりたくてもなれない。

これは、井の中の蛙やお山の大将を純粋に味わえるのが、もはやネットとの接続が難しい幼少期や、家の方針でネットを断っている様な環境だけとなっていて、由々しき事態なのかもしれない。

それは、井の中の蛙を経る事は、無くして見れば貴重な経験だと思うに至ったからだ。

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