コラム物語論。実際の政治劇に見る物語

政治劇に見る物語の構造を解説

政治と聞くと、どんな印象を受けるでしょうか?

硬い、難しい、面倒臭い、自分に関係無い、と言ったネガティブな印象を持つ人もいると思います。

ですが、この記事では、難しい話も左右派と言った話も、執筆者の政治思想の話も出て来ません。

あくまでも、政治劇を通して物語の構造の解説を行っていきます。

物語構造が分かると、なぜ政治劇が面白いか、または下らなかったり詰まらないかの理由も分かります。

政治劇での主人公は、当たり前ですが政治家となります。

政治家全員がある意味で政治劇では主人公の筈です。

しかし、実際の政治を見ていると、誰も主役だと思わない脇役やモブに甘んじている政治家も大勢います。

この記事を読めば、その理由も少し分かります。

あくまでも、この記事では物語の構造と言う観点で説明をするので、政治家を称賛したり否定、批判をする意図は無く、政治自体の良し悪しを評価する物でも無いので、その点はご了承ください。

政治劇に見る主人公

いきなりですが劇場型の政治劇と言うのは、見ていて面白い所があると思います。

日本の政治家で分かり易い主人公タイプの政治家に、小泉進次郎氏がいます。

父親の小泉純一郎氏もですが、共に上手な劇場型の政治劇を演じる事がある政治家です。

政治劇で主人公を演じる事が出来ているのは、ルックスや思想とは関係ありません。

劇場型の政治家は、特定の物語の主人公と同じ様に行動し、それを見せるスキルに長けているから主人公に見えるのです。

基本は、

  • 問題を提示する。
  • 問題を解決する為に行動する。

まずは、この二点が特に重要です。

これら必要最低限の要素に加え、その上で物語カテゴリーで言う「組織の問題」の条件を満たしているのが分かります。

「組織の問題」と言う物語カテゴリーの必須条件とは、

  • 変えるべき慣習やルールのある環境、組織
  • 慣習やルールの異常性に気付ける主人公
  • 慣習やルールに抵抗する主人公

この3つです。

ここで小泉進次郎氏が上手いのは、問題の設定と解決の見せ方にあります。

テレビショー

テレビ東京で放映中の「ガイアの夜明け」と言う番組は、時々、特定の会社や団体に対して問題提起を投げかける特集を組む事があります。

その一つとして、JA(農協)内に存在する組織としての腐敗を取り扱った事がありました。

SNSでも話題になり、知っている人も多いと思います。

その問題に対して、解決に乗り出そうと動いていた政治家として取り上げられていたのが、小泉進次郎氏でした。

その姿勢を見て感じ方は人それぞれだと思いますが、JAにも政治にも興味が無かった人であればある程、小泉進次郎氏が正義の味方に見えた筈です。

それも、その筈。

小泉進次郎氏が置かれている状況は、物語の主人公の立ち位置その物です。

  • この件の場合、JAに虐げられる酪農家という「被害者」
  • 取材をし、JAを告発するテレビ東京という「ヘラルド」
  • 提示された問題に対して、一貫した対処する為の行動をとる小泉進次郎氏と言う主人公として立ち振舞う「問題解決者」
  • 自分達を正当化し、話を聞かない事で組織の外の人に「悪者」と認識され続けるJA

物語に必要な要素が、ほぼほぼ揃い、それぞれがロールプレイの様に演じてしまう。

客観的に物語を見ている人なら、ロールプレイを外れる事も出来ますが、渦中に置かれた人達は自分達が見えていないので、物語の構造の力から逃げられません。

現在も農政改革は進行中ですが、物語としてみれば誰の側に立つのが最終的に幸せになるのかは明らかですね。

この記事を執筆する少し前に、妊娠加算問題(医療費で妊婦に対して追加料金が発生する制度が施行されたが、ルール作りがグズグズで納得性が低い部分があり、妊娠税と呼ばれて問題になった)がニュースで取りざたされた時も、小泉進次郎氏が同じ様な構図で解決に乗り出していました。

その行動を見ていると、政治家としても、物語の主人公としても、ポジショニングから行動まで有能な人物であるのだろうと思わざるを得ない物があります。

政治劇に見る脇役

一方で、主人公になれない、立ち回りが上手くない政治家もいます。

そういう人たちは、大抵の場合、問題の設定をミスしているのです。

与党や法案に対して、ネガティブキャンペーンや妨害をしている政治家を見た事なら、いくらでもあるでしょう。

やれ問題大臣の任命責任だ、ITの分からない責任者は問題だ等と、一見ですが問題を設定して対処している様に見えます。

ですが、物語の観点から言えば、まったく意味の無い行為であり、主人公として見れば失格です。

問題設定の仕方として、脇役を演じている政治家は何を間違っているのでしょうか?

それは、問題を解決しない事で起きる不都合の設定にあります。

つまり「これは問題です」と問題を提示した後に「解決しないと、こんな不都合が起きてしまいます」と言えるかどうか、それだけの場合が非常に多いです。

物語でわかる問題設定の違い

主人公の場合

先に例で挙げた小泉進次郎氏の場合、「JAの今の経営の仕方では、酪農家が不当な扱いを受ける場合がある」と言う問題に対して「解決しないと、酷い扱いを受ける人が出続ける」と言う分かり易い不都合が見えます。

その問題は、ゆくゆくはJAと言う組織の影響下にある全ての人にとって災難となる事は誰の目にも明らかです。

起きている問題と、それによる不都合が分かり易い訳です。

脇役の場合

では、法案やら任命責任を一生懸命に追及している非主人公タイプの政治家はどうでしょうか。

問題を抱えた政治家を大臣に任命してしまった首相に対して、さも正論を言っている様に任命責任を問いただす。

問題のある政治家を要職に任命した事は残念な出来事かもしれませんが、その問題に対して不都合は何でしょうか?

非主人公タイプの政治家は、任命責任から辞任要求を求めたりします。

これも、一見正しい風に見えるかもしれませんが、主人公として考えるとおかしい事が分かります。

責任者が辞任した所で問題は解決しないですし、責任追及と辞任要求をいくらしても、問われた人が反発するか謝罪するかしか得る物がありません。

同じ失敗をしない様に気を付けるぐらいの変化はあるかもしれませんが、その解決策は誰も話し合っていません。

つまり、解決しないで責任を求めるだけの一連の行為は、ここで終われば無駄なんです。

また、起きている問題は、不祥事を起こした大臣にありそうですが、これも実はおかしな話です。

例えば、犯罪に手を染めた政治家への追及ならば、犯罪の被害者がいて、被害者の為に徹底追及すれば、物語として正義を行えるでしょう。

ですが、多くの場合は、犯罪と言うよりはルール違反や能力不足に対する抗議です。

どちらにしても、問題となるのは、問題自体では無く、問題のある人物にばかり目を向けている事にあります。

罪には報い、裁き、償い等が必要でしょう。

ですが、裁判では当たり前に行われる事が、政治の世界だと行われません。

発生した問題は見ずに、問題を起こした人を叩き、それで解決した様に思い込みます。

不都合や被害者がいない、または分かりにくい事の上に、問題を深掘りせず、その問題を解決するのではなく、責任の所在ばかりに目が行くタイプの政治家は、実は一個も問題を解決してなどいないのです。

酷いと、不都合がそもそも見えていなかったりする場合や、被害者がいない時まであります。

物語的に見れば、彼らは脇役かモブ、悪ければ邪魔者です。

このタイプの政治家は、取り上げたい問題を、ちゃんと解決しないといけない問題だと提案し、それを民衆に認められない限り、本来の政治活動と言う領分において支持も得られなければ、主役にもなれません。

任命責任や欠陥のある法案にヤジを飛ばすのは、政治家の仕事ではないのです。

問題と起きる不都合に気付き、提案し、解決する、たったこれだけの事が出来ない政治家が、役職だけのお荷物政治家になります。

問題を解決せず、外から見ている人々に支持もされない政治家、何て言う存在は、どう考えても問題がありますよね。

彼らが、本来は意味があり見ていて面白くさえある政治劇を、下らなくしている原因です。

彼らが主役をはるためには、問題と不都合に向き合い、問題解決者として先頭に立って行動しなければなりません。

トランプ大統領は主人公?

都合が良く分かりやすい物語に民衆は惹かれます。

トランプ大統領は、選挙戦当時、大半の予想を覆して大統領に当選しました。

その時、公約に掲げていたのは、メキシコ国境の壁建設計画や、アメリカ国内の雇用回復、等です。

つまり、今起きている問題として、難民や密入国者による犯罪や雇用喪失、失業問題等を取り上げ、それらの解決者に名乗りを上げた訳です。

ここまで見れば、トランプ大統領は主人公として振る舞うのが上手く、自身でも好きであろう事が分かります。

大統領選において、トランプ大統領は一定の民衆に、物語の主人公として認識されていたと言って良いと思います。

ですが、問題はここからです。

主人公を買って出たトランプ大統領は、主人公として振る舞う事を大統領任期中は強制される事になります。

公約を破っては、嘘つきのレッテルが張られてしまいます。

トランプ大統領は、当選後、次々と強引に公約を守ろうと行動していきました。

壁建設や雇用創出の為に、見方によっては大いに尽力した訳です。

つまり、見る人によっては、トランプ大統領は、政治劇の主人公であり続けている訳です。

それなのに、当選前から今に至るまで反発やネガティブキャンペーンを受け続けているのは、どうしてでしょうか?

それは、問題と不都合の設定、だけでなく、その問題解決行動自体に問題があるからです。

まず、ここで取り上げた難民問題ですが、壁建設は問題解決に役立ちそうに見えない事も無いです。

ですが、壁建設をしても密入国者や難民の数は減らせても、実は問題は何も解決していません。

失業問題でもそうです。

国内に工場を誘致したり、貿易戦争を起こしたり、行動しています。

その中で、アメリカの老舗バイクメーカーであるハーレーダビッドソンが政策についていけずに海外に移転してしまった事は有名ですね。

複数の要因によって引き起こされている問題に対して、トランプ大統領がとる行動は、いつも極端な一極集中型の対処であって、解決ではありません。

問題が起きている原因や、本当の問題には目を向けず、表面的な問題を取り繕う形で強引に対処していきます。

この手法は、問題が本質的には何も解決されていない為、一時的には景気が良くなったり、支持者の期待に応えている風には見せられますが、リスキーです。

問題を先送りにしたり、実は複雑にしているだけなので、後が非常に怖い政治劇と言えます。

つまり、トランプ大統領は主人公か否かについては、大統領選までは主人公だったですが、実際に大統領になってからは、主人公の様に振舞っていますが、主人公足りえない政治家でしかないと言うのが結論です。

どちらかと言うと、気が付いたら負の遺産を作ってしまい、後に現れるであろう主人公タイプの政治家が解決すべき問題を残してしまいそうな感じすらあります。

まとめ

「あの政治家、問題に向き合ってない。脇役だな」

なんていう風に政治家を判断するのはどうかと思いますが、物語の主人公かどうかで見ると政治家として、ちゃんと仕事をしているかどうかの指標になるのも、事実です。

立ち位置としてフィクサー的で有能な政治家も中には、いるでしょう。

ですが、主人公は主人公でも、彼らは本音を見せずに目的を達成しようと暗躍するタイプの主人公で外からは見えにくい部分があります。

それでも、フィクサーが有能なのは、目的に向かって動く事で何らかの問題に立ち向かっているからです。

一番のダメな政治家とは、問題解決に寄与しないタイプや、邪魔をするタイプの政治家です。

腐敗したり停滞する事が多い政治と言う物語を面白くするには、脇役やモブ、邪魔者に知らぬ間になってしまっている無意識の政治家達が、それぞれ自分が解決すべき問題の解決に乗り出すか、政治の世界から足を洗うかした時です。

問題解決せずに地位に意味を見出す政治家は、政治劇をつまらなくし、政治自体も腐敗させます。

本来の政治家とは、国や地域、団体などの抱えている問題を解決する為に動ける主人公であるべきなのです。

そう言う見方をすると、きっと政治劇が前より面白くなり、正しい政策の指標がそれぞれの中に生まれると思います。

この記事が、より良い「組織の問題」の物語構造を持った面白い物語の糧になる事を願います。

※この記事は、内容の修正や追加を行う可能性があります。

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