鳥山明の歴史
- 誕生日:1955年4月5日
- 性別:男性
- 国籍:日本
簡易年表
幼少期
- ディズニーと手塚アニメが好きな少年だったらしい。
- 中でも101匹わんちゃん(1961年、日本公開1962年で7歳の時)や鉄腕アトム(1963年放送開始、8歳の時)の影響を受けていたと言う。
- 1971年、16歳の時、高校時代は漫画同好会所属だったが、漫画は描かなかったと言う。
- 1974年、19歳で絵を描く仕事をしたくて広告関係のデザイン会社に就職するも、3年で辞めてしまう。
デビュー前
- 1977年、22歳の時に、マガジンの新人賞募集記事を見て、50万円の賞金目当てで漫画を描き始める。
- 1978年、23歳で読み切り作品「アワワワールド」をジャンプ新人賞に応募するも落選。ジャンルでギャグマンガを選んだ理由は、ページ数規定が半分で良いからと言う物。
- 1978年に再び書き上げた「謎のレインジャック」が後に担当編集になる鳥嶋氏の目に留まり、修行開始。
- 当時はスターウォーズ(1977年、日本公開1978年)のパロディを描いたりもしつつ、年500枚(月換算40枚強)程度のペースで執筆を続けた。
デビュー
- 1978年、読み切り作品「ワンダー・アイランド」でデビューするも、アンケート最下位と言う結果だった。
- 1979年、24歳の時、鳥嶋氏と共に試行錯誤する中、読み切り作品「ギャル刑事トマト」の評判が良く、掲載が決まる。
- 鳥山先生が苦手としていた「女性キャラクター」が鍵だと、作品のカラーを方向転換。
ヒット
- 1980年、25歳、連載作品「Dr.スランプ」を開始。最初のヒットに恵まれる。
- 1981年、26歳、「Dr.スランプ」アニメ化。
- 1981年 、第27回小学館漫画賞 少年少女部門受賞「Dr.スランプ」
- 1984年、29歳、連載作品「ドラゴンボール」を開始。大ヒットする。
- 1986年、31歳「ドラゴンボール」アニメ化
- 1986年、「ドラゴンクエスト」のイラストを担当。大ヒットし、以後シリーズを手掛ける事になる。
- 1995年、40歳「ドラゴンボール」完結。
- 1995年、「クロノトリガー」のイラストを担当。大ヒットする。
- 2000年、45歳、 第4回文化庁メディア芸術祭 デジタルアート・インタラクティブ部門大賞受賞「ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち」
- 2006年 、51歳、日本のメディア芸術100選 マンガ部門3位選出「ドラゴンボール」
- 2013年 、58歳、第40回アングレーム国際漫画祭 40周年記念特別賞受賞
漫画
長期連載作品
- Dr.スランプ(『週刊少年ジャンプ』1980年5・6合併号 – 1984年39号)全236話。
- ドラゴンボール(『週刊少年ジャンプ』1984年51号 – 1995年25号)全519話。
※更に詳細情報を知りたい人は、Wikipediaへ。
※この記事は、加筆・修正する予定です。
※年齢は、およそです。
※大半の情報ソースが、ネット上です。大間違いがあれば報告いただけますと幸いです。
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