愚か者と仏は紙一重?
企画・プロデュースを明石家さんま、原作は西加奈子、アニメーション制作STUDIO4℃と言う珍しい組み合わせで、話題にもなっていたアニメ映画「漁港の肉子ちゃん」を見たので、感想など。
どんな話?
本作は、糞みたいな男性遍歴で各地を転々として生きる、バカでデブでお人好しの「肉子ちゃん」こと見須子 菊子は主役であるが、主人公ではない。
そんな母親に振り回される人生が当たり前で受け入れて生きている、11歳の「キクりん」こと見須子 喜久子が、主人公である。
二人の「きくこ」と言う名の母娘が、北の港町で人々と交流し、二人支え合い慎ましく暮らす姿を描く中で、二人の秘密が明かされていく物語だ。
子供の抱える問題の描写が上手い
11歳のキクりんは、とても年相応だ。
バカでデブな母親を持った世間体に悩み、自己中な友達に悩み、気になる同級生に悩み、自分の在り方に悩みと、子供なりの悩みが多い。
そのどれもが、ヒリヒリするギリギリの所まで問題と一度接近こそするが、そこまで大きな衝突が起きる事は、良い意味で無い。
事が起きた後に、キクりんが我慢や、やり過ごしをした後に「やっぱり」と気付き、気付かされ、行動したり、周囲の助けで悩みが解決に向かう。
キクりんが間違った判断や決断をしても、誰かが気付かせてくれる事が、子供ゆえの問題解決に直結していて、それらを通したキクりんの成長が物語のクライマックスにしっかりと活きている。
11歳の時なんて、親の些細な言動が鬱陶しかったり恥ずかしく感じる多感な時期だし、ある程度人数がいればクラスメイトのゴタゴタに遭遇したりもある筈なので、11歳以上の全ての世代に共感性が高いのも良い。
肉子ちゃんが抱える秘密
本作で重要などんでん返しが、肉子ちゃんが抱える秘密にある。
一見すると、糞みたいな人生を送っている肉子ちゃんだ。
だが、当の肉子ちゃんは大抵の事への「切り替え」が異様に良く、嫌な事があると生きる環境から全部変える事で、それ以前の失敗を引きずらずに、大半の人生を刹那的に、まあまあ楽しく過ごしている。
キャリアを積み重ねるとか一つの事に執着する事がほぼ無く、プラスもマイナスも、ほぼ持ち越さない生き方をしているのだ。
水商売、総菜屋の店員、各地で自分が出来る事を淡々とこなし、人生で一発逆転とか大成功を求める訳では無いので、ただ行く先々で肉子ちゃんなりに適応して生きていく。
生存力が高い女性として描かれる。
そんな肉子ちゃんが、数少ない執着を持った存在が、主人公であるキクりんだ。
そこに、肉子ちゃんの秘密がある。
どんでん返しネタバレ
娘なのだから、多少執着しても当然に思えるかもしれないが、それは違う。
キクりんは、実は肉子ちゃんが妹の様に可愛がっていた親友の娘なのだ。
それも、その親友が肉子ちゃんもキクりんも捨てて姿を消した末に、肉子ちゃんが母親代わりに育てていたという話が、物語のクライマックスで明かされる。
ちなみに親友は裕福な人と結婚し、別に子供も生まれている。
このどんでん返しの伏線は、母娘なのに極端に見た目が似ていない点、母娘で同じ名前と言う設定(菊子ちゃんから名前を取られて喜久子となった描写がある)、肉子がキクりんに秘密で連絡をする謎の相手の存在、と劇中で張り巡らされている。
ミスリードで、肉子ちゃんが男にだらしがないので、新しい彼氏と連絡を取っているに違いないと言うキクりんの勘違いも描かれるが、わかりやすいミスリードだ。
このどんでん返しだが、肉子ちゃんが抱える秘密自体の面白さは、大した事無い。
それよりも大きな意味があるのは、あらゆる物に執着を見せなかった肉子ちゃんが、キクりんにだけは執着を見せるが、それでもキクりんの幸せを、必要なら考えて身を引こうと言う一貫した姿勢である。
肉子ちゃんの糞人生の中で、押し付けられる形で母として接する事となったキクりんの存在だけが、肉子ちゃんの人生では本物の特別であり、そんなキクりんの為なら肉子ちゃんはキクりんを手放す事もいとわない程に愛が深い事が明かされるのだ。
肉子ちゃんは、一貫して愚かな人間であり、一貫して優しく自己犠牲的で、いつも人に搾取される側の人間として描かれる。
それだけを切り取って見せられるパートでは、肉子ちゃんの糞みたいな人生は娘を振り回す毒親にさえ見えかねない。
だが、肉子ちゃんは、キクりんに対しても一貫して優しく自己犠牲的なのだ。
肉子ちゃんの誰に対しても優しい姿勢は、相手に悪意がある時は愚か者となるが、相手に善意がある場合は仏の様に映る。
こうして、物語のクライマックスでは、散々利用されて生きてきた肉子ちゃんだったが、キクりんの存在によってこれまでの人生が肯定され、大きく報われる事となる。
それまでが糞みたいな人生でも、肉子ちゃんがいたからこそキクりんの幸せな今があるわけだ。
終わりに
肉子ちゃんの一貫した執着しない姿勢と、裏腹に母心からキクりんを手放そうとして流す涙の重みは、人によっては、かなり涙腺に来るだろう。
出自から自分が望まれずに生まれたと思い悩み苦しむキクりんの存在を力強く肯定したサッサンも良かったし、キクりんのキャラクターも、まだ性別の無い子供で中性的な少女として描かれ、主人公として魅力的だった。
クライマックスの食中毒かと思ったら生理と言う流れに見せかけて普通に病気の後に、エピローグでの今度は本当に生理が来て、それを肉子ちゃんが喜び終わるシーンでは、肉子ちゃんが見せる母親の顔は、それまでの友達親子状態から変化して、二人が本当の親子になった事が見て取れて、そのアニメーションには、かなりグッと来た。
さんまさんがラストのラストでゲスト出演も、お遊びとして面白い。
他、有名人声優もみんな上手くて、見てて気付くが気にならなかったのも良かった。
本作は、アニメーションとしての出来も良く、非常に良作である。
追記:なぜ生理?
簡単な一考察となるが、キクりんは長らく自分の在り方に悩み、望まれずに生まれてきたのでは無いかと不安だった。
実の母に捨てられ、母代わりの肉子ちゃんは男運が無く糞人生を目の前で送り、そんな二人に振り回されている。
だが、そこにあるのは被害者意識よりも、むしろ懸命に母を演じる肉子ちゃんの重荷になっている事への後ろめたさの方が大きく見える。
そこには、ある種の少女なりの女性性への不信感や、大人の女性や、母と言う存在への抵抗、肉子ちゃんを支える良い子供でいなければならない様な強迫観念の様な物、等々があってもおかしくない。
そう考えると、物語のクライマックスでサッサンと肉子ちゃんによって「望まれて生まれてきた」と肯定されるまでの、当初のキクりんは、身長こそのびているが第二次性徴的な成長が遅れ、女性に、大人になる事に心と身体が抵抗していると見る事も出来る。
つまり、最後のシーンで生理が来たと言う事は、キクりんにとって望まれて生まれてきたと言う肯定を得る事で、要するに止まっていた時間が動き出した、心が開放された結果の演出と言えてくる。
望まれずに産み落とされ仕方なしに育てられたのではなく、後付けだろうと確かに誰かに望まれたと認識したからこそ、キクりんも自身が母になる資格を受け入れられたし、肉子ちゃんもキクりんに対して娘の成長を喜びをストレートに伝えられた。
そこに以前の様な擦れ違いが無い状態で、肉子ちゃんが本当に母として祝福しているとキクりんが実感を持って受け取れたのは、望まれた娘であると認識し、肉子ちゃんは血が繋がっていないが本当の母と認識しているからだ。
生理は、そんな象徴であり、本当に大事なのは二人が真の母娘となった事だろう。



