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完成させるって、実は難しい?
最近、SNSで様々なアーティストやクリエイターが「作品を完成させる癖をつけないとプロになれない」とか、「実は初めて作品完成したのが連載1話目でした」とか、よく聞く話から驚きの事実みたいな話まで、色々な経験談や考えを話題にしている。
それらを眺めて思ったのは、十人十色で絶対の正解は存在しないと言う事。
かくいう私も、作品を完成まで持っていくのには苦労した側の人間だ。
世の中、頓挫や座礁ばかり。実は見えてないだけ!
何らかの創作、あるいはモノ作りに打ち込んだ事がある人なら分かると思うが、世の中「中止」が表からは見えていないだけで、物凄い数ある。
(配信の脚本教室も止まってて実質座礁してるし……うわああああぁあああ!!!?)
見たもの、経験したもの、色々あるが、物を作る計画を最後まで完走させるには、完成させた事のある経験者に引っ張って貰うのが本当に効果的。
完成経験者不在計画の多くは途中で空中分解する。
しかし、完成経験者がいたってする時は容赦なく途中で爆散したりする。
見えてないだけで、世の中の何かしらの「すごいもの」は、間違い無く屍の上に築かれていると言って良い。
世の中の大半は、客観的に見た時の失敗で出来ている。
だから、客観的に見た時の完成や、成功が、本当にすごく、価値があるわけだ。
完成させただけで、結構えらいのだ。
スクリプトドクターだから見える世界?
私事な例であれだが、スクリプトドクターを受ける際、依頼される関わる作品は、何かしら上手く行っていないか、困りごとがある事が大半だ。
私はこれまで、恐らく10年足らずだが、プロアマや作品の大小問わず、3桁以上の作品にスクリプトドクターとして参加してきた。
関わった作品では、スクリプトドクターとして解決できる問題は、洗い出し、解決の目途を立て、実際解決してきた。
だが、その中で、手放しに言える「完成!」にこぎつけた作品は、あくまでも体感になるが、恐らく多くても4割、実際は、もっと少ない可能性がある。
せっかくスクリプトドクターに入っても、実は、大半の作品は完成や、発表までたどり着く事さえ出来ない。
スクリプトドクターの場合、そもそも作品や作者が問題を抱えているので、問題の解決が難しいと頓挫する率が高いと言う事もあるが、油断すると問題が解決しても別の問題で潰れてしまうなんて事は日常茶飯事だ。
ゲームのプロジェクトに参加して待っていたら作品自体が消えていたり、漫画でもアニメでも小説でも、ちょっと変わった所だと歌の作詞に参加して曲も出来てたのに消えたり、キャラクター物の設定に関わったら消えてたり、Vチューバ―に関わったら消えてたり、アマチュアだけでなく商業作品だってプロの集団が関わってたって、完成しない時はある。
私の完成経験
物事を最後までやり抜くのは、人によっては大変な物だ。
私が学生時代、某専門学校に通っていた時に卒業制作で作品を完成させろと言う課題が出されたが、完成こそ無理やりさせ卒業したが、肝心の作品の出来は控えめに言ってクソだった。
完成こそさせたが、完成経験と言える様なクオリティも体感も無く、実に酷い物であった。
私は、長時間の集中力はモチベーションが無いと続かず、モチベーションがあっても長時間は辛いと言う、集中をコントロールする事も難しいし、最後まで丁寧にやり切る事も苦手な人種だ。
このブログも毎日更新を心掛け続けているが、筆が乗ってない時は散文駄文と化す自覚はある。
正直言って、作るのに時間がかかる物をちゃんと完成させた経験は、恥ずかしながら私の場合は大人になってからだ。
書かない書けない側だった私がどうやって最初の完成経験まで自分を持って行ったのか。
これは、あくまでも私の経験に過ぎないが、私が最初に完成経験を積む為にした事は「難しい事を考えない」と言う手法だった。
「は?」と思うだろうが、私も言葉足らずな表現だと言う事は分かっている。
私は、完成させる為に、まず、その回の創作では、難しい事を全て排除した。
客観的に見て完成させた事が無い人間は、完成させるだけの能力が無い筈だ。
だから、ある能力だけで完成させられる事を目指した。
そして、脚本術や創作論は色々と頭にあったが、全て意図的に無視した。
あれが出来てない、これが出来てない、そう言う事の気付きは、創作中のモチベーションを下げる。
なので、その回の創作の正解は、出来る事の範囲で好きな様に書いて完成させる事だけに注力したわけだ。
多くの意識の高い創作者は、自分の目指す理想の作品と比較して自分の身の程を知り、傷だらけになり、そして筆が止まる。
それが起きない状況を作るだけで、完成させられる確率は高まる。
自由に好きに気ままに無計画に、それが正解なら失敗の方が難しい。
その状態で書き、人からの評価も気にせず、とにかく書き切った。
そしたら、それまで完成は難しいと感じていたのに、あっさりと作品は一段落し完成した。
客観的な出来は、改善の余地が多々ある事は自分でも分かったが、その時の完成作品には今までの無理やり完成させた不完全完成作品には無い、実感や作品への愛的な物がある事が自分には分かった。
出来ない事を出来ないまま、無理にやろうとすると失敗する。
実は、完成しない作品の何割かは、たったこれだけの事なのかもしれない。
創作論は、最初の完成の後にこそ役立つ
私のブログには「創作論 無駄」とかってキーワードで辿り着く人が一定数いたりする。
創作論をいくら勉強しても、創作出来ないなんて人からすると確かに創作論は無駄に思えるかもしれない。
だが、私から言わせて貰えば、創作論は、ガムシャラにでも最初の作品を完成させた後にこそ、それをより良くする場面で使えて、役に立つ。
料理をした事が無い人にレシピを見せるより、料理をして上手く行かなかった人がレシピを見てリベンジした方が上手に作れるのは、当たり前だろう。
創作論の役立つ度合いとは、その様な物だ。
まず、作ってみる事から始めなければならない。
完成させるもう一つの方法、タイムリミット
上にも書いたが、私は学校の卒業制作をクソみたいなクオリティではあったが、完成させはした。
つまり、出来ない事の排除以外に、完成させる以外の選択肢を奪う事でも作品を完成に向かわせる事は出来る。
問題は、こちらの手法だけで作ると、クソになる。
これは、会社組織で何かを作る時も同じだ。
終わりに
出来る事を増やし、その上でタイムリミットもあると、作品はコンスタントに完成し始める。
完成経験が無く、完成が難しく感じる場合、出来る事が少ない時は、出来る範囲で、せいぜいちょっと背伸びぐらいで完成させてしまう事だ。
完成経験を積みつつ、出来る事が増えていけば、今まで作れなかった物も気付けば完成させられるだけの能力が身に着く。
人の評価も理論も気にせず、好きな物を出来る範囲で完成させる事が、完成未経験者には先決だろう。
余談だが、さっきコロナワクチン打って、じんわり腕痛いし怠いしで今日は駄目な感じ。



