コラム

自分に非がある時に他責思考で行動するな、と言う話【ドラマ版セクシー田中さん騒動を眺めて】

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基本、非がある時は素直に認めるのが「吉」

人は、自分が失敗した時に言い訳をしたくなるもの。

それは別に良い事で、事情の共有によって得られる事物が多々あり、内容があれば有益だ。

しかし、言い訳とは、失敗した時の弁明や説明責任を果たす為にする事で、する場面では既に「失敗してる事が前提」にある。

そんな時、自分の失敗を認められず「他人のせい」にする言い訳をしてしまう人が、世の中にはいる物だ。

それも、それが事実であれば有益な情報共有となる。

だが、そこに自分の非を認めず、他人のせいでそうなったと言う、他責思考が前面に出た時、他責が100%で無い場合は、事情は大きく変わって来る。

自分の非が0%でなく、仮に0.1%でも責任があるなら、その分の責任は果たすべきで、請け負うべきで、その事実は言い訳の中で開示する必要がある。

このルールを破ったり、一方的な自分に都合が良い言い分と解釈で他人を責めると、それを見ている人達は、歪んだ言い訳や責任の押し付けをする人の方をぶん殴りにかかる。

セクシー田中さん騒動の爆心地となってしまった「脚本家の言い訳」

セクシー田中さん騒動は、マクロに見れば業界に蔓延る悪しき暗黙の了解や空気によって起きていた事と見る事が本来は出来た事だろう。

  • 「漫画は実写作品より下で、ドラマ化は結果的に漫画を売ってやる上の行いなのだから、漫画原作者は原作と言うドラマの材料を黙って差し出せば良い」
  • 「ドラマ、映画、アニメを作る時に原作者は好きにさせてくれないから作るのに邪魔。こっちは、もっと良くしてやってるんだ」
  • 「脚本業界はテレビドラマ業界の事情から原作付きばかりが通りやすく、オリジナル脚本を通しにくいから、脚本家が自分のやりたいオリジナルをやるには原作改変が手っ取り早いから必要悪だ」

と、業界の一定数の人々が考え、思い込み、その中でリスペクトも対話も無い人達が好き勝手にやっても「そういうものだから」となって来た歴史と環境があった。

主に、小説や漫画を原作とした映像化企画は、許諾が出て企画が動き出した後にこそ制作現場で事件や事故が起きる。

しかし、許諾を出した後の動き出した企画は、超長大な列車みたいな物だ。

原作者は、この走り出した列車の緊急ブレーキボタンを持っている。

だが、緊急ブレーキボタンは、ちょっとやそっとの事では押す事が出来ない。

原作者の目線で列車が暴走気味になったとしても、原作者は、緊急ブレーキボタンを押す事は難しい。

それに、仮に緊急ブレーキボタンを押しても、列車はすぐに止まらないし、緊急ブレーキボタンを押す事を邪魔してくる人も大勢いる。

暴走列車は、原作者として明らかに暴走状態を分かった上で、出来れば押したくない面倒事を抱える覚悟を持って、やっと押される。

セクシー田中さん騒動では、原作者の芦原妃名子先生が、

  • 事前に原作通りの映像化と言う条件でOKした事
  • それが全く守られなかった事

と言う、明らかなドラマ企画と言う列車の暴走状態を把握し、緊急ブレーキボタンを押すでは無く、共に乗り込んで軌道修正を行うと言う対処をされた。

ここまでだったら、恐らく「良くある原作者とドラマ制作側のトラブル」となり、それだけで終わっていた話だっただろう。

ブーメランは、投げた所に戻って来る

この騒動を迂闊にも自分の物にしてしまったのは、ドラマ版セクシー田中さんの1~8話の脚本を担当している脚本家さん自身だ。

件の脚本家さんは、原作付き作品の脚本を担当する際、原作ファンからは原作クラッシャーと揶揄される事もある人物であるが、それは、今の日本実写ドラマ的文法や出演俳優、等に寄り添った脚本家として立ち回った結果と言える部分もある。

今回の問題は、インスタグラムに書いたコメントが「自分の責任ではない」と言う風に取れる様な書き方となってしまった事がある。

要約「8話までは自分の脚本だが、9、10話は原作者の脚本」は、事実の報告ではあるが、その後に「脚本家の存在意義を考えさせられる苦い経験をした。二度と同じ事が繰り返されませんように」と言う匂わせ発言によって、原作者からの説明と釈明を引き出し、暗に原作者を批判したと大炎上に発展し、原作者を自殺に追い込んだ切欠を作ってしまったと大批判される事態になっている。

原作者、あるいは暗に実はプロデューサー等の別の人物批判だったとしても、いずれにしても9、10話を降ろされた責任の一端は、間違い無く脚本家自身にもある。

原作者とプロデューサーの板挟みなら可哀想だが、両者のオーダーを(不可能だとしても)両立出来なかった事を認めるしかないし、その場合は、脚本家の存在意義なんて考えないだろうし、二度と同じ事が繰り返されないなんて事は、無いのは分かり切っている。

つまり、板挟み説は、可能性が低い事になる。

となると、確信犯で契約違反をして脚本を降ろされていた、と言う事に、原作者からの暴露も加味すると、なってしまう。

であれば「業界の暗黙の了解に守られている筈なのに!」と暗に愚痴らず「原作者に降ろされた!」なんて態度も出さず、「契約違反をやらかしたので降ろされ、各方面に迷惑をかけた」と言うのが、本来の筋だ。

それを「自分はいつも通りちゃんとしていたのに、原作者の我儘でドラマ版が失敗しちゃった」みたいな空気を出しても、裏で何があったか知らない人達には大丈夫やろ、と匂わせコメントを、”我慢できず”にしてしまった。

それが原因で、まさかの裏が原作者によって暴露され、完全にこいつの方が悪いじゃんとSNSで火がつき特大のブーメランが飛んできたわけだ。

さらに悪い事に、シナリオ協会も動画によって、おかわりのガソリンを火元に持ってきたり、脚本家自体に火の手が燃え広がる事態となっていて、見るに耐えない。

発した言葉がブーメランか否かは、自分の側に非があるかで結構決まる。

今回の場合、発言する人がことごとく自分にも非があるのに、それを認識出来ずにブーメランを投げ、投げたブーメランに火がついて戻って来ると言う事を繰り返している。

非が自分にある時は、自分の非も正直に話さなければ、言い訳は誰も聞いてくれない。

脚本家だけが悪いわけではなく、切欠を作ってしまった書き込みも軽い気持ちでやっているのだろうが、非を受け止めたり流すだけの我慢が出来ず、結果やらかした事象が手を下した個別の行動が持つ意味以上の大事になった点では、非もあるが、客観的に見ると超不運とも言える。

自分の非を隠して愚痴れる場所は、クローズドな場所だけ

今回、気付かずにブーメランを投げてしまった原因は、そこがSNSと言うオープンな場所だと忘れての事だろう。

閉じられた限られた場所で、知り合いに秘密を守って貰う状態で自分の非を隠して、ひっそり愚痴る分には、ブーメランは自分に返ってくる可能性は低い。

しかし、オープンな場所で他責思考な発言をするという事は、責任を擦り付けられる人が見てい聞いている可能性が高いと言う事である。

責任を擦り付けられる場合、普通の感覚では、責任を擦り付け返す事になる。

目の前で「あいつのせいで仕事クビになった」って言ってる奴が実は、会社の金の使い込みがバレて、あいつと言っている人が告発しただけだったら、悪く言われた人は「いやいやお前の自業自得だろう」と言いたくなるだろう。

つまり、オープンな場所で、自分の非を隠し、他責思考で言い訳をすると、超高い確率でブーメランが飛んでくるのだ。

仮に、これが自分の非を隠さないで、言い訳をする場合は、ブーメランにならない。

つまり、オープンな所で自分の非を明かせない自分に非がある事を、他責思考で言い訳する場合、言い訳をしたい我慢をしないで済む代わりに、責任を押し付けられた人から反撃を受けると言う口は災いのもと状態によく陥る。

終わりに

自分に非がある時に、開けた場所で他人に責任を擦り付けるのは、本当にやめよう。

と言う話でした。

自分の非もオープンにするか、グッと我慢するか、クローズな場所と相手を選ぼう。

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