定義

【ネタバレあり感想】「プラットフォーム2」を見ました。【ちょっと考察】

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まさかの続編

難解社会風刺映画プラットフォームの2がネットフリックスに来ていたので感想などを。

むしろ1よりも謎が増えたのですが。

プラットフォームとは?

「プラットフォーム」とは、2019年公開のスペイン映画で、ジャンルはSFシチュエーションホラーと言った所か。

縦長の収容施設で行われている謎の社会実験に、カウンセリングと称してぶち込まれたり、外での生活が有利になる認定証を求め自ら志願して参加した人達が、ルールに沿って生活させられる中で酷い目に遭っていく話だ。

プラットフォームのルール

プラットフォームでの実験には一定の法則とルールがある。

  • 1階層につき二人。
  • 1日1回エレベーターに乗って食べ物が上階からやってきて一定時間停止する。
  • エレベーターが動く時はランプがつく。
  • 下の階は上の階の残り物を食べる。
  • 1ヵ月で部屋が変わる。ガスで眠らされている間に階層移動させられる。移動階層はランダム。
  • 夜は赤い明かりで消灯。
  • 同居人は相手が死なないと変わらない。
  • 1階層の高さは6~7メートル。
  • 食べ物は保存出来ない、部屋に残すと室温が食べ物を捨てるまで上がるか下がるかし、部屋にいる人を殺す。
  • 一人一つだけ物の持ち込みが出来る。無くしても再支給は無く、他人に譲渡も出来る。
  • 一つだけメニューのリクエストが出来る。
  • 殺人・食人は禁じられていない。
  • 階層移動も禁じられていない。
  • 16歳以上しか実験に参加しない。
  • タバコは禁止。
  • 生存者のいない階には止まらない。
  • 333階層が一般部屋の最下層。
  • エレベーターは最下層から最上層に高速で戻る。

等が1を最後まで見ていると描かれ、1では管理局VSC側の描写が料理関係のみ描写されたりもする。

この事から、プラットフォームは推定2㎞前後の縦長の建造物で、エレベータが浮遊している事から現代よりも科学レベルが進んだ世界である事が示唆されている。

また、ドン・キホーテやブルゴーニュ産エスカルゴ等が存在する事から現代文明と地続きの社会である事も分かる。

これが少なくとも何十年も外部の人が実態を知らない状態で運営されている設定だ。

1作目の概要

前作に当たる1作目では、縦長の施設を社会の縦構造と見て、主人公ゴレンがプラットフォーム内で出会う人々を階層社会に住む人のメタファーとして

  • 自己中な老人の男性:トリマガシ、持ち込みは包丁サムライプラス
  • 理想家で元管理者側の女性:イモギリ(イモギア)、持ち込みは愛犬ラムセス2世
  • 敬虔な宗教家で善人の男性:バハラト、持ち込みはロープ
  • 穴を渡り歩きながら娘を探しながら邪魔者を殺していると言う謎の女:ミハル、持ち込みはウクレレ

の4人とそれぞれ交流しながら、実験の管理者に対して抵抗する姿が描かれた。

最初の同居人トリマガシは、違法移民に投げつけたテレビが命中して殺してしまい、精神病院か実験場かの二択で参加していて、

72→26→78→43→11→79→32→8→132→48

と階層を上下に移動して既に1年近く実験場で生き延びていた。

しかし、48階層で出会った直後は友好的だったトリマガシだが、171階層でゴレンを非常食にしようとし、ゴレンの太ももを食べようとした所を偶然やって来たミハルによってトリマガシは襲われる。

そのままトリマガシを殺し、トリマガシの死体に湧いたウジを食べる事で、ゴレンは部屋替えまで生き延びる。

目が覚めるとゴレンは33階層にいて、イモギリと出会い、プラットフォーム内に秩序を作ろうとする彼女に感化される。

だが、ミハルによって犬のラムセス2世が殺され、部屋替えで202階層に飛ばされた事でイモギリは絶望して自殺してしまう。

ゴレンは持ち込んだドン・キホーテの本を食べる事でどうにか生き残り、部屋替えで今度は6層へ行き、信心深いバハラトと出会う。

バハラトと共に、どうにかプラットフォーム内のルールを変える為に穴を降りる決意をし、ゴレンとバハラトはパンナコッタを手つかずで0層に戻す事になるが、途中でミハルに襲いかかる男達と争いになり、ミハルが死に、バハラトも重傷を負う。

当初ゴレンはプラットフォームの階層はせいぜい250階層ぐらいと踏んでいたがエレベータは降り続け、最下層の333階層に施設に存在しない筈の子供がいて、ゴレンとバハラトは子供にパンナコッタを与えてしまう。

その後、バハラトは失血によって静かに息を引き取り、ゴレンは子供と共に部屋の無い最深階層まで行くと、子供だけを乗せて0層へとパンナコッタに代わるメッセージとして送り届ける。

1作目はここで物語が終わり、社会内での一般人、知識人、宗教家、移民、あるいは、適応する者、理想を語る者、行動を起こす者、適応しない者、様々なメタファーを通して現代社会を皮肉に描き出していた。

2作目の概要

2は1作目を見ている前提の作りだが、時系列は1の前から始まり、1作目の主人公であるゴレンがやって来る前のプラットフォームの状況が、2作目主人公であるペレンプアンを通してドロドロと描かれていく。

ペレンプアンはアーティストの女性で、同居人としてザミアティンと言う大柄で粗野な男性とのプラットフォーム生活が始まる。

プラットフォーム内にはプラットフォームの管理局が課したわけではない、参加者達が守る事を強いられるローカルルールがあり、

  • リクエストした食べ物しか食べられない、リクエストした物以外の食べ物を食べるなら交換するしかない。
  • 死んだ人のリクエストした料理は捨てる事。人が死んで得をする人を出さない。
  • 法は正確に守らないとならない。解釈の余地はない。
  • 法を犯したら1度目は手を切断。二度目は生きたままエレベーターに括りつけられて食べられる処刑。

となっていて、その点で1作目とは少し事情が違う。

プラットフォーム内にはメシアと呼ばれるカリスマがいて、メシアに従う一派、油注がれし者と言う信徒に従うロイヤリスト達が法に従わない人達に罰を与えて回っていた。

ペレンプアンとザミアティンは24階層で目覚め、自分達がそれぞれリクエストしたハムコロッケとピザ以外食べられない生活をしていき、次は181階層に移される。

そこで食事もままならない状況で、ザミアティンが密かに死者の食べ物を盗み食いしていた事をメシアの手下に見られていて、心身共に追い詰められたザミアティンがペレンプアンに迷惑をかけまいと焼身自殺を図る。

部屋が変わると今度は51階層で、ペレンプアンは片腕の女性と同室になり、二人は法を守らないならず者、バーバリアン達を裁こうと下層に行く事になる。

下層で違反者を鎮圧するが逃げられ、片腕の女が過去に同部屋のケカシと言う人に何があったのかをペレンプアンに伝える。

油注がれし者は、法を破れば人助けでも罰を与える。

そうこうしていると、ダギン・バビと呼ばれる油注がれし者の指揮官がやって来て、違反者鎮圧に参加した者達に罰を与え始め、ペレンプアンは片腕を失い、片腕の女は女が語った同部屋のケカシと同じ末路を辿る。

72層に移動したペレンプアンは、トリマガシと同じ部屋となり、二人は仲間を増やしながら自由を勝ち取る為にロイヤリストと戦う為に団結していく。

ペレンプアンはゴヤが壁に描いた絵に目を奪われ、戦いの前に絵を服の中へと大事そうに仕舞う。

ゴヤは鉛中毒で有名で、絵画に使われた有毒な絵の具を使って死んだふりをするのがペレンプアンの狙いだった(多分。詳しい人いたら教えて)。

ダギン・バビを含むロイヤリスト達を大勢の被害を出しながらも殺す事に成功したペレンプアンは、救ってくれたトリマガシと言葉を交わし、リセットと呼ばれる部屋替えのタイミングでゴヤの絵画の切れ端を口に含み、泡を吹く。

管理局がペレンプアンの死んだふりを信じて333層まで他の死体と共に移動する。

333層でペレンプアンは管理局によって設置される謎の子供を見つけ、自分のせいで死なせてしまった子供の代わりに救おうとする。

333階層でリセットを逃れたペレンプアンは子供と共にエレベータで最深階層に降りていくと、そこには大勢の人がいて「あなたの旅は終わり」と告げられ、ペレンプアンは子供をエレベータで0層へと送り届ける。

それから5回最下層に辿り着いた人々がポツポツと描かれ、推定13ヵ月後にゴレンが最深階層に到着するとペレンプアンは「なんでここに?」とゴレンと知り合いである事が匂わされ、二人は抱き合い物語は幕が下りる。

考察

1作目は、階層社会の問題を様々な人々を通して、メタファーを使い皮肉たっぷりに描き出していたが、2作目では構造を変えられない階層社会に対して、そこにルールを追加する事で上手く回して行こうと言う人々が過去話として描かれていた。

法治社会では法を守る事こそ重要であり、情は優しさと同時に甘さや腐敗に繋がる危険があるから徹底的に廃されるべきと言うもと、1回目は斬手で2回目は処刑と言う過激な罰を用いた冷たい法律順守社会が象徴的に描かれ、その結果として冷たい法治社会は法によって我慢を強いられた人々によって破壊されてしまった。

法律順守側の法は秩序の為に守るべき物で、勝手な解釈で曲げる事は許されないと言う言い分も、法に背く自由こそ自然で正しく弱者を助ける為のルール違反さえ同列に裁かれる情の無い社会は間違っていると言う言い分も、どちらも正しい側面がある。

だが、そのどちらも結局は破綻していて、冷たすぎても熱すぎても社会は上手く回らない事が示された。

2作目で増えた要素

2作目で増えた要素として、大勢の子供達が象徴的に遊ぶピラミッドの様な滑り台や、リセット時にプラットフォーム全体が無重力となる事や、333階層にわざわざ子供が設置されている事、子供が設置されたまま救われないと死ぬ事、最深階層に辿り着いたと思しき人々が底で長時間生き延びている事、等々が描かれた。

考察しようと思ったが、見返してもハッキリ言って良く分からない。

滑り台は何のメタファーなのか。

プラットフォームではランダムに上下に移動させられ、自分の意思では下にしか行けない世界だったが、滑り台は上に移動する事も滑り降りる事も自由と言う事か?

難しく考えすぎか?

リセット時の無重力も、エレベータが無重力技術で一定速度で移動しつつ、階を通過する時は床とエレベータでギロチンの刃の様に機能する所を見ると定速を維持しトルクが強い事が分かり、反重力とか低重力でフワフワしているわけではなく何らかの方法で空間に固定する様な形で移動しているのが分かり、この世界の重力制御技術がSF的に見ても高い事が窺え、そうなるとそもそも地上ではなく宇宙の可能性だって出てきそうな物だ。

333階層の子供設置は、何を象徴しているのだろう?

1作目ではメッセージとして子供を0階層に送っていたが、2作目では最深階層に先に来ていた人々から子供だけが上に行く権利がある風な事が匂わされていた。

子供を上に行かせるのが良い事とすると、滑り台を我先に滑っていた子供達やピラミッドを我先に登る子供達は何をしていて、何を象徴しているのだろうか。

ピラミッドの頂上に登った子供がプラットフォームの最下層に設置されるのは、何を意味しているのか。

プラットフォーム運営局的に最深階層は仕様なのか、裏の見えない世界なのか。

1と2の主人公がラストで知り合いの様に描かれていたが、二人はどういう関係なのか。

恋人とか夫婦とか言ってた?

もしかしてこれって、3に続いたりしません?

何が何の象徴?

1作目も2作目も通して、プラットフォームは社会の縮図としてのメタファーと見るのが基本だろう。

上に行くのは上の人に引っ張り上げて貰えなければ難しく、下に落ちて行くのは簡単で、我慢すれば上層なら喰うに困らない。

エレベータで降りて来る食べ物は、社会を巡る筈の富の総量とか、そう言った物と見る事が出来る。

リセットで部屋を変更する際、トリマガシの発言が正しければ上下移動は決まって無くランダムで、とにかく違う階に移動させられる。

階が生まれの豊かさとすれば、上の階では豊かな人生の思考が出来て、下の階では貧しい者の思考が体験出来る。

1ヵ月を一生と見る事も出来そうだ。

上の階ほど生まれながら豊かで、下の階ほど生まれながら貧しい。

下の階では上で富を独占される事で、上の人々次第では生きる事から難しい状態だ。

そんな環境で、メシアは法を作る事で、全員が法を守れば全員が喰うに困らない社会を作ろうとしたが、人々は法を良くも悪くも守れず、社会を維持する為の法に我慢を強いられ傷付いた人々によって法の方が壊されてしまった。

  • 法を守らない奴がいる
  • 法を守らせる為に罰を作る
  • 法に罰がある事で、稀に出る法を破らないと救えない少数の弱者が傷付く
  • 情状酌量の余地を考えずに一律で法を守らせる方が正しいと言う姿勢を続けていたら、取り締まられる皆が傷だらけになってしまった
  • 守れない法律を根拠に暴力を振るう人達を排除しようと反乱がおきる

そういうサイクルで、後付けのルールで社会を正常化しようとしても上手く行かない例が示された。

そんな社会の0層は、1で描かれた管理局や厨房であり、現実で言えば国みたいな物だ。

333もある階層が社会的地位や資産量の差を分かりやすく縦長に描いているなら、その最底辺333階層にいる子供は、なんの象徴だろう。

1作目ではゴレンはパンナコッタの代わりに、抗議の意味を込めて子供をエレベータに乗せた。

2作目ではペレンプアンは、外の世界で起こした自分の傲慢さと甘い考えが招いた事故で死んだ子供の代わりに、謎の子供をエレベータに乗せた。

子供の存在自体はゴレンとバハラトが同時に見ているので実在するとして、何を象徴して333階層に待機させているのだろうか。

現実社会で見ると、保護者不在の孤児とかだろうか?

それとも精子の競争の果てに生まれた一般的な子供だろうか?

では、下層に降りて行って333階層で子供を保護し、0層に送り救うサイクルは、現実で言えば未来ある子供を救う事だけが確実に正しい行いと言う事だろうか?

子供部屋の子供達は何を象徴し、先に到着していた最深階層到達者っぽい人々は何を象徴しているのだろうか。

社会の末端にあるシステムは?

これは、もしかすると、まゆつばな考察の一つだが、生活保護やベーシックインカム制度なのかもしれないとかも思ったり。

社会の富の分配構造に参加する場合、どうやっても不公平や不平等から分配が行き渡らない末端が出来る。

だが、最末端である事を認めれば生活保護制度によって救われ、下手に社会参加して働くよりマシな生活を出来る人は多くいる。

映画製作国のスペイン自体2020年代にはベーシックインカムの閣議決定等のニュースが流れ、現実的な生活困窮者を救う手段として注目されていた。

スペインの生活保護や児童手当は他国と比較すると決して恵まれているとは言えないレベルで、そんなスペイン政府を風刺する意図が映画にあると見たら、子供を0層に送る事でメッセージとするのは分かります。

ですが、問題は、そもそも子供の存在の意味が、まだまだわかりません。

16歳以上しか参加しない実験なので、子供が参加者では無い事は予想出来、今回で設置によって実験の道具のようにも見えました。

1ではミハルの子供とか、ゴレンの見た幻とか、想像の余地がありましたが、ペレンプアンも似た状況になった事で、何やら意味がありそうです。

1ではゴレンがドン・キホーテを象徴的に持っていた事で、ドン・キホーテをなぞり現実と妄想の区別がつかなくなり、死んだトリマガシの幻を見ていました。

だからラストも幻と言う説もありましたが、2ではドン・キホーテは登場していないし、リセット中に隠れる事に成功して生き延びています。

まあ、ザミアティンを始め死んだ奴らと子供を晩餐のテーブルに乗せる様な悪夢は見ていたので幻を見ていないとは言えませんが、子供発見後に頭部を打った事で見た幻の中で同じ子供を見ているので333階層の子供自体は実体は普通にありそうです。

1で謎だったが判明した事

2作目で1作目にも登場したダウン症の若者が登場し「犬を食べると夢から覚める」的な事を言い始める。

これは恐らく、1作目でミハルがラムセス2世を食い殺した?事に繋がる後出しの伏線だろう(多分)。

しかしこれは、実際は2でゴヤの壁画「砂に埋もれる犬」の犬の絵をペレンプアンが食べる事で、ガスでの意識喪失を逃れて333階層に辿り着くキーとなった。

主人公がプラットフォームに来る切欠となったのも、犬のアートを作っててだし、犬にも何か意味があるのだろうか。

終わりに

1に続き、難しい作品でした。

もう少し見て考えて、気が向いたら後で追記するかも。

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