コラム

12浪の人のドキュメンタリーを見て考えさせられた話

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12浪・長期在学・高齢新卒という生き方をどう見るか?

本日、12浪後に大学へ進学し、さらに長期在学と休学を経て、40歳近くで新卒就活を行った人物のドキュメンタリーをテレビで視聴した。

見ていて年齢が近い事もあって、私は得も言われぬ不安とか、応援したい気持ちが湧き、なんとも言えない気持ちになった。

こうした生き方を見ると、人はかなり極端に反応しやすい。

SNSで感想を漁ると、

  • 「好きに生きていて凄い」
  • 「大卒なのに高卒以下の無能」
  • 「挑戦を続けた人」
  • 「学歴コンプレックスから解き放たれた例」
  • 「親不孝」
  • 「ある意味で人生を楽しんでいる」
  • 「時間を無駄にした」

などの感想が目に入った。

これらは、辛辣な物から優しい物まで、部分的には全部正しい可能性がある感想に感じた。

この手の生き方は、単純な成功・失敗で切る事が難しい様に思える。

なぜならそこには、

  • 学歴社会
  • モラトリアム
  • 承認
  • 社会適応
  • 恐怖回避
  • 自己実現
  • 労働
  • アイデンティティ
  • 時間コスト
  • 12浪40歳新卒と言う個性

など、切り口が多様にある。

今回は、

  • なぜこういう生き方が発生するのかの考察
  • 推測出来る良い面
  • 推測出来る悪い面
  • 社会との関係性の考察
  • 見えてくる問題

等を、ざっくり整理し、備忘録とする。

記事はnoteの方にもあるので、どうぞ。

https://note.com/monogatarukoubou/n/n376c0c682a46?sub_rt=share_pb

ちなみに、noteにも読み放題メンバーシップがあります。


12浪って、なぜ?

前提として、この人生設計は、かなり特殊である。

一般的には、

  • 18歳前後で大学進学
  • 22歳前後で卒業
  • 卒業後に就職
  • 社会適応
  • 40歳では中堅や管理職

みたいな流れが、一種の標準モデルになっている風である。

これは単なる慣習だけではなく、

  • 年齢別制度
  • 採用構造
  • 給与体系
  • 教育設計
  • 社会保障

等が、そこを前提に組まれている事も関係する。

つまり、長期浪人や長期在学は、社会の基本的な制度とのズレを大量に発生させる危険行為とも見れる。

それでもやる意味はあるのだろうか?


良い所1:「自分の欲望」に対して正直

普通、多くの人は、

  • 年齢
  • 世間体
  • 比較
  • 焦り
  • 同調圧力

で、行きたい道に対して実力が無くても、行ける進路を決める。

しかし長期浪人・長期在学タイプは、「自分が納得しない限り進まない」と言い換えられる。

これは社会適応上は、大きな問題にもなるが、

  • 他人基準で人生を決めにくい
  • 自己欲求への感度が高い
  • 「嫌なもの」を無理に飲み込みにくい

結果とも言える。

つまり、社会性、人生設計、時間や金銭のコスト、等を犠牲にしてでも、自己感覚を優先していると言える。


良い所2:「年齢神話」への耐性がある

現代社会は、年齢同期圧力が、まあまあ強い。

  • 同級生比較
  • キャリア比較
  • 年収比較
  • 結婚比較
  • 出産比較

などだ。

実際、年齢で比較すると、なんとなく分かりやすく感じる。

しかし、12浪・長期在学レベルになると、ある意味で、「普通のレール」から外れ切っている状態だ。

すると逆に、比較ゲームから、完全に降りている場合がある。

これは、一周回って精神的自由へ繋がる事もあると思われる。

「もう今さら普通の人と競争しても仕方ない」

という、感覚である。


良い所3:「失敗耐性」が高い

浪人や長期停滞は、普通、かなり精神を削る事とされる。

  • 周囲との差
  • 親の視線
  • 同世代比較
  • 将来不安
  • 世間の評価

それらが現代日本では、厳しく、それに常に晒され続けるからである。

それでも長期間継続する人は、

  • 羞恥耐性
  • 孤独耐性
  • 批判耐性

が異常に高くなる場合がある。

自分がこう感じているから、周囲の味方がこう言っているから、その柱が折れない限りは、社会一般的や、攻撃的な誰かからの評価を、受け流せるやり方を心得ている。

これは、一種の特殊能力でもある。

普通の人は、途中で「社会的恥」等に耐え切れず、降りる。

身の丈に合った道を進む事で、諦めによって救いを求める。


当然、悪い所もある

ここをロマン化すると危険に思えた。

ドキュメンタリー内では、比較的好意的や中立的な人々が中心となって描かれていたが、あれは実際に周囲に恵まれていたのか、漂白されたドキュメンタリー表現だったのか、気になる所だ。


悪い所1:「現実接触」を遅延し続ける危険

大学や受験は、ある意味で、保護空間である。

  • 身分がある
  • 学生扱いされる
  • 猶予がある
  • 社会責任が限定的

だからである。

長期在学は、この猶予空間を延長できる。

すると、

  • 労働への責任
  • 組織への責任
  • 生活への責任
  • 家族への責任

等への接触が遅れる。

大人としての社会の一員として触れ合わず、子供の延長として所属するに近い。

これは自由でもあるが、同時に、社会的経験値の不足を生む。


悪い所2:「選択肢が増える」のではなく、「閉じる」事もある

若い時は、「まだ可能性がある」が成立しやすい。

しかし年齢が上がると、

  • 採用
  • 体力
  • 市場価値
  • 出産
  • 業界未経験参入

などで、物理的制限が増える。

つまり、「自由に見えて、実は後戻り不能」になる場合がある。

これはかなり重い。

ドキュメンタリーの中でも、就活に対して「その大学を卒業してまでしてやりたかった仕事か?」と聞かれると、具合が悪くなりそうな場面が見受けられた。

つまり、この人の生き方を否定する物では無いが、学歴の有用性を考えるのであれば、22年近くかけて学校を出るのは、その時点で相応の成果を持っていない状態であれば、肝心の欲しかった学歴には、大した意味を与える事が出来ないリスクの方がある、本末転倒な行為かもしれない。


悪い所3:「考え続ける」が「進まない」に化ける

長期モラトリアムで起きやすい問題として、人間は、選択を、痛みを伴う重要な選択を先送りすると、「もっと良い答えがあるはず」と、縋った状態になりやすい。

しかし現実には、経験しないと分からない事が大量にある。

すると、

  • 分析
  • 自己探求
  • 将来検討

等が、実質的な停止状態になる事がある。

これはかなり危険だ。

ドキュメンタリー内でも、40歳としては、あまりにも大学生レベルの言動に、40歳なら経験していて欲しい様々な事が、これからという状態にある様に見え、20年間病院で昏睡だった所から復活した患者を見ている様な切なさを仄かに感じ、なんとも複雑な視聴感を覚えた。


「好きな事をしている人」に見えて、実は恐怖回避の場合もある

長期浪人・長期在学には、純粋探究型も居る。

しかし同時に、

  • 就職恐怖
  • 社会恐怖
  • 失敗恐怖
  • 能力評価恐怖
  • 責任恐怖
  • 投資したコストへの損切りが出来ない

等を、受験や学生身分で延期している場合もある。

厄介なのは、本人も区別できないし、周囲も止められない場合がある事だ。

つまり、「夢を追っている」と、「怖くて止まっている」が混ざる事もあり得る。


では、この生き方は悪なのか

単純には言えない。

なぜなら現代社会側にも問題があるからである。

例えば、

  • 新卒一括採用
  • 年齢圧力
  • レール競争
  • 同期文化
  • 一度の失敗で減点
  • 空白期間偏見

など。

つまり、「普通ルート」から外れるコストが、現在の社会は、あまりにも重い。

そのため、適応できない人間が、長期モラトリアムへ流れやすい構造もある。

ある意味で、社会構造の犠牲になったとも、見れるかも、しれない。

実際の所は分からないが。


「自由に生きた」は、コスト免除ではない

自由な生き方には、当然、

  • 時間
  • キャリア
  • 信頼
  • 老後
  • 社会的立場
  • 支援者の時間

等のコストが発生する。

つまり、「好きに生きる」は、やり方を間違えると大変な事になる。

そして現実には、本人だけでなく、

  • 家族
  • 支援者

へ負担が、特に大きく波及しているケースもある。

この視点を支援者が認めているから等で、あえて見ないとか、消すと、現実の認識が歪む危険がある。


一方で、「普通に生きた人」が幸福とも限らない

逆側には、

  • 周囲に合わせて就職
  • 我慢して適応
  • 安定優先
  • レール通り

で進んだ結果、

  • 燃え尽き
  • 中年危機
  • 空虚感
  • 自己喪失

へ行く人も大量に居る。

つまり問題は、「普通か異常か」ではなく、本人が何を代償に何を得たかである。

ドキュメンタリーの彼にとっての正解は、彼がこれからの人生で証明していくしかない。


終わりに

12浪・長期在学・高齢新卒という生き方は、

  • 自由
  • 停滞
  • 探究
  • 回避
  • 理想
  • 恐怖

が複雑に混ざりやすい。

だから単純に、「夢を追った偉人」にも、「怠惰な失敗者」にも分類しきれない。

重要なのは、

  • 何から逃げていたのか
  • 何を守っていたのか
  • 何を失ったのか
  • 何を得たのか

等を切り分ける事である。

そして現代社会は、「普通ルート」から外れた人間に対して、かなり厳しい。

だからこそ、極端な生き方は、個人の問題であると同時に、社会構造の歪みも映し出しているのかもしれない。

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