創作を始めようとした時、多くの人が悩みます。
まず道具を揃えるべきなのか。
それとも最低限で始めるべきなのか。
例えば絵を描こうと思ったとします。
しかし、道具が何も無い。
さて、どうするか。
液晶タブレットを買うべきか。
高性能なパソコンを買うべきか。
有料ソフトを買うべきか。
あるいは紙と鉛筆で十分なのか。
う~ん。
創作界隈ではよく、
「まず描け」
「いきなり高い道具を買うな」
「形から入るな」
という意見があります。
同時に、
「良い道具は上達を加速する」
「環境に投資しろ」
という意見もあります。
では、その適正なラインは、どこなのでしょう?
どちらも正しいわけです。
そして、どちらも偏り過ぎたり、人によっては間違いにもなります。
この問題の鍵は、道具が「何を補助するものなのか」を理解しているかどうかにあります。
目次
- 道具は実力を増やすのではなく、実力に下駄を履かせる
- 地面に枝で描くのは非効率
- 道具には種類がある
- 初心者が陥る「高級下駄」問題
- 「最低限主義」の危険
- 道具を買う基準
- 良い買い物の見分け方
- 実力だけで戦う必要はあるのか
- 実力だけで戦う人はいない
- 下駄は不正ではない
- 創作難易度は実力だけで決まらない
- 道具は下駄の一種に過ぎない
- 良い下駄と悪い下駄
- 最も危険な下駄
- 実力主義と下駄主義
- AIと言う下駄との付き合い方
- AIと言う下駄の特性
- カメラが登場した時にも似た問題はあった
- 生成AIで起きていること
- 「出来る」と「出せる」は違う
- 一番危険なのは「出来ている感」
- ガチャ化する創作
- 敷居は下がったが、別のハードルが生まれた
- AIは下駄としては非常に強力
- 下駄と脚力を区別できるか?
- 本当に恐ろしい未来
- まとめ
道具は実力を増やすのではなく、実力に下駄を履かせる
道具は実力そのものを0から1には増やしません。
1を2に、2を4に、と下駄を履かせます。
例えば自転車。
歩くより速く移動できます。
しかし、自転車は移動能力をゼロから生み出しているわけではありませんよね?
そもそも、立てない歩けない人は、乗れません(車椅子タイプの自転車があるとかは、置いておいて)。
バランスも必要です(2輪自転車を補助輪無しで乗るのなら)。
つまり、最低限の能力は要求されます。
これが1があるか、どうかと言う事です。
創作も同じです。
- 液晶タブレットは絵を描きやすくします。
- 高性能PCは作業を快適にします。
- 高価なマイクは音質を改善します。
しかし、
- 構図を考える能力
- 物語を作る能力
- 観察する能力
- 聞きやすい声と喋り方
みたいな、そもそも必要な基礎能力面は、代行してくれません。
下駄は、0を1には増やしません。
あくまでも、歩きやすくするだけです。
地面に枝で描くのは非効率
だからといって、「道具なんて不要」という話でもありません。
極論を言えば、絵は、地面に枝で描けます。
文字は、地面に刻めます。
小説だって、葉っぱでも、チラシの裏でも、書けます。
なんなら、頭の中で作り、口頭で伝える事が出来ます。
しかし、不便です。
- 作りにくい。
- 修正しにくい。
- 保存しにくい。
- 量産しにくい。
何もかもが、扱い辛い。
創作活動とは、試行回数のゲームと言う側面があります。
試行回数を増やす環境は、大きな価値があります。
- 紙とペンがあった方がいい。
- 消しゴムがあった方がいい。
- 机があった方がいい。
- 通信環境とパソコンやスマホはあった方がいい。
これらは、当然です。
問題は「どの下駄を履くのか」、つまり、どの下駄が必要なのかです。
道具には種類がある
創作の道具は、大きく分けると三種類ぐらいに分けられます。
① 作業効率を上げる道具
人によっては、最も魅力的な下駄です。
実力があればあるほど、これが欲しくなります。
そして、実力が無くても、あっても困りません。
例えば、
- デュアルモニター
- ショートカットデバイス
- 高性能マウスとキーボード
- 執筆ソフト
- 資料管理ツール
など。
これらは、下駄を履かせる為の基礎能力を、そこまで要求しません。
誰が使っても、それなりの、人それぞれに効果があります。
10時間かかる作業を8時間にしたりする。
そういう方向の下駄です。
② 効率を上げる道具
例えば、
- 描画ソフトの左右反転機能
- 3Dデッサン人形
- 添削サービス
- 録音機材
など。
こちらは、使い方を誤らなければ、創作の成長速度を上げます。
ただし、ちゃんと使い、練習しなければ意味がありません。
その代わり、ちゃんと使えば、下駄を履かせる足の脚力の方を、1から2にも100にも出来ます。
③ 上限を上げる道具
これが、最も誤解されやすい下駄です。
- 高性能カメラ
- 高性能PC
- 液晶タブレット
- 高級マイク
- 高級万年筆
これらは、最終的な表現力の上限を押し上げます。
つまり、普通の脚力と下駄では至れない所に至れる、そんな可能性を秘めています。
しかし、そもそも表現できない人には効果が薄い。
伸びしろがありますが、性能を限界まで引き出すには、相応の実力を求められます。
ここで多くの人が失敗します。
大は小を兼ねますが、それは伸びしろでしかなく、伸びしろ部分を有効に使うには、使う人が凄くなる必要があります。
初心者が陥る「高級下駄」問題
例えば、絵を描いたことがない人が、20万円の液晶タブレットを買ったとします。
きっと、覚えのある人は多いでしょう。
私も、これ系の失敗を何度もやった事があります。
しかし、
- 人体が描けない。
- パースが分からない。
- 色塗りも分からない。
この状態だと、液晶タブレットの恩恵をほとんど受けられません。
なぜなら、困っている原因が、道具ではないからです。
これは、自動車教習所に通ったことがない人が、先にレーシングカーを買うようなものです。
確かに高性能です。
しかし、肝心の運転が、上手くできません。
時速300㎞を楽に出せる性能の道具だとしても、せいぜい100㎞を出す場所にしか行きません。
300㎞を出せる可能性は、確かに格好良いし、楽しい物ですが、いきなり手に入れても、大半の人にとって、そこは無駄に終わります。
免許を取って、レーシングカーをサーキットに持ち込んで300㎞を体感する人の方が稀なわけです。
「最低限主義」の危険
逆方向の失敗もあります。
「上手くなるまで買わない」
という考え方です。
例えば、
- 毎日紙に描いている。
- 数年続けている。
しかし、
- スキャンが面倒。
- 修正が面倒。
- 管理が面倒。
- 投稿が面倒。
こうなると、
もはや、成長を阻害しているのは技術ではなく、その環境です。
ここで道具を拒否すると、今度は練習効率が落ちます。
つまり、初心者だから不要でもなければ、高価だから有効でもありません。
丁度良い物が必要なだけです。
道具を買う基準
一般的に、道具は次の順番で考えると、多少失敗しにくいと思います。
第一段階
「創作そのものが出来るか」
- 紙とペン。
- パソコンやスマホの機能、無料アプリなど。
最低限の環境。
まずは、ここで試す。
ここで脚力が無い場合、下駄を履いても意味が無い危険があります。
自動車で言えば、教習所で教習車に乗るみたいな物です。
第二段階
「継続を邪魔している障害は何か」
- 保存が面倒。
- 修正が面倒。
- 管理が面倒。
その障害を潰すと、その分の効率が上がります。
第三段階
「練習効率を上げる」
ここで教材や補助ツールが入ってきます。
障害を減らすのが穴だらけの道で穴を埋める行為なら、こちらは加速しやすい様に舗装していく感じです。
第四段階
「表現の上限を上げる」
高級機材は、最後です。
多くの人は、ここから始め、後悔します。
ここまでで脚力があるからこそ使える下駄だから、ここから始めると失敗しがちです。
これは、いわば高性能なエンジンを積んだ車を手に入れるみたいな話です。
穴が埋まって、舗装されていないと、どんなに高性能なエンジンを積んでいても、早く走れません。
良い買い物の見分け方
創作者が道具を買う時に考えるべきことがあります。
その道具は、今抱える何の問題を解決するのか、未来の理想像に憧れているだけなのか。
です。
例えば、「レイヤー管理が大変だから、モニターがもう一枚欲しい」は具体的です。
一方、「プロっぽいから液タブが欲しい」は危険です。
前者は問題解決。
後者は憧れです。
多くの人は、この二つが頻繁に混ざります。
創作において道具は重要です。
しかし万能ではありません。
道具は実力そのものではなく、実力に履かせる下駄です。
だから、脚力が必要な下駄もあれば、誰でも履ける下駄もあります。
また、下駄によって補助する方向も違います。
- 作業効率を上げるのか。
- 練習効率を上げるのか。
- 上限を上げるのか。
そこを理解しないまま道具を買うと、必要だったのは歩きやすい靴だったのに、なぜか高級なレーシングカーを買うようなことになります。
形から入ること自体は悪くありません。
問題は、
- 何のための形なのか。
- どんな能力を補助する道具なのか。
- その方向性を見極められているかどうかです。
創作において重要なのは、高い下駄を履くことではありません。
今の自分が転ばずに履ける下駄を選ぶことです。
ここまでは、初心者の話、ここからは、その先です。
実力だけで戦う必要はあるのか
- 「結局は実力」
- 「才能が全て」
- 「作品で勝負しろ」
よく聞く言葉です。
どれも、間違いではありません。
最終的に作品を作るのは本人です。
しかし、この話には見落とされがちな部分があります。
創作とは、実力そのものだけで行うものではありません。
実際には多くの人が、様々な「下駄」を履いています。
そして創作における成否のかなりの部分は、個人が、どれだけ高い能力を持っているかではなく、能力に合った、どんな下駄を履いているかによって決まる場合があります。
実力だけで戦う人はいない
例えば小説を書く場合。
紙と鉛筆だけで書く人もいます。
しかし現在、多くは、
- パソコン
- 執筆ソフト
- 資料管理ツール
- クラウド保存
- 校正ツール
などを使っています。
絵描きなら、
- 液晶タブレット
- 3Dモデル
- ポーズ資料
- ブラシ素材
場合によっては、
- 画像生成AI
などを使います。
漫画家なら、アシスタント。
映像制作者なら、編集ソフト。
音楽家なら、DAW。
どれも、純粋な個人の実力ではありません。
補助です。
つまり、創作とは昔から「下駄を履く競技」だったとも言えます。
下駄は不正ではない
「そんなのズルだ」と思うでしょうか?
しかし考えてみてください。
- 紙とペンも下駄です。
- 机も下駄です。
- 辞書も下駄です。
- 冷暖房も下駄です。
- インターネットも下駄です。
どこからがズルで、どこまでが実力なのでしょうか。
実際には境界線は曖昧です。
創作の歴史とは、新しい下駄の歴史でもあります。
- ワープロが登場した時も、
- デジタル作画が登場した時も、
- カメラが登場した時も、
同じ議論がありました。
しかし今では当たり前になっています。
生成AIも、恐らくそうなるでしょう。
創作難易度は実力だけで決まらない
例えば、
- 毎日一時間しか創作時間が取れない人。
- 毎日八時間取れる人。
同じ能力でも結果は変わります。
あるいは、
- 家族の理解がある人。
- 創作を否定され続ける人。
これも結果が変わります。
つまり創作難易度とは、
- 能力
だけでなく、
- 環境
によって大きく変動します。
そして環境とは、実は、これも下駄なのです。
道具は下駄の一種に過ぎない
創作の下駄は道具だけではありません。
むしろ道具以外の方が大きい場合があります。
時間という下駄
毎日十分な時間が確保できる。
これは非常に強力です。
どんな才能も、試行回数がゼロなら成長できません。
逆に、毎日少しずつでも積み重ねられる環境は強い。
時間は最も普遍的な下駄です。
お金という下駄
創作だけで生活できる人。
副業として行う人。
生活費のために長時間労働が必要な人。
当然ながら条件は変わります。
お金は直接作品を作りません。
しかし創作時間や選択肢を増やします。
これは明確な下駄です。
仲間という下駄
一人で創作する人もいます。
しかし仲間がいると、
- 感想が得られる。
- 情報交換できる。
- モチベーションを維持できる。
- 共同制作できる。
- 孤独による脱落を防げる。
仲間も、また下駄なのです。
締切という下駄
意外ですが、締切も下駄です。
締切がある人は完成させます。
締切がない人は完成しません。
もちろん例外はあります。
しかし創作界隈には、完成しない名作候補が山ほど存在します。
締切は能力を上げません。
しかし完成率を上げます。
これは、非常に重要で、有用で、強力な補助です。
この下駄を嫌がる人もいますが、完成できない人は、全員履いた方が良いです。
AIという下駄
近年急速に大きくなった下駄であり、このテーマで避けては通れないでしょう。
- 誤字脱字の修正。
- 構成の整理。
- アイデア出し。
- 資料調査。
- 要約。
- 翻訳。
様々な部分を補助できます。
ただし誤解もあります。
AIであっても、個人の創作能力そのものでは、ありません。
カメラや、液晶タブレットと同じです。
あくまでも、現状は下駄です。
物語を作れない人は、AIを使っても作れません。
絵を描けない人は、AIを使っても描けません。
っぽい物を出力して貰えるだけです。
しかし、作れる人の効率を上げることはできます。
良い下駄と悪い下駄
ここで重要な問題があります。
下駄には方向性があります。
例えば、創作時間が足りない人。
この人に必要なのは時間です。
高級機材ではありません。
感想が得られない人。
この人に必要なのは仲間です。
新しいペンタブではありません。
完成できない人。
この人に必要なのは締切かもしれません。
参考資料ではありません。
つまり、創作の問題と、下駄の伸ばしてくれる方向性が一致している必要があります。
ここを間違えると、努力しているのに前進しない状態になります。
最も危険な下駄
実は最も危険なのは、努力している気分になる、出来ている気になる、そんな下駄です。
- 新しいソフトを買う。
- 新しい機材を買う。
- 新しい教材を買う。
- 新しいノートを買う。
- 生成AIに出力して貰う。
しかし作品は作らない。
これは創作界隈で非常によく起こります。
時に、下駄を集めたり、下駄で遊ぶことが目的になってしまう。
本来は歩くためのものなのに、下駄の収集家やマニアになってしまうのです。
実力主義と下駄主義
創作ではしばしば、最後は実力で勝負するべきだという考え方があります。
実際、何も無い状態から、サラサラっと絵を描いたり、即興で何かをするプロは、格好良いですよね。
しかし現実には、実力だけで最後まで勝負出来る人は、圧倒的に少数です。
- 時間。
- お金。
- 人脈。
- 環境。
- 技術。
- 道具。
- AI。
全員が何らかの下駄を履いています。
だから考えるべきことは、下駄を履くべきかどうかではありません。
どの下駄を履くべきかです。
実は、下駄を脱いでも実力のみでどこまでの創作活動が出来るかは、合った下駄をいかに履きこなし使いこなし自分で下駄の機能を模倣出来る様になるかにかかっています。
何も下駄を履かずに実力のみで凄い人の多くは、下駄を長い間履き過ぎて、ちゃんと履かなくても慣れた下駄を履いた様にある程度歩ける様になっている状態なのです。
- 道具も下駄。
- 時間も下駄。
- お金も下駄。
- 仲間も下駄。
- 締切も下駄。
- AIも下駄。
重要なのは、
背が、値段が、高い下駄を履くことではありません。
自分が今どこで躓いているのかを把握し、その問題を解決する方向の下駄を選ぶことです。
創作で成果を出している人を見ると、必ずしも最も才能がある人とは限りません。
自分の弱点を理解し、そこに適切な下駄を履くのが上手い人だったりするのです。
ここからは、AIの話題を少し掘り下げます。
AIと言う下駄との付き合い方
創作における道具や環境は「実力に履かせる下駄」であるという話をしました。
下駄そのものは悪くありません。
むしろ創作の歴史は下駄の歴史です。
- 紙。
- 印刷技術。
- ワープロ。
- デジタル作画。
- インターネット。
創作者は常に新しい下駄を履いてきました。
しかし近年、生成AIの登場によって少し状況が変わりました。
これまでの下駄とは異なる性質を持つ下駄が現れたからです。
それは「本人が出来ないことでも、ある程度出来ているように見せられる下駄」です。
脚力が無くても、下駄を履けば歩ける様に見せてくれる下駄には、どんな長所や問題があるのでしょうか?
AIと言う下駄の特性
まず整理してみましょう。
能力を増幅する下駄の話は、散々しましたね。
例えば、
- ペンタブレット。
- 高性能カメラ。
- 執筆ソフト。
- 動画編集ソフト。
これらは、持っている能力を増幅するための道具です。
- 絵が描ける人はもっと描きやすくなる。
- 写真を理解している人はもっと良い写真が撮れる。
- 文章を書ける人はもっと効率よく書ける。
つまり、能力が先です。
能力を代行する下駄
一方で生成AIは少し違います。
- 絵が描けなくても画像が出る。
- 作曲できなくても音楽が出る。
- 映像制作できなくても動画が出る。
能力の一部を、まるで代行してくれているみたいです。
これは従来の道具には、あまりなかった特徴です。
でも、前例があります。
カメラが登場した時にも似た問題はあった
カメラが普及した時も似たことが起きました。
- 絵を描けなくても、風景を残せる。
- 人物を描けなくても、肖像を残せる。
これと同じ事です。
確かに、皆の記録能力が劇的に向上しました。
しかし、カメラを持つ人全員が写真家になったわけではありません。
なぜでしょうか。
- 構図。
- 光。
- 被写体選び。
- タイミング。
等々、こうした要素は依然として残ったからです。
シャッターは押せる。
しかし良い写真は別問題だったのです。
生成AIで起きていること
現在の画像生成AIも同じです。
プロンプトを入力する。
数十秒待つ。
それなりに綺麗な画像が出る。
一見すると成功です。
しかしここで問題が発生します。
- なぜその画像が良く見えるのか。
- なぜその構図なのか。
- なぜその色彩なのか。
- なぜその視線誘導なのか。
これらを理解していなくても「一見すると、なんとなく成立してしまう」のです。
つまり、結果だけ先に手に入る状態になります。
「出来る」と「出せる」は違う
ここで重要な区別があります。
画像を出力できると絵が描けるは、当たり前ですが、別です。
音楽を生成できると作曲できるは別です。
動画を作れると、映像演出が分かるは別です。
しかし成果物だけを見ると、その差が「見えにくい」のです。
なので、時に本人を含めた周囲さえ、錯覚しやすくなります。
これが、実に厄介なのです。
一番危険なのは「出来ている感」
創作において本当に危険なのは、失敗ではありません。
「出来ている気になる」ことです。
ダニングクルーガー効果が、怖いのです。
例えば、
- 人体が描けない。
- 構図も分からない。
- 色彩理論も知らない。
しかしAIで格好良いイラストが出る。
すると、
問題が発見されなくなります。
なぜなら成果物が、なんとなく最低限、成立しているからです。
本来なら、
- 下手だから学ぶ。
- 失敗するから修正する。
という流れが発生します。
ところが、なんとなく良いものが出ると、改善の必要性を、どんどん感じなくなります。
ガチャ化する創作
生成AIを使う人の中には、創作というよりガチャに近い状態になる人もいます。
欲しい絵がある。
- プロンプトを変える。
- また出力する。
- 気に入らない。
- もう一回。
- さらにもう一回。
これは、本当に創作活動でしょうか?
もちろん一概には言えません。
創作活動の一場面に出来ますが、この一瞬だけ切り取ると、創作者としては、かなり弱いです。
少なくとも、
- 構図を設計する能力
- 色彩を設計する能力
- 演出を設計する能力
とは別の能力です。
求める結果が出るまでレバーを回す能力になっている可能性があります。
プロンプトなりAIへの専門性は高まりますが、創作活動自体に対しては、多くの場合に成果物と能力の間に大きな乖離があります。
敷居は下がったが、別のハードルが生まれた
生成AI支持派と否定派が噛み合わない理由もここにあります。
支持派は「誰でも作品を作れるようになった」とか「これまでだと出来ない創作スタイルが使える様になった」と言います。
実際その通りです。
敷居は下がりましたし、生成AIが無ければ出来ないコスト的に難しい創作スタイルや表現は、確かにあります。
一方で、否定派が問題視している部分も理解できます。
「基礎能力が育たない」
という懸念です。
これにも、合理性があります。
そして、この入りやすいの基礎が育たないは、両立します。
つまり、ハードルが消えたのではありません。
ハードルの位置が変わったのです。
昔は、創作の前にも、高い壁がありました。
今は、AIの補助があるとなんとなく出来てしまうからこそ、基礎を学ばないという別の壁が生まれています。
基礎なんて、AIが代替すれば不要と思う人もいるかもしれませんが、そんな事はありません。
基礎を学ぶ事は、非常に重要です。
基礎の上に様々な技能が詰みあがるわけで、基礎が無い状態でAIで生成を行う場合、例えば、基礎があればレタッチを自分の手で行えますが、基礎が無い人はAIが出来なければ諦めるか誰かにやらせる他にありません。
AIは下駄としては非常に強力
ここで誤解してはいけません。
AIが悪い、という話ではありません。
むしろ下駄としては極めて優秀です。
例えば、
- アイデアの可視化。
- ラフ案の大量生成。
- 試作。
- 参考資料の検索やまとめ。
- 検討素材の収集やリスト化。
等の、こうした用途では圧倒的な力を発揮します。
問題は、下駄を履いていることを忘れることです。
下駄と脚力を区別できるか?
創作者にとって重要なのは、これは自分の能力なのか、それとも下駄の能力なのか、を区別できることです。
例えば、
- AIがなくなったら作れない。
- 道具がなくなったら判断できない。
- 添削がなければ直せない。
こうなっているなら、能力ではなく下駄に大きく依存しています。
逆に、AIを使っていても、
- なぜ良いのか説明できる。
- どこを修正すべきか判断できる。
- 構図や演出を意図的に選べる。
- レタッチも出来るし、なんなら描ける。
ならば、実力が育っています。
本当に恐ろしい未来
創作において最も危険なのは、分不相応な下駄を履くことではありません。
下駄を自分の脚だと思い込むことです。
生成AIは非常に高性能です。
だからこそ錯覚も大きいです。
成果物だけ見ると、初心者と熟練者の差が見えにくくなります。
しかし、
- なぜそれが良いのか。
- なぜそれを選ぶのか。
- 何を修正するべきなのか。
その説明を求められると、答えに差が現れます。
結果だけを見て表面的に理解をしているつもりの人と、実力を備えて構造的に体感的に理解している人とでは、見えている物が違い過ぎます。
まとめ
創作において道具は実力を補助します。
生成AIもまた下駄です。
ただし従来の下駄とは少し違います。
従来の下駄は、能力を増幅しました。
生成AIは能力を部分的に代行します。
だから成果物は早く手に入ります。
しかし同時に、学習機会を飛ばしてしまう危険もあります。
創作において本当に重要なのは、良い作品を出すことだけでは、ありません。
なぜ良いのか、悪いのかを理解すること、そして、それを自分の意思で使える事です。
下駄を履くこと自体は問題ではありません。
問題は、自分の脚力と下駄の力を区別できなくなることです。
AI時代の創作者に求められるのは、下駄を脱いでも歩けるかどうかを、時々確認することなのかもしれません。
そして、AIに限らず、下駄を適切に選び使う事が、創作者には、とても大事になっています。
自分に合った下駄を選びましょう。
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