創作論

【創作論】キャラクターは「設定」ではなく「選択と行動」で評価されると言う話

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分かっていない人多すぎ問題

  • 「このキャラクターは優しい人です」
  • 「仲間思いの人物です」
  • 「正義感が強い主人公です」

創作者の中にはキャラクターを作る時、まずこういう理想像を考える人がいます。

それは全然構いません。

しかし、読者がそのキャラクターをどう感じるかを決めるのは、作者が設定した肩書きではありません。

そんな事は分かっている、と言う人の中に、分かっていない人が意外にいると言う話が今回の話。

読者が見るのは、その人物が実際に何をしたかです。

いや、だからそんな事は分かっている?

本当に分かっているなら良いですが、本当に分かっていますか?

どんな状況で、何を選び、誰に対して、どんな行動を取ったのか。

そこから「このキャラクターはこういう人間だ」と判断します。

本当に分かってるって?

本当に本当?

キャラクターの本質として受け取られるものは、設定ではなく、選択と行動の積み重ねなんて事は百も承知?

本当に分かっているなら全然OKです。

でも、この記事、それでも分かってない人に向けて書いてます。

記事はnoteの方にもあるので、どうぞ。

https://note.com/monogatarukoubou/n/nae58425417f4?sub_rt=share_pb

ちなみに、noteにも読み放題メンバーシップがあります。

作者が思っている人物像と、読者が見る人物像は別物

創作者がよく陥る問題があります。

  • 「このキャラクターは仲間思いの設定です」
  • 「このキャラクターは正義の味方です」
  • 「このキャラクターは優しい性格です」

そう設定し、考えてもいる。

しかし、作中で実際に描かれている行動を見ると、

  • このシーン、仲間を見捨ててない?
  • 弱い相手に冷たくない?
  • 自分の都合を優先した、今?
  • 責任から逃げた? 話変えなかった?

みたいな、ことをしているパターン。

そして、劇中の登場人物は、作者が設定した通りの反応を返し、一緒にヤバい奴になっていく。

この場合、十中八九読者は、設定ではなく、読み解ける状況や描かれた行動の方、つまり、実際に描かれた物を、ライブ的に本物の方として信じます。

これ、現実でも、人間関係でも同じです。

「私は優しい人間です」と言うだけの人や、周囲に盲目的に言われている人より、実際に目の前や意識していないカメラの前で自然に困っている人を助ける人の方を、周囲は優しい人だと判断します。

フィクションのキャラクターも同じで、作者の説明や作品内の噂ではなく、キャラクター自身の行動や選択によって本物かつ一番強力で優先される評価をされます。

好かれて欲しいなら、好かれる行動をさせる必要がある

これは単純な話ですが、意外と多くの創作者が、普段分かっていてさえ、創作作業中にウッカリ忘れたり見落とします。

視界が狭くなっていると、そのシーンをノリで面白く描く為とか、その場の展開を思い浮かばずなんて理由で、とんでもない事を描いてしまう「癖」がある人は、かなりいます。

「読者に好きになってほしいキャラクター」を作るなら、そのキャラクターが好かれる理由を作り具体的かつ強力な証拠として提示しなければいけません。

例えば、仲間思いのキャラクターなら、

  • 自分が損をしても、命が危険でも、仲間を助ける選択をする
  • 仲間のする誰も評価しない努力を見ていて伝え勇気づける
  • 仲間の弱さを理解し、共に立ち向かったり支え続ける
  • 選択を間違えた時に仲間に対して本気で謝り償おうとする

みたいな、そういう行動が必要になります。

逆に、

  • 仲間思いと言いながら、自分の目的のためなら仲間を犠牲にする
  • 優しいと言いながら、弱い相手には横暴
  • 仲間の扱いがトロフィーや従業員、奴隷的、ナチュラルに物扱い

みたいな、描写が続けば、見る人は大混乱します。

作者が求める評価と、キャラクターの行動が、明らかに一致していないからです。

そして、そこに「実は、こんな演出や仕掛けがある意図的な描き方でした」と言う種明かしでも無い限りは、見る人は自分の感じた物を信じます。

ここで作者の思い描く方に寄り添ってくれるのは、執筆時の作者と同じ価値観を持っている人だけで、それは多くの場合に期待出来ない事です。

「キャラクター・行動・選択」は本来つながっている

自然なキャラクターとは、

性格がある。

↓

だから特定の状況で、性格に沿った考え方が決まる。

↓

だから特定の状況で、性格と考え方に沿った選択が生まれる。

↓

だから特定の状況で、キャラクター特有の行動になる。

↓

その結果、周囲から当然の評価をされる。

という流れになっています。

例えば、「家族を大切にする人物」なら、過去の経験や価値観があり、家族を守ろうと考え、危険な場面で助ける選択をし、実際に行動する筈です。

だから、それを見た読者は、設定の説明的開示や具体的な描写が直接無くても「この人物は家族を大切にする人間だ」と本能で理解できます。

しかし、この流れを切断してしまうと違和感になります。

  1. 家族思いという設定だけある
  2. 物語に必要な場面だけ急に家族愛を発揮する
  3. でも普段の行動は全く違う

こうなると、キャラクターではなく作者の都合が見えてしまいます。

この状態は、かなりイケてないです。

キャラクターと展開を別々に動かす問題

創作では、キャラクターとストーリー展開を別々に考えてしまうことがあります。

  • 「この展開を描きたい」
  • 「この場面を見せたい」
  • 「このセリフを言わせたい」

そのために、本来その人物がしない選択をさせてしまう。

これは、良くない。

もちろん物語には、キャラクターが予想外の行動をする瞬間も必要です。

しかし、それは「キャラクターらしくない行動」ではありません。

その人物の価値観や葛藤から生まれた、「納得出来る意外な選択」である必要があります。

例えば、普段は臆病な人物が、散々周囲から影響を受けた末に最後に誰かの為に勇気を出す。

これは成長です。

みんな大好物ですね。

なぜなら、臆病という性質があり、それを乗り越える理由が描かれているからです。

一方で、「臆病な人物なのに、説明なく急に生えてきた勇気を出す」となると、成長ではなく、一気に何かの破綻となります。

これは良くありません。

ヘイト管理とは別の問題

ここで重要なのは、単純な「嫌われるキャラクターを作るな」という話ではありません。

悪役でも、人間として納得できる行動をしていれば魅力になります。

冷酷でも、

  • 「自分の信念に従っている」
  • 「その価値観になる理由がある」
  • 「最後まで一貫している」

なら、読者は理解できます。

時に好かれさえします。

問題なのは、好かれるか嫌われるか以前に、キャラクターの内面と行動が接続されていないことです。

悪役なら悪役として。

主人公なら主人公として。

その人物が持つ価値観から選択が生まれている必要が、常に必ず、あります。

面倒臭い?

人によっては、そうかもしれません。

でも、面倒な事を避けて良い作品を作れるなら良いですが、この記事を読んでいる人の中には、それがどうやら難しい人もいるでしょう。

面倒臭がっている場合ではありません。

ちゃんと、キャラクターを作りましょう。

キャラクター作りで考えるべきこと

キャラクターを作る時、「この人物はどんな設定か」だけでは、これらを自然に出来ていない人には足りていません。

少なくとも、そう言うパターンが多い。

それを避けるのに役立つのは、「この人物は、どんな状況で何を選ぶ人間なのか」があります。

平和な時では、本当の性格は見えません。

  • 追い詰められた時。
  • 利益と信念が衝突した時。
  • 誰かを救うか、自分を守るか迫られた時。
  • 宝くじが当たって困っている家族や友人を助けられるが自分もお金が必要な時。

ポジティブでもネガティブでも、葛藤がある選択が必要な時、そこで何を選ぶかによって、その人物の本質の一部が見えます。

見る人は、プロフィールを読んでキャラクターを好きになるのではありません。

その人物が物語の中で、本質となる部分で何をしたかを見て好きにも嫌いにもなります。

だから創作者が考えるべきなのは、「このキャラクターを好き・嫌いになってほしい」よりも踏み込み、「このキャラクターは、好きに・嫌いになる、理由になる選択をしているか」です。

フィクションのキャラクターとは、湧いて出た設定の集合ではありません。

  • 考え方があり。
  • 価値観があり。
  • 選択があり。
  • 行動がある。

その連鎖そのものが、一人の人物として読者に届くのです。

だからこそ、架空の登場人物に対して、物語を見る人は一人の人間として認識が及びます。

これが自然にでも、意識的にでも出来ていないと、その作品は「拙いお人形遊び」に見えてしまう危険があります。

嫌ですよね?

出来て無い場合は、意識して避けましょう。

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