創作論

【創作論】「事件」を描くか、「生活」を描くか。非日常的な演出と日常的な演出の違いについて

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創作を始めたばかりの人が見落としがちなことがあります。

それは、似た出来事でも、「その世界の住人にとって日常なのか、非日常なのか」で演出はまるで変わるということです。

戦闘も、恋愛も、殺人も、セックスも、災害も、魔法も、それ自体が非日常なのではありません。

登場人物が、それをどう認識しているか。

ここが、表現上の方針を、演出を決めます。

「非日常的演出」とは何か?

非日常的演出とは、劇中人物にとって慣れていない出来事を描く演出方針です。

つまり、

  • 初めて経験する
  • ノウハウがない
  • 心の準備がない
  • 余裕がない
  • 予想外である
  • 失敗しやすい
  • 感情が先に立つ

という状態です。

完全にそうでも、グラデーションでそう言う要素や部分があるでも、両方あります。

出来事そのものではなく、「対応能力が不足している状態」を描く演出とも言えるかもしれません。

だから非日常では、

  • 動きがぎこちない
  • 焦る
  • パニックになる
  • 判断を間違える
  • 声が震える
  • 無言になる
  • 必死になる

等、こういった描写が自然に増えます。

見る人も「これは特別な出来事なんだ」と自然に感じる様に、誘導するわけです。

「日常的演出」とは何か?

一方の日常的演出は、非日常的演出の逆です。

劇中人物にとって、

  • 慣れている
  • 経験が豊富である
  • ノウハウがある
  • 工夫出来る
  • 心理的余裕がある
  • 次に何が起きるか分かっている

等といった前提になります。

だから、出来事の最中でも別のことが平然とできます。

例えば、

  • 雑談する
  • 冗談を言う
  • 他人を気遣う
  • 同時に別の作業をする
  • 手順を省略する
  • 面倒くさそうに処理する

等、こうした演出になります。

つまり、出来事ではなく、その周囲の余裕を描けるようになるわけです。

戦闘シーンで比較

初心者兵士なら、

  • 剣を抜くだけで手が震えます。
  • 敵が来れば呼吸は乱れます。
  • 仲間が倒れれば頭が真っ白になります。

しかし歴戦の兵士は違います。

敵を倒しながら、「そう言えば、今日の飯ってなんだっけ?」などと会話することすら自然です。

武器が折れても、「また折れたか」「ちっ」程度で済ませます。

読者は、この人物にとって戦闘が日常になっていることをすぐに理解出来ます。

医療ドラマで比較

患者の家族から見れば、手術室は恐怖そのものです。

しかしベテラン外科医は、

  • 「メス」
  • 「吸引」
  • 「次」

と淡々と作業を進めます。

新人医師は汗だくですが、ベテラン医師は世間話をしていることもあります。

同じ命の危機でも、視点によって演出が変わります。

セックスで比較

これは、恋愛描写でも同じです。

初めての経験なら、互いに緊張し、何をどうすればいいか分からず、失敗を恐れ、相手の反応ばかり気になります。

失敗を描くぐらいの方が自然で、会話もぎこちなく、余裕などありません。

これが非日常的演出で描かれるセックス例です。

一方で、互いに経験があり、関係も成熟しているなら?

自然に会話を続けたり、笑ったり、途中でくだらない話題になったり、「電気消しわすれてた」とか「ちょっと試したい事があるんだけど」など、描写が深掘られる事も、急に思い出し笑いをしたり、携帯電話をいじり始めたり、別のことに意識が向くこともあります。

出来事そのものより、積み上げた関係性や生活感が前面に出ます。

これが日常的演出例です。

昨今の作品で増えたセックスフレンドモノ等の概念を扱う場合は、日常的に描いた方がセックスが日常の一部でしかない事を見る人に肌で分からせる事が出来ます。

人物がその状況にどれだけ慣れているかを、演出で見せる事で説得力が増すわけです。

モンスターへの反応

例えば、平和に生きてきた村人にとってドラゴンは災害です。

逃げるしかありません。

しかしドラゴン退治専門家なら、

  • 「あの種類は厄介だ」
  • 「子連れだから凶暴だ」

など、仕事として分析する筈です。

村人はドラゴンを抽象的に見ます。

専門家はドラゴンを具体的に見ます。

見えている物が違うので、反応も、出来る事も、変わってくるわけです。

日常化すると、描写の重点が変わる

出来事に慣れると、非日常的な面白さの「未知」から、日常的な面白さの「工夫」へ移ります。

例えば、初心者料理人なら、

  • 「焦がした!」
  • 「指を切った!」
  • 「食材が足りない!」

とトラブルこそドラマになります。

しかし料理人が熟練すると、包丁さばきではなく、事前の食材選びや段取りや仕込み作業、行程を知っているからこその同時進行の妙、時間管理の巧みさ、などが見どころになっていきます。

つまり、いずれにしても問題そのものではなく、問題への対処がドラマになり、非日常的だと未体験の問題と向き合う事になり、日常的だと既知の問題を効率的にクリアする事になるわけです。

演出を決めるのは作者ではなく、登場人物

  • ファンタジーだから非日常。
  • 現代だから日常。

そういう話では、ありません。

魔王討伐が日常の世界もあります。

宇宙戦争が仕事の世界もあります。

逆に、現代日本では、

  • 事故
  • 手術
  • 災害
  • 逮捕
  • 裁判
  • 恋愛
  • 出産

等は、大半の人にとって、当事者として人生で数えるほどしか経験しない非日常かもしれません。

だからこそ、それが日常化している世界を描く事に面白さがある場合もあります。

つまり、演出は、作者の都合が最優先ではなく、設定した人物の経験値が決めるのです。

最後に

「登場人物がその出来事をどう受け止めているか」

余裕がなく、慣れず、必死なら非日常になる。

慣れ、工夫し、同時に別のことまでできるなら日常になる。

この違いを意識するだけで、戦闘も、恋愛も、仕事も、事件も、同じ出来事をまったく違う人の姿勢や視点で見る事が出来て、それが作品の味になります。

登場人物の出来事との付き合い方を書く事、これが日常的演出と非日常的演出を使い分ける、本質的な考え方と言えるでしょう。

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