コラム

「みいちゃんと山田さん」アニメ化騒動を整理してみる試み。何が問題視されているのか?

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「みいちゃんと山田さん」と言う作品をご存知だろうか?

個人的に「劇薬」に見え、まあ、扱いが難しい社会的問題を提起するタイプの、露悪寄りのエンタメ漫画作品である。

そのアニメ化が発表され、SNSでは賛否が大きく分かれ、言ってしまえば炎上している。

タイムラインを眺めてみると、

  • 「作品と作者が炎上」
  • 「過去のアニメ中止作品と似た状況じゃない?」
  • 「アニメ化するには内容が現代人には早すぎる」

など、様々な情報が混ざって流れてくる。

今回は、できるだけ、見えている事実をベースに、この騒動を整理する。

果たして、アニメ化は妥当なのか?


論点① 作品内容への批判

最も大きな論点です。

本作は、

  • キャバクラを始め風俗産業を扱っている
  • DV描写
  • 貧困描写
  • 性的搾取描写
  • 近親相姦描写
  • 知的障害・精神的な問題を抱えている人物描写
  • 殺人事件描写

など、かなり重いテーマを扱っています。

中でも問題視されているのが、主役のみいちゃんです。

作中では障害名などは明言されませんが、多くの読者が

「明らかに知的障害や発達障害を抱えた人物」

として向き合う事になります。

その結果として「現実の障害者への偏見を助長するのではないか」「アニメ化前で既に起きている」等と批判が起きています。

作品を叩き棒にして現実で誰かを「叩きやすくなった」と玩具にする行為は、シンプルに叩いた人が悪いのは間違い無く、本作の場合はエンタメと言う形で「叩き棒を結果的に提供してしまった」と言う所です。

仮に、これが叩き棒職人が作った障害者叩き棒を使って障害者が実際に叩かれた場合、棒職人は叩かれるべきか?

と言う話です。

当然、この例えだと、叩き棒職人が障害者叩き棒なんて厄介な物を作れば、罰するべきと考えるでしょう。

しかし、目的が醜悪な物を仮に作ったとて、悪いのは実際に使った人であり、制作者は非難は浴びても罰せられるいわれは法に従っている場合はありません。

そして作者もアニメ会社も表面的には、社会問題を扱っている作品を作っている自覚もあるし、それが叩き棒として使える事は分かっているが醜悪な目的の専用叩き棒として広めようと言う意思は無いと表明しています。

その点で、アニメ化を止める理由は無く、アニメ化が原因で「何か」が起きたとしても、表現の自由を奪われる事は無いですが、発生する影響によってもしかすると「こんな事になるとは」と言う権利こそありますが、それを受け止める責任も抱えるだけの話かと思われます。

要は、問題が起きたら問題に対処する覚悟があるからこその表現の自由であり、アニメ化も妥当であり、それが無く叩き棒を不特定多数の人に配るのは、危険な行為では、あります。


論点② アニメになることで影響力が変わる

漫画の場合「読みたい人だけが金を払って読む」メディアです。

しかしアニメになると、特に地上波放映ともなると、

  • 原作を知らない人
  • 子ども
  • 海外の視聴者
  • SNSだけで断片を見る人
  • 金を払う気は無いが気になる人

等にまで一気に広がります。

つまり、作品そのものではなく、「アニメという媒体で広く届けること」自体に不安を感じている人も少なくありません。

ここは漫画への批判とは少し違う論点です。

影響力がアニメ化は強すぎて、まして、現代ではSNSに勝手に動画を違法で流す事も当然横行し、全てを止められない事で、作品によって悪影響を受ける人にまで届きやすく、作品の内容次第では作者が表現の自由を行使した結果、そこで起きる影響に対して取るべき責任を果たせない影響力を持ち得る危険があるわけです。

それは、まあ、そうなのですが、これはマイナスにだけ目を向けた意見でもあり、本作を社会問題を提起する問題作として見る場合に、そこにはテーマ性やメッセージ性があって、そこからプラスの事を感じ取る人も当然いるはずで、例えばシゲオが人間的に成長する様なエピソードで学びを得てプラスの影響を受ける人もいる筈で、結果的に社会的に良い影響と悪い影響のどちらが大きいかは、定量的にはかる事は難しい物です。

また、作品前半部分の露悪的な表現だけを切り取って叩き棒にする人がいるとか、作品の持つメッセージ性を掴み取れない人がいるとか、ちゃんと読みも見もしないで不愉快に感じる人がいるとかは、アニメ化の影響力で強く出る可能性はありますが、そんな物は受け取る人の質の問題なので、チャンネルを変えるか、ちゃんと作品を見たり読んりした上で語ってくださいと言うだけで、アニメ化を止めるべきとまでは言えないでしょう。

例えば、日曜の午後五時に放送とかになると「正気か?」とはなりますが、深夜帯放映や配信と言う形であれば、十分見て欲しくない層への住み分けは可能にも思えます。


論点③ 作者への批判

今回、作品だけでなく作者自身にも注目が集まりました。

過去のSNSでの発言や創作姿勢が掘り起こされ、

  • 「ガチで弱者を見下している?」
  • 「人を観察対象として消費しているのが怖い」

みたいな批判が出ています。

他にも、噂話みたいな業界の裏側漫画がアニメ業界に喧嘩を売っているとか、そういう内容の投稿をアニメ化あたりで消してて卑怯とか、自分でも問題に感じてるじゃんとか。

仮に、作者が犯罪者で裁判中とか、犯罪となるレベルの問題発言をしているなら、リスク管理面から見てもアニメ化は危険となりそうですが、基本的に「作品と作者の人格は分けるべき」であり、ここで重要なのは、作者への評価と作品そのものへの評価は、本来別問題だということです。

仮に、作者が実は人間としてクズであっても、作品が良ければ作品は良いと言う評価は変わりません。

作品内の危うい表現と、作者の危うい属性が近いとしても、そこが完全に繋がっていない限りは、分けて見るべきです。

仮に、作者が障害者を飼殺して観察しながらそれで作品を描いていたら問題ですが、作者が過去の知人や、作品テーマの関係者へのインタビューを客観的に扱って描いているだけであれば、作者に人格的に問題があっても明らかに犯罪を犯しているとかでなければ作品は作品で評価される方が、理想的でしょう。


論点④ 「過去の炎上作品と似た状況」という話

SNSでは、「昔アニメ化中止になったあの作品と似た状況になってきてね?」という投稿も見られます。

過去のアニメ中止・炎上事例には、

  • 著作権侵害
  • ヘイト発言
  • 制作会社の問題
  • 声優問題
  • 表現倫理

など、理由が様々あります。

それらの共通点は、法律とか権利のラインを何らかの形でブッチギッテしまっている点です。

今回の問題は、「障害を想起させる人物描写と、その社会的影響」が、とりあえずは中心であり、作者の過去発言の掘り起こしも、現時点では、それらと同一視するほどのものでは、ありません。

現時点では。


では、アニメ化は中止すべきなのか?

ここは価値観によって結論が変わります。

ただ、現時点で確認できる情報から考えると、

  • 「違法だから中止」
  • 「明確なヘイト作品だから中止」

とまで言える材料は見当たりません。

一方で、「社会的影響への懸念は十分理解できる」という状況でもあります。

つまり、アニメ化そのものが不当だと断定することは出来ないが、何の問題もないと言い切ることも難しいと言う、中途半端な感じです。

現状では、制作側がどこまで丁寧に作品を映像化し、必要な監修や配慮を行うかが、まずは重要になってくるでしょう。


この騒動から考えたこと

今回の件は、一つの作品の是非だけで終わる話ではありません。

創作には「表現の自由」があります。

しかし、作品が大衆向けメディアに乗った瞬間、その影響力は飛躍的に大きくなります。

だからこそ、「描いてはいけない」でも、「何を描いても責任はない」でもなく、作品・作者・媒体・受け手という、それぞれ異なるレイヤーを分けて考える姿勢も、必要なのではないでしょうか。

表現の自由から考えれば、描いても良いし、アニメ化しても良い筈です。

そこは一貫しています。

しかし、そこが妥当だとしても、その妥当とは何をしても良いでは無く、その影響の責任の一端を握る覚悟が必要と言う事です。

これは、包丁職人が作った包丁が殺人事件に使われた場合、包丁職人は裁かれませんが、包丁職人は自分の作った道具は人を傷付ける事に使えるし使われた事は受け入れるべきと言う事です。

作品の影響で何かあっても、何かが起きても、それが叩き棒として使われても、作者も作品も罪を犯していない限りは罪は無いですが、叩き棒として使われる物を作った事実は受け入れる覚悟は創作者としては持っておくべきです。

そう考えると、アニメ化は現時点では「妥当」だが、多くの人が「でも推奨は出来ない」と言う答えに辿り着く様に思えます。

そこで、発生する悪影響や、作者のスタンスを危険視する人は、表現の自由を信じていても「やめといた方が安全じゃない?」と感じるでしょうし「面白ければ良いし、影響も仕方なし」と受け入れている人は、やるだけやってどうなるか見るのも一つの選択でしょ、と感じるかもしれません。

いずれにしても、不快とか危険と言うだけで表現を外圧で検閲するのは、良くないと言う事です。

表現の自由を守るには、この様な、表現の自由を守りたいと普段言っている人でさえ守るべきなのか悩むテーマや表現が含まれた物も、一旦は守るべきと言えます。

また勘違いをしてはいけないのは、表現の自由は何を表現しても賞賛を浴びる法では無く、明らかに批判を浴びる表現であっても批判を受け入れるのであれば表現しても良いと言う法と言う点です。

そう言う意味で、作者もアニメ会社も監督も他関係者も、賞賛も批判も浴びる覚悟があるからこそ表現をしているわけで、それを当事者達以外が「やめるべき」と決める事は、表現の自由が活きている限りは実質的に出来ません。

仮に、この先で色々あってアニメ化中止が発表されても、それは批判を浴びる覚悟が誰かしら足りなかっただけの話であって欲しい物です。

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