創作論

【創作論】BL・百合とLGBTQは同じではないと言う話。創作者が理解しておきたい「違い」の話

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

近年、「BLや百合が一般化した」「LGBTQへの理解が進んだ」と、同時に言われることがあります。

しかし、この二つを同じものとして扱ってしまうと、創作の現場でも、SNSでも、現実の人間関係でも、思わぬすれ違いを生みます。

今回は、創作者の視点から「BL・百合」と「実在するゲイ・レズビアン」がなぜ別物として扱われるのかを整理してみます。

同じ「同性同士の恋愛」でも、全然違う

まず理解したいのは、「同性同士の恋愛」という点では同じに見えますが、これらを創作物として扱う場合、作品は同じジャンルにならないということです。

例えば、実在するゲイやレズビアンを扱う作品では、

  • 当事者の人生
  • アイデンティティ
  • 社会との関係
  • 当事者ならではの価値観

などが描かれることが多くあります。

一方、多くのBLや百合作品は、エンターテインメントとしての恋愛作品です。

そこでは、

  • 「どのような関係性が魅力的か」
  • 「どのような恋愛が読者に刺さるか」

ということが、より重視されます。

つまり、描いている対象が似ていても、作品が目指しているもの自体が、現在は違うのです。

誰に向けて、誰が作るかで文化は変わる

作品は、テーマだけで決まりません。

誰に向けて、誰が作るかによって、時に大きく姿を変えます。

例えば女性向けBLでは、読者の多くは女性です。

そして、作者も女性が多くなる傾向があります。

すると、作品の登場人物が男性キャラクターであっても、

  • 価値観
  • 思考の癖
  • 感情表現
  • 恋愛観
  • 人間関係
  • コミュニケーション

などは、女性的な物に寄って行き、女性読者が理解・共感しやすい方向へ調整される傾向が強くなります。

これは、逆に男性向けの百合作品でも現れる現象です。

男性的感覚が混ざり、男性的な女性キャラクター同士の関係が、男性読者にとって魅力的に感じられる形へ調整されるわけです。

これは、決して悪いことではありません。

エンターテインメントとは、あらゆる点でターゲットへ最適化されるものだからです。

女性が分かりやすい女性的精神性を持った、女性が興奮し易い理想男性的外観を持っている、邪魔になる女性が不在の恋愛劇として、BLは磨き抜かれているわけです。

しかし、その結果として出来上がる文化は、「現実の文化」とは、似た構造でも、別物になっていきます。

全てにおいて女性不在のファースト文化が劇中に出来ているわけで、男性の同性愛を扱っているのに、そこにゲイ男性が入り込むにはチグハグな部分が多いわけです。

百合物とレズでも同じです。

BLを理解しても、ゲイを理解したことにはならない

ここで起きやすい誤解があります。

稀に、BLを長年読んできた人が、「私は同性愛に理解があり、ゲイを理解している」と思ってしまうことです。

しかし、多くの場合、その人が理解しているのは「BLというジャンルの文法」だけです。

それは、

  • 主に女性にとって面白い恋愛
  • BLならではの女性的な演出
  • BLならではの内面が女性的キャラクター
  • BLならではの女性的関係性
  • 高いレベルで女性的思考をする男性同士のコミュニケーション

であり、現実のゲイ男性の価値観や文化とは、驚くほど一致しない場合がありえるわけです。

もちろん、現実のゲイ男性も一枚岩ではありませんし、BLに実在のゲイ文化やゲイ男性的思考を持ち込む骨のある作品だってあるにはあるでしょう。

同性愛者側も、身体の性別に関係無く、メンタルは男性的な人もいれば女性的な人もいます。

恋愛観も文化も様々です。

だからこそ、「BL=ゲイ」「百合=レズ」という理解は、BLや百合に色々あるとしても、時に現実を単純化し過ぎてしまいます。

なぜ表出する、誤解行動が起きやすくなったのか?

近年は同性同士の恋愛を扱う作品が以前より広く知られるようになりました。

同時に、SNSによって世界が狭く近くなった事もあるでしょう。

その結果、「BLや百合を楽しんでいる=LGBTQへの理解がある」という、ある種の安易なイメージを持つ人が増え、発言力も得たと言えるでしょう。

しかし、本来この「=」は、発想の飛躍です。

BLや百合を好きであることと、現実の当事者文化を理解していることは、まるで別の事だからです。

恋愛映画をたくさん観た人が、恋愛カウンセラーになれるわけではないし、ギャルゲープレイヤーがモテモテにならないのと同じです。

創作を楽しむことと、現実を深く理解することは、そのままイコールにはなりません。

一般的なBL作品を沢山深く理解しても、平均化すれば女性的な思考の男性キャラクターへの理解が深まっているだけで、そこにゲイ当事者は実は、ほんの少ししか存在していないなんて事は、ザラです。

繰り返しになりますが、イケメンでデコレーションされた女性的価値観があるだけで、現実のゲイと合流して機能する真となる部分は、かなり少ないです。

百合とレズも同じで、男性向けの百合作品を深く理解しても、分かるのは美少女の姿を借りた男性的価値観交じりの理想の美少女像があるだけで、そこに現実のレズと合流して機能する真となる部分は、やはり少ないです。

しかし、「理解した」「自分は意識も高い」と勘違いする人は、その高揚感で突飛な行動を取り、失敗しがちで、それをSNSで止める事は不可能に近いです。

創作者が気を付けたいこと

この違いを理解している創作者ほど、住み分けを大切にします。

BLはBL、百合は百合。

そして、現実のLGBTQ文化は、現実のLGBTQ文化。

それぞれを、正確性を意識して認識しつつ、尊重することで、不要な衝突を避けられます。

その上で、理想の形や、深いテーマ性を模索すれば、相応に面白い作品も作れるでしょう。

この記事を、記事執筆時期付近で読んだ人であれば、ここからの内容が、あの事だと分かると思います。

これは、同じように、二次創作にも同じ考え方が当てはまります。

二次創作は、原作という土台があるからこそ成立します。

だからこそ、

  • 「原作者が見たいかどうか」
  • 「原作者に迷惑を掛けないか」

という配慮は、文化として非常に重要です。

原作と二次創作は、ゲイとBLや、レズと百合ぐらい違うもので、住み分けが必要です。

近年はSNSの普及によって、創作者とファンの距離が近くなりました。

その結果、最初は善意からであっても、原作者が望んでいない二次創作を直接送り付けたり、反応を求めたりすることで、双方が不幸になるケースも見られます。

創作文化は、敬意によって支えられています。

原作者が作品を作り、ファンが楽しみ、二次創作者が独自に世界を広げてファンをIFで楽しませる。

この関係は、どれか一つが偉いのではなく、それぞれが適切な距離感を守ることで成り立っています。

そして、あえて偉さを決めるとすれば、間違い無く原作者が神クラスに偉いのは揺るがず、神が創造した世界を覗き見ているのがファンと言う信徒であり、それをファンアートとして描く事を神に許して貰っている立場なのが二次創作者と言う宣教師なので、宣教師が神に従わないのは本末転倒です。

まとめ

BLや百合は、長い時間をかけて育ってきた創作文化であり、ジャンルです。

そして、現実のLGBTQは、現実を生きる人々が育て守り戦ってきた文化です。

両者は題材が重なる部分こそありますが、目的も、文法も、成立の背景も異なります。

だからこそ、

  • 「BLを好きだからゲイを理解している」
  • 「百合を好きだからレズビアンを理解している」

と考えるよりも、

  • 「私はBLや百合という創作文化を楽しんでいる」

と考えるほうが、創作にも現実にも誠実です。

それぞれを別の物として理解し、互いを尊重することが、創作者にも読者にも健全な姿勢なのではないでしょうか。

物語る工房をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む