創作論

【創作論】創作の核心部「でなければならない」と「だから描けた」の持つ必然性。ネトフリ映画版『THE RIBBON HERO/リボンの騎士』の酷評から考えてみる

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はじめに

物語を紡ぐとき、しばしば問われるのが「なぜこのテーマなのか」「なぜこのキャラクターでなければならなかったのか」という必然性です。

必然性は、とても重要です。

創作におけるテーマとは、孤立した単なるお題やメッセージではありません。

「でなければならない」という強い動機(必然性)をどれだけ深く持っているか。

そして、それが表現の果てに「だから、自分にしか描けなかった」「だからこの形になった」という「だから描けた」という強烈な納得感へと昇華されているか。

この2つが両立して初めて、読者や観客の胸を打つ作品が生まれます。

逆に、どちらか片方、あるいは両方が欠けてしまっていると、たとえ個別の演出や作画、演技がどれほど優れていであっても、受け手の心には「なんでこの設定にしたんだろう?」「なぜこの原作を?」という拭い難い違和感や疑問だけが残ることになってしまいます。

今回は、現在ネットフリックスで公開され酷評を集めている映画版『THE RIBBON HERO』の事例を交えながら、創作における「必然性」の重要性について紐解いていきます。

名作の映画化と、「リボンの騎士」である必要性の希薄さ

手塚治虫の歴史的名作『リボンの騎士』が新たに映画化されると聞き、多くのファンが胸を躍らせました。

(同時に、不安になったのも、一応触れておきましょう)

しかし、蓋を開けてみれば、現実は厳しいものとなりました。

現在、SNSやレビューサイト等では、作品に対して多くの酷評が寄せられています。

私も速攻で見ましたが、アニメーションとしては素晴らしい部分も沢山ある作品です。

ですが、引っ掛かりが、あまりにも大きかった。

その最大の理由は、単に「出来が悪い」からではありません。

「『リボンの騎士』を銘打っているにもかかわらず、リボンの騎士である必要性がほとんどない作りになっていたから」に他なりません。

原作では、サファイアという少女が「男の心と女の心」を併せ持って生まれてきたこと、天使チンクのイタズラによって運命が狂わされたこと、男装の騎士として王国を救う戦いに身を投じること。これらはすべて、根幹をなす要素です。

しかし今回の映画版では、その根幹であるはずの「男と女の二つの心に引き裂かれる葛藤」や「サファイア自身が背負う宿命」が十分に描かれず、単なる「ファンタジーアクションの主人公の皮」として名前とビジュアルだけが消費されてしまいました。

リボンの騎士を唐突に名乗り始めた時は、何か重要なシーンを見落としたかと不安になりました。

もし主人公がサファイアである必要がなく、オリジナルキャラクターの騎士でも成立してしまうのであれば、それは「リボンの騎士」の名前を借りただけの別物です。

「なぜサファイアでなければならなかったのか」「なぜリボンの騎士を現在の技術で描き直すのか」という問いに対する答えが作品から感じられないため、観客は激しい違和感と「なんで?」という不満を抱くことになったのです。

「でなければならない」と「だから描けた」の方程式

この失敗は、すべての創作活動に通じる普遍的な教訓を示しています。

私たちが物語を作るとき、以下の2つの要素が不可欠です。

どこにも無ければ、その作品は危険信号が灯っています。

1. 「でなければならない」

  • 「このキャラクターでなければこの葛藤は成立しない」
  • 「この世界観でなければこのテーマは表現できない」
  • 「この時代設定でなければこの選択に重みが出ない」
  • 「この原作を、こう現代風にする事でしかこの化学反応は起きない」

創作者がこの「でなければならない」という縛りや必然性をどれだけ強く握りしめているか。

これが緩いと、あるいは他者に委ねて掴めてないと、そもそも無いと、物語のあちこちにご都合主義が生じ、キャラクターが作者の都合で動かされる人形になってしまいます。

2. 「だから描けた」

  • 「だからこそ、この結末にたどり着いた」
  • 「だからこそ、この表現方法でしか描けなかった」

「でなければならない」という強い縛りを背負って走り抜けた結果として提示されるのが、「だから描けた」という圧倒的な納得感です。

この着地があって初めて、受け手は作品のすべてを受け入れ、深いカタルシスを得ることができます。

今回の映画版には、この「だから描けた」という説得力が欠けていました。

物語のギミックとして、リボンの騎士を原作としたから出来る演出がクライマックスに用意されていた物の、あまりにも見る者に掴みづらい出来だったのも痛かったです。

「名前を使えば話題になるから」「今の時代にリバイバルしやすそうだから」といった、外側の都合(=でなければならない理由の欠如)が先走ってしまった結果、物語の芯が抜け落ちてしまったのだろうと、予想せざるを得ません。

おわりに

優れた創作とは、手法の巧拙以前に、「なぜそれをやるのか」という魂の必然性で成り立っています。

私たちが何かを描こうとするとき、常に自問しなければならないのは、「他の誰でもなく、このテーマでなければならないのか?」そして「この表現の果てに、自分は『だから描けた』と言い切れる納得感に到達できるのか?」ということです。

「なんで?」を生む創作から脱却し、「これしかなかった」と言わせるだけの必然性を掴み取るために――。

『リボンの騎士』の現実は、私たちクリエイターに静かで重い問いを投げかけています。

技巧が優れていても、大事な部分が抜け落ちれば、それは空虚なジェットコースターになりかねません。

乗っている時は面白くなりそうでも、乗り終わったら何も残らない。

それは、作り手側も望む事では無ない筈です。

この原理は、ビジネスであれば金や技術で乗り越えられると考える人も中には、いるかもしれませんが、魂を込める人を入れられなければどんなに金を積んでも解決しない問題です。

会社の偉い人も、プロデューサーも監督も、その他の人も、プロジェクトに漂うこの気配には気をつけましょう。

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