コラム

始めること、終わらせること、区切ることを自分で決める事の大切さについて

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何かを始めるとき、「ここから始めよう」と思える瞬間がある。

何かを終えるときも、「ここまでで終わりにしよう」と思える瞬間がある。

しかし、よく考えてみると、その境界線は必ずしも世界の側に用意されているわけではない。

誕生日だから、新年だから、月曜日だから、年度が変わったから、100回やったから、10年続けたから。

そうした出来事には、確かに客観的な変化がある。

一方で、「今日から始める」「今年で一区切りにする」「100回達成したから次の段階に進む」という意味そのものは、人間が後から与えている。

そして、この「意味を与える力」を自分で扱えるかどうかは、現実の生活でも、創作活動でも、かなり重要になる。

世界には、思っているほど分かりやすいスタートラインもゴールラインもない

例えば、勉強を始める。

「月曜日から始めよう」

これは便利な区切りだ。

しかし、日曜日と月曜日の間に、勉強を始めるのに適した特別な物理現象が発生するわけではない。

午前0時になった瞬間に能力が上がるわけでもない。

それでも「月曜日から」と決めることで、人は行動を始めやすくなる。

逆に、

「今日はもう十分やった。ここまでを一回の勉強として終わりにする」

と決めることもできる。

こちらも同じだ。

世界のどこかに「ここが本当の終了地点です」という線が引かれているわけではない。

自分で線を引く。

そして、その線に意味を与える。

この能力は、単なる気分の問題ではない。

人間は、連続している出来事を区切って認識することで、それを扱いやすくしている。

一日、一週間、一か月、一年。

一話、一巻、一章、一シーン。

第一段階、第二段階、最終段階。

こうした区切りは、現実そのものではなく、現実を扱うための認識上の道具でもある。

だからこそ、区切り方を変えると、同じ現実でも意味が変わる。

「100」という数字だけでも、スタートにもゴールにもなる

面白いのは、数字そのものに特別な意味がなくても、人間はそこに意味を付けられることだ。

99回目までは「あと1回」。

100回目になった瞬間に「100回達成」。

101回目からは「次の100回」。

実際に起きていることだけを考えれば、99回目と100回目の間に突然、世界が切り替わったわけではない。

しかし、人間にとっては違う。

「100」という数字が、ゴールラインになる。

そして同時に、次のスタートラインにもなる。

これは100に限らない。

10。

50。

1000。

1年。

10年。

365日。

あるいは、自分だけが意味を感じる数字でもいい。

「今日で30日続いたから、ここから習慣として扱おう」

「この作品を10本作ったから、ここまでを第一期と呼ぼう」

「この一年は準備期間だった。今日から本番にする」

このように、自分で境界を設定できる。

日付や時刻にも、同じことができる

日付も非常に強力な区切りになる。

1月1日。

4月1日。

誕生日。

月初。

月末。

年度末。

記念日。

こうした日は、それ自体が人生を自動的に変えてくれるわけではない。

それでも人間は、そこに意味を付けることで「始める理由」を作れる。

さらに極端に言えば、

「8月16日だから始める」

でも構わない。

「16時から始める」

でもいい。

「22時22分になったら始める」

でもいい。

語呂合わせでもいい。

覚えやすい数字でもいい。

偶然見た時刻でもいい。

重要なのは、その数字に宇宙的な意味があるかどうかではない。

自分にとって、そこを境界線として扱うことに意味があるかどうかだ。

これは、迷っている人にとって意外に大きい。

「いつか始める」には、スタートラインがない。

「来週から始める」には、スタートラインがある。

「次の1日から」でもいい。

「次の1時間から」でもいい。

「この文章を書き終わったら」でもいい。

「次に時計を見た時刻から」でもいい。

始めるために必要なのは、必ずしも劇的なきっかけではない。

自分で区切ればいい。

終わらせることも、同じくらい重要

区切りを作る能力は、始めるためだけに必要なのではない。

終わるためにも必要だ。

これは特に創作活動で重要になる。

作品を作っていると、いくらでも直せる。

文章は書き換えられる。

設定は追加できる。

台詞は変更できる。

演出も修正できる。

もっと良くできるかもしれない。

もっと調べられるかもしれない。

もっと考えられるかもしれない。

そのため、「完成」という状態を自然に待っていると、いつまでも終わらない。

そこで必要になるのが、

「ここまでで、この作品は完成とする」

という境界線だ。

もちろん、本当に欠陥が残っているなら修正する必要がある。

「終わらせる」と「問題を無視する」は違う。

しかし、修正すべき問題がなくなっても、「もっと良くできる」という可能性だけは永遠に残る。

だから創作には、ある意味で人工的な終了条件が必要になる。

「この日まで」

「このページまで」

「この改稿回数まで」

「この品質条件を満たしたら」

「ここまで直したら公開する」

こうした条件によって、作品にゴールラインを引く。

「区切る」と「諦める」は違う

中には、ここを混同しやすい人がいる。

区切りを付けることは、必ずしも諦めることではない。

例えば、長編小説を書いているとして、

「第一部をここで完結させる」

という判断がある。

これは作品そのものを諦めたわけではない。

「第一部」という単位を完成させただけだ。

仕事でも、

「今年度の活動をここで締める」

ということはできる。

勉強でも、

「この参考書をここまで終えたので、次の教材に移る」

という区切りがある。

人生でも、

「この方法では上手くいかなかったので、この方法はここで終わりにする」

という判断ができる。

重要なのは、

終わらせる対象を正確に選ぶことだ。

夢そのものを終わらせるのか。

今の方法を終わらせるのか。

今の作品を終わらせるのか。

今回の挑戦を終わらせるのか。

一日の活動を終わらせるのか。

ここを区別できると、終わりは敗北だけではなくなる。

「このやり方は終わり。でも目的はまだ終わっていない」

という状態を作れるからだ。

創作では、区切りそのものが構造になる

物語では、この考え方がさらに重要になる。

プロローグ、日常、切欠、悩み、決意、試練、危機、絶望、契機、解決、エピローグ。

こうした要素は、物語を理解するための機能的な区分として使える。

しかし、現実の物語には「ここからが切欠」「ここで絶望」という看板が立っているわけではない。

作者が、

「ここまでを日常として扱う」

「ここから問題が始まる」

「ここで一つの問題を解決する」

と区切っている。

区切らずとも、表現によって自動的に区切られる。

つまり、物語を作るということは、出来事を並べるだけではなく、出来事に境界線を引くことでもある。

同じ出来事でも、どこから始めるかによって物語は変わる。

例えば、

「主人公が剣を抜いたところ」

から始めるのか、

「主人公が剣を抜くことを決意したところ」

から始めるのか、

「主人公が剣を抜くことになる10年前」

から始めるのか。

全部、同じ物語の出来事を使える。

しかし、読者が最初に与えられる意味が違う。

終わらせ方も同じだ。

敵を倒した瞬間で終わるのか。

敵を倒して日常に戻るところまで描くのか。

数年後の主人公まで描くのか。

読者が「ここで終わった」と感じる位置をどこに置くかで、作品の印象は変わる。

だから、物語の始まりと終わりは、単なる前後関係ではない。

意味を発生させるための境界線でもある。

同じ出来事でも、区切り方で意味が変わる

例えば、主人公が100日間努力して失敗したとする。

これを、

「100日間努力したのに失敗した」

と区切れば、失敗の物語になる。

しかし、

「100日間の訓練を終えた」

と区切れば、訓練期間の完了になる。

さらに、

「100日間の訓練を経て、101日目から別の方法を試す」

とすれば、次の挑戦のスタートになる。

出来事そのものは同じだ。

変わったのは、区切り方と意味付けだ。

もちろん、言葉だけで現実の結果を変えられるわけではない。

失敗は失敗である。

借金は借金である。

締切を過ぎた事実も消えない。

しかし、その出来事を「何の終わりとして扱うのか」「何の始まりとして扱うのか」は、自分で選べる場合がある。

ここには大きな違いがある。

「意味があるから区切る」のではなく、「区切るから意味が生まれる」場合がある

人はつい、

「何か特別なことが起きたら、そこを区切りにしよう」

と考える。

しかし、実際には逆方向も成立する。

「ここを区切りにする」と先に決めることで、そこに意味を持たせる。

例えば、

「今日から毎日1ページ書く」

と決めれば、今日が創作活動のスタートになる。

「この原稿を今日で第一稿として完成扱いにする」

と決めれば、その日が第一稿の終了日になる。

「この作品を10本作ったところで、自分の第一期を終える」

と決めれば、10本目が節目になる。

そこに絶対的な意味が存在する必要はない。

自分が管理しやすく、覚えやすく、行動を切り替えやすいなら、それでいい。

だから「自分だけの記念日」を作ってもいい

これは、現実でも創作でも使える。

「初めて完成させた日」

「100ページ書いた日」

「10作品作った日」

「初めて誰かに読んでもらった日」

「初めてお金になった日」

「失敗した方法を捨てた日」

「新しい方法を始めた日」

「もう一度やり直すと決めた日」。

こうした日は、世界共通の記念日ではない。

だからこそ、自分の活動を管理するうえでは便利になる。

カレンダーに残してもいい。

名前を付けてもいい。

「第一期終了」

「第二期開始」

と記録してもいい。

意味は、後からでも作れる。

むしろ、後から振り返ったときに、

「あの日が転換点だった」

と意味付けできることもある。

区切りを作れる人は、過去を整理し、現在を動かし、未来を設計できる

区切りには、少なくとも三つの機能がある。

一つ目は、過去を整理すること

「ここまでが一つの期間だった」と認識できる。

二つ目は、現在を動かすこと

「今日から新しい段階だ」と決められる。

三つ目は、未来を設計すること

「次はここまでやったら一区切りにする」と、あらかじめゴールを設定できる。

これはかなり実用的だ。

何も区切らずに活動すると、過去は延々と続き、現在は曖昧になり、未来も漠然とする。

反対に、

「ここまで」

「ここから」

「次はここまで」

を設定すると、自分がどこにいるのか把握しやすくなる。

「終わらせ方」を決めると、「始め方」も決めやすくなる

始めることと終わらせることは、別々ではない。

終点が決まれば、始点も決められる。

例えば、

「この企画は30日間だけやる」

と決めれば、始める日を設定できる。

「10作品作ったら第一期終了」

と決めれば、1作品目から10作品目までを一つのまとまりとして扱える。

「この問題を解決するまでが第一段階」

と決めれば、その問題に取り組む期間が一つのユニットになる。

これは創作でも同じだ。

「この章では、この問題を解決する」

と決めれば、その章の始まりと終わりが見えてくる。

「このシーンでは、この情報を提示して、この状態まで持っていく」

と決めれば、シーンの役割が明確になる。

区切りは、単なる整理術ではない。

何をどこまでやるのかを定義するための道具でもある。

ただし、区切りは現実を改変する魔法ではない

ここは重要だ。

「今日から別人になる」と決めても、昨日までの能力が突然消えるわけではない。

「失敗は今日で終わり」と決めても、失敗した事実そのものがなくなるわけではない。

「新しい人生」と名前を付けても、現実の問題が自動的に解決するわけでもない。

区切りは、現実を直接変更するものではない。

現実に対する自分の扱い方を変更するための道具だ。

だからこそ、使い方を間違えてはいけない。

問題を解決せずに「解決したことにする」のは、区切りではなく現実逃避になる。

しかし、問題を確認したうえで、

「ここまでの方法は終了する」

「ここから別の方法に移る」

と決めるなら、それは現実的な意思決定になる。

自分でスタートラインとゴールラインを引く

人生にも創作にも、最初から完璧なスタートラインやゴールラインが用意されているとは限らない。

だから、

「どこから始めるのか」

「どこまでを一つとするのか」

「何をもって終了とするのか」

「次はどこから始めるのか」

を自分で決める必要がある。

月曜日でもいい。

1月1日でもいい。

誕生日でもいい。

語呂合わせでもいい。

100回目でもいい。

1000ページ目でもいい。

時計の22時22分でもいい。

誰にも意味がない数字でも、自分にとって区切りになるなら使える。

そして、その区切りは一度決めたら絶対に守らなければならないものでもない。

実際にやってみて、

「ここでは区切れなかった」

と分かったなら、区切りを変更すればいい。

重要なのは、世界から意味を与えられるのを待つことではない。

自分が扱いやすいように、始まりと終わりと中間地点を設計することだ。

物語を書くとき、作者はどこから始め、どこで終わらせるかを選ぶ。

人生でも、ある程度同じことができる。

昨日までを第一章にしてもいい。

今日から第二章にしてもいい。

ある方法をここで終わらせてもいい。

新しい方法をここから始めてもいい。

その境界線に、絶対的な意味がなくても構わない。

「ここをスタートラインにする」と決めた瞬間から、そこは自分にとってのスタートラインになる。

「ここをゴールラインにする」と決めた瞬間から、そこは自分にとってのゴールラインになる。

そして、その間に何をするのかを決める。

それが、区切りをコントロールするということだ。

世界に最初から用意されている線だけを使う必要はない。

自分で線を引く。

自分で名前を付ける。

自分で始める。

自分で終える。

その能力を持っているだけで、同じ出来事を「停滞」ではなく「一区切り」、「失敗」だけではなく「第一段階の終了」、「何もない一日」ではなく「新しいスタート」に変えて扱えるようになる。

現実そのものを好きなように書き換えることはできない。

しかし、現実をどこで区切り、何の始まりとして扱い、何の終わりとして扱うのかは、かなりの範囲で自分で設計できる。

創作における「始まり方」と「終わらせ方」が重要なのも、結局は同じ理由なのだ。

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