コラム

【話の種】物語を知る事で、物語の見え方がどう変わって行ったのかって話

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理解すればするほど既知も増えるが未知も増える

人が物語を見る時、それぞれ解像度が大きく違うと思う。

スクリプトドクターをする様になった後でさえ、私が物語を見る上での解像度は年々変化している。

今回は、私がどんな物語への見方をしているかについて、現時点での備忘録的に書き記す。

スタート地点はみんなと同じだった

私が物語と言う物に触れ始めたのは、恐らくテレビでやっていた人形劇・特撮・アニメーション・映画等からだろう。

スタート時は、漠然と好きな物は好き、嫌いな物は嫌い、というぐらいの感想があるが、好き嫌いはあっても何でも見始めれば最後まで見る様なタイプだった。

好き嫌いが漠然とある段階では、物語の基本は知らないし、当然先も読めず、全部が新鮮で興味深い物だった。

オタク・マニア化

ある程度、自分の中の好きを体感で理解してくると、摂取する作品に偏りが生まれ始めた。

例えば、子供向けや女性向けの作品に対して合わないと感じたり、対象年齢がズレて好きな作品層が自然と変わったり。

私は、小学校の中学年ぐらいで頑張って追い続けてきた特撮やNHKの子供向け番組を自然に完全に一度卒業したが、アニメは結局一度も卒業せず今に至っている。

漫画は小学校1年生ぐらいで初めて親に買って貰って以降、今も買い続けている。

小説は中学1年ぐらいでジュブナイルやラノベ的な物にハマった物の、一度自然消滅的に一部の作家以外は追わなくなっていた。

このぐらいの偏食が始まる頃には、好きな作品やジャンルが固まり、1作品を狂ったように愛したり、1キャラクターに狂ったように恋したりもあった。

自分の好きな作品ジャンルに関してはパターンが自然と分かり、お約束は先が読める様になるし、物によってワンパターンに感じ、それが面白く無いと感じる時期もしっかり経験した。

この時点で、作品を愛する一人のファンとしては物語は楽しいし、魅力的だし、かなりの事を理解していると感じてもいた

勉強開始

ジョセフ・キャンベルやシド・フィールドといった「物語にはパターンがある」を提唱したり、解説している本を読み始めると、物語の全体に流れる大きな流れが基本は同じである事を漠然と理解した。

脚本やストーリーの勉強をしたり、し始めた人の大半は、この段階だと思う。

私の体験では、本に書いてある文の意味は分かる物の、シックリと腑に落ちるまでは、実は結構時間がかかった。

眠りの森の美女と白雪姫が似ているという話であれば「どっちもディズニーで、プリンセスもので、どっちも姫が一度死んで、姫を愛する人が魔女を倒して」と似て感じるが、ゴジラも同じとなると「物語は起承転結で出来ている」とか「3幕構成で説明出来る」と言われても、それが何の役に立つのかとか、パターンとして共通点を見出す事の意味が最初は良く分からず「偉い人が大事って言ってるし覚えとこ」ぐらいの感覚で適当に進んでいたのが正直な所だ。

他に、ジャンルの話、キャラクターの話、プロ作家による作話方法解説とか見ても「プロはこうやるんだ、これが正解なのかな?」と、やはり漠然としていた。

この勉強開始時期は、学んだ知識の分は、作品を見る時に「これ、本に書いてあったやつだ」が生まれ、僅かに理解が深まった程度である。

私に訪れた大きなブレイクスルー

ブレイクスルーとは、障壁突破だ。

私が物語の理解で、いわゆる「一皮むけた」とか「腑に落ちた」とか「成った」と言う状態に辿り着いたのは、散々勉強しまくって読んだ本がうず高く積みあがり、それでも断片的だった理解が、一気に整理出来た時である。

切欠の本は、このブログでも何度も紹介している「セーブザキャットの法則」である。

何度も読んだし、読み倒してきたが、私は頭が別に良く無いので、この本単体では、ブレイクスルーする事が出来なかった。

ブレイクスルーしたのは、「セーブザキャットの法則」を軸に、他全ての脚本ハウツー本が「どの位置の何の本か」が分かり、自分の中で綺麗に整理される現象が起きた時である。

大量の脚本ハウツー本の縦横を繋いだ体系化が可能で、それに成功した時、ようやく「そう言う事だったのか」と、私の中で物語に対しての理解が一段階深まったわけだ。

この段階では、今では当たり前となっている物語を構造と表現で分ける考え方や、それまでは未整理の無数ジャンルや整理されたセーブザキャットの法則の10ジャンルしか無かった所に、132の整理されたジャンルを獲得し、132の整理されたジャンルは整理を維持したまま更に分ける事が出来る所までたどり着き、これは物語の世界が今までは古地図で航海する必要があった所に、精緻な世界地図が登場した様なインパクトがあった。

この理解によって、構造ジャンルに関する見極め精度が上がり、私はあらゆる物語の基本パターンを理論的穴埋めによって物語と出会う前に先に知る事が出来た

この理解は、一時的な万能感をもたらしたが、それはすぐに消えた。

132種類ものジャンルは一つの切り口に過ぎず、今までが古地図だったから凄く見えていた世界地図は、実はまだまだ解像度を上げる余地がある物だとすぐに分かったからだ。

以下、勉強とブレイクスルーの繰り返し

こうして、何度も勉強しては、どこかでブレイクスルーを起こし、私は物語への理解度を延々と高め続けた。

こうなってくると、自分の好き嫌いは当然分かるし、試みれば言語化も難しくない。

そして、ここまで来ると、作品を見ると、その時点で結構な事が分かる様になった。

物語の世界地図を持っているので、物語を見ると、どの位置にあるかが急速に絞る込める

見た目のジャンルであれば誰でも出来るだろうが、これが細かい構造ジャンルで出来るわけだ。

これは、ジャンル偽装的なミスリードが無い作品であれば、かなりの精度で当てる事が出来る。

これは物語のパーツ単位でも出来て「このパーツは、この物語に向いている」「このパーツの組み合わせは、上手くマッチしていない」と言った事が分かり、それによって物語の完成度について、途中でも当たりが付く

そして、そこまで分かってくると、物語の構成要素によっては、本来あるべき世界地図の座標が分かり、それが余りにも違えば、何か問題を抱えている事も途中で分かる様になった。

世の中のヒット作の多くは、この世界地図の座標があるべき場所の付近に殆どの場合あり、ここを外しての大ヒットは、至難の業と言える。

ここまで勉強しても分からない事

何がヒットするのか、これは、ここまで理解しても、物語への理解度だけではカバーしきれない領域があり、正確には分からない。

例えば、ここまで物語への理解度を高めても、世の中には、物語としてはダメな部分が結構大きくても、一見すると商業的に上手く行っているとか、なぜか企画が動き続けている様に見える作品がちょこちょこある。

キャラクターの良さでカバーしている作品であれば物語論的にはヒットは理解出来るが、物語もキャラクターも微妙なのに、売れている様に見える作品に関しては、私が追い切れていない要素がある事は間違いない。

純粋な作品ポテンシャルではないと人によっては感じる部分や、業界の流れに上手く乗る別のスキルによって成功しているタイプの作品は、私は商業的なヒットに関しては見極めるのが難しく感じる。

また反対に、物語やキャラクターとしては出来が良いのに、切欠に恵まれずヒットまでが燻る作品も、何で燻るのか、何が切欠でドカンと来るのかは、物語を取り巻く環境もあるので予想出来ない事が多い。

そう言う意味で現在の私に確実に出来るのは、物語やキャラクターを通して、ヒットする為の土台を整えたり、ヒットの可能性をアップさせたり、ヒットした際のインパクトを大きくするまでだ。

分かっているけど、時にボカす事

他人を悪く言うと角が立つ物。

作品の何かが、よっぽど悪くない限り、私は、あまり悪くは書かない。

性格的にも、書きにくい。

だが、内心としては「これは、凡作止まり」とか「これは絶対に売れない」とか、初見で分かる作品が確実にある事も確かだったりする。

当然、逆に「これは料理次第で化ける」とか「これは絶対売れる」と言う印象を初見で受ける作品も確実にある

その中には「これは、人を選ぶけど一部に刺さる」とか「これは華は無いけどメッセージ性がエグイ」とかって作品もあるし、初見で「空中分解か座礁が見える」なんて作品もある

ただ、この感覚は、作品を見る人が漠然と感じる事とも一致し、多くの場合は、あまり意味を成さない。

だから、あえて書かない。

角も立つしね。

でも、これを物語と言う範囲で理論的に言語化可能なスキルは、書いている途中の作品を分析する際とかで、方向転換や修正をする上では滅茶苦茶役に立つスキルだったりする。

途中の段階で、なんで凡作止まりなのか、なんで絶対売れないのか、これが分かるなら書く手を止めて別作品を書く事も出来るし、方向転換で傑作名作が難しくても面白い作品にしたり売れる様に持っていく事も出来るわけだ。

どうせなら、出来るだけ大きなヒットを、みんな狙いたいしね。

分かってても、先が読めても、面白い物語は面白い

よく聞かれるのが「知る事で失う面白さは無いのか?」と言う話だ。

これは、あると言えばあるが、気にする必要が無い事だと私は考えている。

知る事で失われる面白さは「知らなければテンプレだと知らずに楽しめた凡作」を、100%の満足度で楽しめないぐらいだ。

そう言う作品は、パターンや理論を知れば知るほど、新規性や表現の巧みさ目が行き、テンプレしかない作品だとそれが薄く、シンプルに面白く無くなる。

だが、そんな作品を100%で楽しむよりは、新規性や表現の巧みさがある傑作や名作、良作、快作、怪作を、他の人がテンプレに目が行く中で、テンプレを選り分けて特別な部分に「すっげ~!!!」と目が行き、マニアが気付きで作品を楽しむ様にちゃんと楽しめるので、体感だが、十分楽しく感じる。

もちろん、これは人によるが、言いたい事は「知れば失う面白さ」は、別に気にしなくても世の中面白い物で溢れていると言う話である。

例えるなら、りんごを食べた事が無い人が初めてりんごを食べるか、りんごの中でも珍しい物を食べて差が分かるか、その差であり、どちらに価値を置くかである。

余談:無知で良しは、結構危ない?

創作者は、作ろうとする時に、調べれば調べるほど似た作品と会う事も遭う事もある。

知れば知るほど無知を知る。

しかし、完全に全てを知ろうとすれば、そこは底なし沼だ。

でも、だからと言って全てを知れないなら調べる必要が無いと言う考え方は、よろしくない。

車輪の再開発は避けるべきだし、知るからこそ分かる事も沢山ある。

必要十分を知る事が大事であって、無限にページが増え続ける辞書から欲しい情報だけ拾う能力が必要なのであって、調べないと言う選択肢は思わぬ踏まなくて良い地雷を踏む危険がある。

六法全書を読破する必要は無いが、大事な項目だけは知らないと話にならない。

知りませんでしたは、常識や簡単に調べればわかる事では、周囲の反応は冷たくなる。

調べた上でカバー出来ませんでしたであれば、周囲は想像よりも暖かく失敗しても迎えてくれる。

どうせ全てを理解出来ないから調べないで良し理解せずとも良しは、場合によっては危険な考え方だ。

すべては理解出来なくても、知ろうとする事で得る物は、幾らでもある。

他人を100%理解出来なくても、理解しようとする事に意味がある事と似た様な物だ。

どんな事でも、理解しようとして部分的にでも分かる事は、とても大きな意味がある事だと私は思う。

それが一生100%理解する事が出来ない対象であってもだ。

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