コラム

【評価論】持ってる「物差し」で評価が変わると言う話

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使える物差しは多い程よい

人は物事を判断する際、物差しを使う。

頭の中にある物差しだ。

頭の中にあるので、当然、正確に計測する事は難しい。

それでも、それで物事を測る必要がある。

この物差しだが、要は、既に経験している事や、知っている情報の事である。

既知と言う物差しと比較する事で、評価するわけだ。

そんな物差しだが、現実の物差しにメモリがある様に、頭の中の物差しにもメモリが実はある。

この「物差し」とそれに刻まれた「メモリ」は、情報が客観的なほど他人とも共有し易く、主観的なほど他人と共有が出来なくなっていく。

客観的な情報とは、普遍的で平均化された情報で、主観的な情報とは、個性的で先鋭化された情報になる。

例えば、映画を見て「面白い」と感じたとする。

普遍的で客観的な物差しとメモリを選んで面白さを評価しようとすると、同ジャンルの映画、同系統の作品、同監督作品、同俳優作品、そう言った「誰もが共有出来る比較対象」を物差しの根拠に持って来て、評価する必要がある。

個性的で主観的な物差しとメモリを選ぶ場合は、「個人的過ぎて共有が難しい、出来ない比較対象」を物差しの根拠に持って来る事となる。

「俳優が嫌いな人にそっくりで萎えた」とか、そう言う方向だ。

当然、評価を見に来る人の大半は「知らんがな」となる、ダメなレビュー扱いを受ける確率は高まる。

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