コラム

「現実は面白くない」と「現実こそ面白い」の違いは何かへの考察

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世の中には、「現実なんて面白くない」と感じる人がいる。

実際、フィクションの方が、刺激的で都合が良く整っていて面白い。

一方で、「現実ほど面白いものはない」と言う人もいる。

これもまた真理だ。

同じ世界に生きているのに、なぜここまで評価が違うのだろうか。

個人の、能力の差だろうか、経験の差だろうか、環境の差だろうか。

もちろん、それらもある。

しかし、もっと根本的な違いがあるように見える。

それは、何を「面白さの条件」にしているか、である。

現実は面白くない派

このタイプは、「面白いことが起きる」ことを期待している。

例えば、

  • ドラマみたいな展開
  • 映画みたいな事件
  • 漫画みたいな奇跡
  • 小説みたいな伏線回収

を面白さとして認識する。

しかし現実は違う。

  • 通勤する。
  • 買い物をする。
  • 仕事をする。
  • ご飯を食べる。

大半の日は、日常は、特に事件が起きない。

すると、「何も起きない」という評価になる。

起きても、大半の都合は、悪いのだ。

このタイプは、フィクションを、物語を、消費するのが嫌味ではなく上手い。

一方で、現実を観察したり、現実で行動するのは苦手な場合がある。

なぜなら物語では、重要な部分だけが編集されているからだ。

退屈な部分はカットされる。

しかし現実には、編集者がいない。

だから現実が大きく負けて、劣って見える。

現実こそ面白い派

こちらは逆である。

何が起きたかではなく、「なぜ起きたか」に興味を持ちやすい。

例えばニュースを見る。

現実は面白くない派は、

  • 「へえ、おもんな」

で終わる。

しかし現実こそ面白い派は、

  • 「まじでかぁ……しかし、なぜそうなったんだ?」

とか考える。

  • 政治。
  • 経済。
  • 企業。
  • 人間関係。
  • 犯罪。
  • 恋愛。
  • 歴史。

全てに原因が存在する。

その原因を辿り始めると、現実は巨大な謎解きになる。

そして、現実は無編集の面白い物語と面白く無い物語の融合体と気付く。

そうなると、現実の方が物語やらフィクションよりも、情報量が多くなり、奥深くなり、面白くもなる。

結果を見る人と過程を見る人

もう一つ大きな違いがある。

現実は面白くない派は、結果を見る。

現実こそ面白い派は、過程を見る。

例えば、大企業を見てみると、結果を見る人は「成功している企業だなぁ」で終わる。

しかし過程を見る人は、

  • なぜ成功したのか
  • 誰が決断したのか
  • 何回失敗したのか
  • どんな偶然があったのか

に興味を持てる。

すると、それを知れば知るほど、そこには有象無象の物語が見えてきて、急に面白くなる。

歴史でも同じだ。

戦争の結果だけ見れば数行で終わる。

だが原因を追うと、数千年続く人間ドラマのごった煮を紐解く作業になる。

完成品を見る人と制作過程を見る人

映画が好きな人は多い。

映画制作の裏側を見るのが好きな人もいる。

現実こそ面白い派は、後者も面白がりやすい。

完成品より、どう作られたかを見られるからだ。

例えば、街を歩くとする。

普通の人にはただの道路に見える。

しかし、面白がるのが得意な人には、

  • なぜこの道幅なのか
  • なぜここに信号があるのか
  • なぜこの店は生き残ったのか

という謎が見えてくる。

情報を見るか、変化を見るか

現実がつまらなく感じる時、人は静止した世界を見ている傾向がある。

しかし、面白いと感じる人は、なるべく動的に見ようとする傾向がある。

例えば一人の人間。

今だけ見れば普通である。

だが、

  • 10年前
  • 5年前
  • 現在
  • 未来予想

まで見ると別人になる。

  • 会社も同じ。
  • 国も同じ。
  • 技術も同じ。

変化を追跡すると、全てが物語になる。

実際の現実は、個別に静止などしていない。

常に変化している。

面白い派は、その変化を見ている。

すると、悪い状況でも、もっと悪くなる事もあるが、良くなる可能性にも目を向ける事が出来る。

面白さを受け取る人と作る人

最大の違いはここかもしれない。

現実は面白くない派は、面白さを「受け取ろう」とする。

要は、消費者とか、そう言う姿勢だ。

現実こそ面白い派は、面白さを「発見しよう、作ろう」とする。

つまり受動的か能動的かである。

これは、宝くじに似ている。

運良く何もしないのに宝くじが当たらないか。

宝くじを買っても当たらないか。

この違いは大きい。

創作好きほど陥る逆転現象

興味深いことに、創作が好きな人ほど、現実はつまらないと思いやすい。

なぜなら創作は、面白い部分だけを抽出した濃縮液だからである。

  • 現実は薄い。
  • 展開が遅い。
  • 都合が悪い。

伏線回収も何十年単位になったり、そもそも無い場合も多い。

しかし逆に言えば、

  • 現実には作者がいない。
  • 予定調和もない。
  • ご都合主義もない。
  • そして誰にも先が分からない。

考えてみると、これはかなり異常な娯楽である。

先の展開を知っている読者が作者含め一人も存在しない物語など、現実以外に存在しない、と言えるかもしれない。

結局、何が違うのか

現実は面白くないと感じる人は、イベントを探している。

受動的かつ、本当に面白い事を探し過ぎている。

現実こそ面白いと感じる人は、能動的かつ、何からでも面白さを見つけられる。

前者は、何が起きたかを見る。

後者は、なぜ起きたかを見る。

前者は完成品を見る。

後者は制作過程を見る。

前者は結果を見る。

後者は変化を見る。

どちらが正しいという話ではない。

ただ一つ言えることがある。

もし現実が退屈に見えるなら、出来事を見るのをやめて、因果関係を見る。

結果を見るのをやめて、変化を見る。

そうすると、同じ世界なのに、急に少しだけ情報量が増える。

現実が面白いと言う人達は、特別な世界に住んでいるわけでも、全員が全員成功したり、幸せと言う事でも、恐らくない。

同じ世界を見ながら、見方が少し違うだけなのかもしれない。

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