コラム

文明が成熟するほど、「愚かでいる自由」は少しずつ減っていくと言う話

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社会が賢くなるほど、あらゆる事が窮屈になる

文明が発展すると、人は利便性を手に入れ、どんどん自由になる。

そう言われることが多い。

実際、それは間違っていない。

  • 飢餓は減る。
  • 医療は進歩し寿命が延びて時間も増える。
  • 法律は整備され理不尽は減る。
  • 技術は便利になり時短が手に入る。

昔より圧倒的に自由は増えた。

それは正しい。

しかし一方で、別の自由は少しずつ減っているようにも見える。

それは、「愚かでいる自由」である。

「そんな物は無い」「知らなかった」が通用した時代

文明が未熟な頃は、誰も正解を知らなかった。

例えば、

  • 病気の原因。
  • 衛生管理。
  • 栄養学。
  • 交通ルール。
  • 災害対策。
  • 情報管理。
  • 電話やメールやSNS。

どれも試行錯誤だった。

だから失敗しても、「仕方ない」で済むことが多かった。

社会全体が、対象に対して初心者だったのである。

正解が共有されると、失敗の意味が変わる

しかし、一度社会が学習すると状況が変わる。

例えば、

  • シートベルト。
  • 飲酒運転。
  • 手洗い。
  • 食品衛生。
  • 個人情報管理。
  • コンプラ。

今では、「知らなかった」では済まされないことが増えた。

ホワイト化社会は良い面もあるが、その逆も、恐らくある。

なぜか。

社会全体が、「その失敗はもう経験済み」だからである。

つまり、新しい失敗ではなく、昔やった失敗の再実行になる。

それを社会は、とても嫌がる。

車輪を再発明する自由

有名な言葉に、「車輪の再発明」というものがある。

既に存在するものを知らず、最初から作り直してしまうこと、である。

もちろん学習目的や、練習でなら、大きな意味と価値がある。

しかし社会全体で見ると、既に答えがある問題へ何度も時間を使うことになる。

文明とは、過去の失敗を共有財産にする仕組みとも言える。

法律一つとっても、膨大な血を流しながら今の形になっている。

だから社会は、「またそこからやるの?」という反応を示すようになる。

文明とは「全体が覚えていること」が増えること

文明が進歩するということは、全体の知識が増えることだけではない。

全体の失敗の記録が増えることである。

つまり、出来ること、やらなければいけないことだけでなく、やってはいけないことも増えていく。

例えば、

  • 危険な薬品の扱い。
  • 火災対策。
  • 航空事故。
  • 医療事故。
  • 建築基準。
  • 金融制度。

その一つ一つが、誰かの大きな失敗の上に作られている。

だから社会は、共有済みの同じ失敗に対して厳しくなる。

「愚か」が許される範囲は縮小する

例えば昔なら、「衛生管理なんて気にしない」でも生活できた地域があった。

しかし現代の食品工場でそれをやれば、営業停止になる。

よく、生肉を出すレストランがSNSで大炎上する。

昔なら、「飲酒して少し運転する」も珍しくなかった。

今では重大な違法行為である。

許されない悪だ。

昔なら、「パスワードは1234」で「パソコンにテプラで貼る」でも問題にならなかった。

今では危機管理能力を疑われる。

これは文明が、集団が、何かに対し厳しくなったというのと同時に、社会が失敗を学習した結果なのである。

便利さには責任が付いてくる

文明は便利さをくれる。

しかし同時に、その便利さを維持する責任も生まれる。

  • 電気がある。
  • インターネットがある。
  • 水道が使える。
  • 飛行機に誰でも乗れる。

これらは全て、大量の知識とルールの上に成立している。

だから参加者にも、最低限の理解が求められる。

文明が高度になるほど、使用者に求められる必要な知識も増えていく。

窮屈になる理由

だから現代人は時々、「昔の方が自由だった」と感じる。

実際には、多くの事で別に自由が減ったわけではない。正確には、守るべき前提知識が増えたのである。

まあ、広い世界が早く安く、飛行機でインターネットでとあらゆる物が繋がった事で、近く狭くなり、待ち時間によって発生していた自由時間が減ったのも事実ではあるが、トータルでは自由は増えている。

例えば、

  • 個人情報。
  • 著作権。
  • 感染症対策。
  • コンプライアンス。
  • 情報セキュリティ。

どれも昔は、今ほどハッキリとは存在しなかった、

あるいは意識されていなかった。

しかし社会全体が失敗を経験した結果、共通ルールになった。

つまり、文明は自由を増やしながら、同時に「当時は知らなくていいことだった」を減らしている。

知る事が増え続ければ、いつかそれを完璧に守れなくなる時も来るかもしれない。

未来ではさらに増えるかもしれない

この流れは終わらないだろう。

例えば、

  • AI。
  • 遺伝子編集。
  • 量子技術。
  • 宇宙開発。

これらが一般化すれば、今は専門家しか知らない知識が、一般常識になる可能性が大いにある。

すると未来の人から見れば、現代人の常識不足は、私たちが昔の衛生観念を見るようなものになるかもしれない。

「あいつ、AIをあんなふうに使ってる。AIの権利無視とか野っ蛮~」みたいに。

文明は「賢さとの共生」を求める

ここで勘違いしてはいけないことがある。

これは、全員が天才になれ、とか賢く、優秀たれ、という話ではない。

社会が求めるのは、全てを知っていて守れる人ではなく、既に社会が学び終えたことを尊重できる人である。

自分でゼロから全てを発見する必要はない。

時には愚かな失敗もあるだろう。

しかし、先人が何百万回も試行錯誤して得た結論を、毎回ゼロから疑い続ける社会は、非常に効率が悪い。

文明とは、他人の成功だけでなく、失敗をも借りられる仕組みなのである。

最後に

文明が成熟するほど、人間は自由になる。

しかし同時に、愚かでいる自由は少しずつ減っていく。

だが、人間は、必ず何かしらの点で愚かである。

すると、全員が愚かな点で、昔よりも息苦しさを感じる事になる。

それは、社会が意地悪になったからではない。

何世代にもわたって積み重ねた失敗が、共通の知識になったからである。

過去には未知だったものが、現在では常識になる。

そして一度常識になったものは、「知らなかった」では、もはや済まされにくくなる。

なぜ、事前に調べなかった? とGoogleのせいで、誰もが言える。

想像力が及ばなかった事を、立場的に想像しなければならなかったと時には逮捕される事もある。

文明とは、新しい知識を増やす営みであると同時に、「もう繰り返さなくていい失敗」を増やしていく営みでもある。

だから文明が進歩するほど、人はより多くの賢さと寄り添うことを求められる。

それは、とても窮屈かもしれない。

しかし、その窮屈さの多くは、過去の誰かが高い代償を払って残してくれた「失敗しなくても済む自由」の裏返しなのである。

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