創作論

【創作論】自発的な創作活動が出来ないクリエイター希望者に対して「行動しろ」は間違っているのかと言う話?

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どういう場合に、どういう選択が正しいか?

文月いつか氏の

と言う内容の書き込みを見かけた。

「クリエイターになりたいなら行動しろ」と言う「とりあえずやれよ」と言う発信は気配りが足りなく、言う人と言われる人によっては何も言わずに離れる方が良い事もあると言う旨の発信だ。

コメント欄を見ると「せやな」って人と「そうか?」って人が当然いて、自分でも考えてみたが「せやな」って部分と「そうか?」って部分と「あれ?」があり、その辺を整理がてら、「どういう場合に、どういう選択が正しそうなのか?」を書き散らす。

尚、この文章は私的な考えや文章への整理が主であり、文月氏に対して賛成・反対・意見の他に誹謗中傷をする様な意図は一切無い。

記事はnoteの方にもあるので、どうぞ。

https://note.com/monogatarukoubou/n/n8e5246310a15?sub_rt=share_pb

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「クリエイターになりたいなら行動しろ」の是非

まず「行動しろ」は、そりゃ正しい。

結局、それしか無いぐらい真理だ。

では、この正しさにどんな気配りが足りず、優しくない、あるいは残酷であるかだ。

まず「行動しろ」は、行動の内容の具体性が無い。

つまり、自分で考えて行動しなさい、と言う事である。

自分で考えて行動する場合、正解が分からないで行動するので、正しい行動なのか間違った行動なのか、行動が効率的なのか非効率的なのかは、人それぞれだ。

そこで教室、教科書、教師、等に頼る人もいれば、自己流で思いのまま行動する人もいるだろう。

そこは、考え方や使えるリソース次第だ。

「行動しろ」が不親切であるとする場合は、言葉そのままに取ると苦労する事が確実と言う点は、確かにあるかもしれない。

次に、書き込みの中でも触れられていた、個人個人の状況や条件の違いだ。

まさに、この状況や条件の違いによっては「行動しろ」は、スマートに行動するか、泥臭く行動するか、それ以外に行動の仕方が分からず途方に暮れるや、行動が出来ない、なんて事もあり得る。

個人によって違ってくるので、そこを「行動しろ」だけだと、行動に移せない人達は、スタートラインにさえ立てない。

では、そう言う人達が行動を起こせる様な言葉は無いかと言うと、まさしく個人によって欲しい、必要な言葉は違っていて「行動しろ」と言う、普遍的真理で動けないなら、言葉をオーダーメイドしてまで行動させる必要が出てくる。

それが出来ないなら、言葉をかけずに無言で離れるのも傷付けない意味では優しさと言う内容だが、それはそうかもしれないが、傷付けない意味では優しいが、当事者が行動していない事と行動を起こさないとクリエイターになれない事実は揺らがない意味で、問題は何も解決していない。

現実問題として何でも解決出来る訳では無いとして、行動を起こせる土台が無いので行動を起こせと言う言葉で傷付く人の為に出来る事は、誰も傷付かない為には言葉をかけない事なのだろうか?

誰も傷付けないと言う心地良い世界を手に入れる目的の為に、距離を取ると言うのは正解だと思うが、行動を起こせる土台が無く行動を起こせと言う言葉で傷付く人に本当に必要なのは、オーダーメイドされた言葉だ。

だが、オーダーメイドされた言葉を「行動しろ」で傷付く様な人の為に一々全部を用意する事は、現実問題としてコストがかかり過ぎる。

だからこその、不可能だから距離を取ると言う妥協を選んでいるとは思うのだが、誰も傷付かないからと言って、その選択が優しいかと言うと、ここで疑問符が浮かんでくる。

極端な話、オーダーメイドされた言葉をかけるほどの関係性も労力をかける価値も無い人は、勝手に苦しんでくれとも見える。

確かに「行動しろ」で行動出来ない人に「行動しろ」と言うのは、無駄かもしれないし、相手が傷付くだけかもしれない。

だが「行動しろ」で行動出来ない人を無言で放置するのは、関係を根元で断って、見てない所で勝手に苦しめと言うスタンスなのでは無いだろうか?

だって「行動しろ」で行動出来る人も、言われなくても行動出来る人は、いずれにしても行動しろで傷付かないし、前に進める。

「行動しろ」で行動出来ない人は、言われても、言われなくても、行動していないので、夢に囚われているが前に進まない状態のままで、水に浸かっているが泳げない様な物であって、大なり小なり苦しんでいる筈だ。

泳げない人に泳げと言うのは残酷だ、だから泳げない人には勝手に溺れて貰うと言うのは、泳げと言われて傷付く部分を減らした分だけ、本当に優しい選択なのだろうか?

泳げない人に「泳げ」と言うのは、一見すると残酷かもしれないが、それでようやく泳げない人が判明するわけで、つまり「泳げ」と言う事で判明した泳げない人を救うには、泳げと言うのが一番手っ取り早いとも考えられる。

ならば、本当の優しさは「行動しろ」と言って、行動出来ない人をふるいにかけ、行動出来ない人に対して、行動の仕方を教える様な流れを作った方が、まだ救われる人が発生する可能性が高まる分だけ、確率と結果論的には、幾分か優しくなる様に思える。

誰が何を言っても促しても導いても、結局、能動的に行動出来ない質の人は、クリエイターになって創作活動をしたいのではなく、クリエイターの立場が欲しい場合が殆どなので、そうであっても行動出来るモチベーションをどうにか持てないなら、行動させる事は、そもそも難しい。

そう言う人は、無理にクリエイターに憧れないで、質に合う事を探した方が良いだろう。

誰が言うか問題

書き込みの主は、大物なら言って良いが、そうじゃ無いなら言わない方が良い、的な考えらしい。

いわゆる「誰が言うか問題」は、確かにある。

それは、内容の成否ではなく、聞く側がいかに聞きやすい、聞き入れやすいかによって、言葉の重みや意味や価値が変わってくるからだ。

金儲けの仕方を、ホームレスが言うのとイーロン・マスクが言うのでは、全く同じ内容でも色々変わってくると言う事だ。

だが、私は「誰が言うか問題」に関しては、気持ちは分かるが、「言って価値が出る立場の人以外は発言しない方が良い」と言うのは、それはそれでどうかと思っている。

大物が言うべき事を、小物が言っても良いのでは無いだろうか?

門外漢が言っても別に全然構わないと思えてならない。

当然「お前が言うな」と言う言葉が飛んできたり、ブーメランする人もいるだろうが、それを許さないとか、推奨しないよりは、それさえも許される一見すると混沌とした世界の方が自然な気がする。

イーロン・マスクの受け売りをホームレスが自分の言葉みたいに語ったって面白いし、ガンジーの言葉を独裁者が言ったって別に良いのでは無いか。

恐らく本当に大事なのは、受け取り手のスタンスの方だ。

大物に言ってもらわないと響かない人にとって、小物の意見は全部ノイズだろう。

だが、言説の内容の是非を考えたり問える人であれば、どこぞの誰か分からない人の言葉からも何かしらすくい上げられる筈だ。

確かに、一番言って効果や影響がある人の言葉が一番響くし心地良いのは分かるし、だからこそ誰が言うかをこだわれるなら、こだわった方が良いのも分かる。

だが、だからと言って「中堅とかそれ以下の人がツイッターでアマチュア見下して言う」と言う受け取り方は、そう言う人もいるかもしれないし、実際に見て嫌な気分になったのかもだが、大半の善良な中堅なり新人は、アマチュアに対して「自分はこうしたよ」と言っているだけで、大物ほどの影響力や実感が無くても、正しい事を伝えたい人が大半に思える。

言い方と、言わなくて良い事は言わないと、見えない人々問題

世の中、余計な一言、言葉選びは、確かにある。

チクリと攻撃したり、デリカシーを欠いて地雷を踏み抜いたり、場を白けさせたり。

だが「行動しろ」は、そもそも余計な一言なのだろうか?

「お前クリエイターになりたいくせになんで行動しないの?」的な言い方、書き方のニュアンスが気に入らないのであれば、実は気になっている部分は、言い方と言う話になってくる。

仮に「クリエイターになりたいと言う事ですね。それでは、あなたは今、どんな創作活動をされているでしょうか? まだの場合、何か気になったり分からなくて行動に移せない事があるでしょうか?」と言った様な優しい書き方なら、要約「なにか行動してないの?」に問題はあるのだろうか?

「行動しろ」は、かなり普遍的な真理なので「今、こんな(余計な事を)やってます」でも無い限りは「行動するな」は、そうそう発生しない。

つまり、「違和感感じてた中でようやく納得できる言説を聞いた気がする」としているが、気になっている点が根本的にズレているわけだ。

「行動しろ」に対して「無言」が優しさなのでは? とまとめているが、肝心の部分は、大物が言うのは良いが、そうで無いなら言葉選びに気をつけろと言う事になっていて、優しい言い方が出来ないのは恥ずかしいと言う結論となっている部分がある。

つまり「行動しろ」の真理云々ではなく、優しく言えないなら言わない方が良いが、言わない人は見えないから、表からは「行動しろ」と言った人しか見えないので、無言の優しい人達がいる事を、叫んでいると言えるわけだ。

この書き込みが賛否を呼んでいるのは、優しく言っている中堅から小物を、何故か切り捨てる様な書き方をしてしまっている所が一点あるかもしれない。

大物に言われないと言葉が響かないと言うのは、まあ、その人の感覚なので何とも言えないが。

自発的な創作活動が出来ないクリエイター希望者に対して「行動しろ」は間違っているのか?

で、間違っているのか?

結論を書けば、言い方や言う人によって効果に差はあるが、別に間違っていないと考えられる。

行動しない事にはクリエイションしようがないし、行動してないが「行動しろ」で行動出来るなら言われた方が良く、言われても行動出来ない人は言われるまで言われても行動出来ないと分からない。

ただ、大半のクリエイターは、自発的に行動している点で、どんな立場になるかによっても違うが(趣味、プロ、等)行動しろと言われて行動出来ない人でも同じ土俵で競う事になると言う事は、分かった上でクリエイターを目指すかどうかを自分で選ぶ事は大事だろう。

作りたくて作っちゃう人と、どう行動すれば良いか何故作るのかを延々と悩み探す人では、スタンスが違ってくる。

当然、作りたくて作っちゃう人の方が総行動量が多くなり、上達も早く、その点では圧倒的に有利だ。

その点で不利でも「それでも作りたい物がある」と言うモチベーションがあれば良いし、作ってみれば楽しいとか、作った物を喜んでもらえて嬉しいであれば良いが、神絵師や一線級のプロになってチヤホヤされたいと言うモチベーションだけで作りたくない物を作り続けるのは、かなりの工夫が必要となる。

何は無くても行動しないと作品は完成しないし、アイディアも浮かばない。

だから、まずは「行動しろ」に向き合うしかない。

そこで行動出来なければ、どうすれば行動出来るかを探す他に無い。

何から始めれば良いか、何をしないといけないか、何が効率的か、そこに必要な物は個人に寄って違ってくる。

自分に合った「これで行動出来る」と言う物を探さないと、いつまで経っても行動出来ない。

それを一人で探せないなら、探してくれる仲間でも先生でも、引っ張ってくれる誰かでも探すか、なら一人の方がマシと探し回るっきゃない。

この創作活動を行動に移す為の前段階を完了させる事もまた、行動すると言う事だったりする。

例えば、良いマシンが無いと創作活動出来ない(気がする)人は、形から入る為にも買っちゃう事だ。

実際は、良いマシンやツールを揃えても、だからと言って行動出来ないパターンが多いが、それでも手軽な所からでも行動した事を創作活動的な観点から褒めて行こう。

道具が揃い、時間も作り、後は作るだけだ。

逃げ場が無くなれば、どうにか作ろうと行動せざるを得ない人も出てくる。

大半の人は、ここで長く続かないが、それは合わないやり方や難しい事を最初からしようと思って楽しい創作に届かないからだ。

まずは、創作の楽しいパートを行動しよう。

創作活動が楽しいと身体が分かれば、行動に移すまでのハードルを下げて行けば、日常的に創作活動出来る環境を作っていく事も十分出来る。

仮に、頭からお尻まで行動し完成させても楽しく無かったら、その創作活動は合っていなかったか、テーマやモチーフ選びを失敗しているかもしれない。

創作活動は、楽しいし気持ち良いパートがある物だ(当然、楽しくない、面倒臭い、パートも沢山ある)。

行動出来ないなら、どうすれば行動出来るかを探っていこう。

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