人類は「引用」で共同体を作る
インターネットを見ていると、たまに思う。
「これ、宗教と何が違うんだ?」
もちろん、ここで言う宗教は馬鹿にしているわけではない。
むしろ逆で、人間という生き物が、どれだけ「同じ構造」を何度も繰り返すか、という話である。
例えば、
- 野獣先輩ミーム
- アニメの名台詞
- 名著の引用
- 推し文化
- 哲学語り
- 聖書や経典
- 偉人の格言
これら、一見バラバラに見える。
MECEが揃っていない。
でも切り方次第では、構造レベルまで解体すると、かなり似ている。
そして、その「似てしまう理由」には、人間そのものの性質が見えてくる。
記事はnoteの方にもあるので、どうぞ。
https://note.com/monogatarukoubou/n/na51a9f439047?sub_rt=share_pb
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「例のアレ」で会話が成立する時点で、かなり特殊
まず冷静に考えてほしい。
ネットには、
「まずうちさぁ……」
「やりますねぇ!」
「24歳、学生です」
「暴れんなよ……暴れんな……」
みたいな、文脈を知らないと意味不明な言葉が大量に存在する。
にもかかわらず、知っている人同士だと会話が成立する。
私は、原典や原作を知らないが、ミームでだけ馴染みがある言葉が沢山ある。
なにそれこわ。
これ、かなり奇妙である。
普通、言葉は意味伝達のためにある。
だがミーム会話は違う。
むしろ、「あなたもこの文脈を共有していますか?」の確認装置になっている。
つまり情報伝達というより、所属確認とか、密かな内輪ネタである。
宗教の祈りや経典引用も、かなり近い?
例えば宗教にも、
- 定型句
- 祈り
- 聖典引用
- 有名な逸話
- 教祖の言葉
等がある。
そして重要なのは、その内容そのもの以上に、
「それを知っている」
「その文脈を共有している」
ことが共同体形成に使われる点だ。
つまり、
「アーメン」
と、
「○○は神」
と、
「その術は俺に効く」
は、機能としては結構近い。
もちろん歴史的重みも社会的役割も機能も全然違う。
そこを雑に同一視するのは乱暴である。
ただ、人間がどうやって仲間認識をするか、という構造を見ると、驚くほど似ている。
推し文化は最新宗教
現代オタク文化では、
- 推しカラー
- 推し活
- 聖地巡礼
- グッズ祭壇
- 誕生日祝い
- 布教
- 解釈一致
- 解釈違い
みたいな概念が普通に存在する。
これ、かなり宗教的儀式構造に近い。
特に、聖地巡礼は、名前の時点でもう半分答えが出ている。
もちろん、オタク本人も半分ネタで言っている。
だが重要なのは、「冗談で言ってるのに、構造は本物」という点だ。
人間は昔から、
- 共通神話
- 共通象徴
- 共通言語
で集団を作ってきた。
インターネットは、その速度を異常加速させただけである。
これらは、神話の中で生きているのと同義だ。
名言集が好きな人
人類は昔から、短くて強そうな言葉が大好きである。
- ニーチェ
- 孫子
- アインシュタイン
- スティーブ・ジョブズ
- 孔子
等の名言は無限に擦られる。
しかも、面白いのは「実は、本人そんな事言ってない」率がかなり高い。
だが、それでも流通する。
浸透する。
そして訂正されない。
なぜか。
人間は、文脈ではなく、象徴を消費するからだ。
つまり、「ニーチェが言ってそう」が重要であり、実際に言ったかは二の次になる。
これ、野獣先輩語録の改変コラと構造がかなり近い。
ビリー・へリントン兄貴とかもね。
ミームは「現代の民間伝承」
ネットミームは、しばしば低俗扱いされる。
確かに低俗な物も多い。
ただ、文化構造として見ると、かなり興味深い。
例えば昔話も、
- 改変される
- 地域差がある
- 誰が原型かわからない
- 誤引用される
- 意味が変質する
という特徴を持つ。
つまり、ネットミームは、超高速化した民間伝承に近い。
しかも現代では、それが数日単位で生成と風化を繰り返す。
昔なら数百年かかった文化変異を、現代人は72時間くらいでやっている可能性がある。
大量消費文化である。
「理解している者同士」の快感
ここが、人間の本質かもしれない。
人間は、同じ文脈を共有していることに快感を覚える。
だから、
- 内輪ネタ
- 業界用語
- オタク会話
- ミーム返し
は気持ち良い。
これは、「仲間認識」だからだ。
逆に知らない人には意味不明。
宗教儀式も、専門コミュニティも、古典文学引用も、同じ構造を持つ。
つまり人類は昔から、引用による共同体形成をずっとやっている。
高貴か低俗か、残るか消費するか、違いはあっても構造はほぼ同じだ。
ただし、危険性も同じ
構造が似ているという事は、危険性も似る。
例えば、
- 文脈を知らない者への攻撃性
- 解釈違い戦争
- 教義化
- 権威化
- 異端認定
- 内輪化
- 空気圧力
などだ。
争いの種になる。
これは宗教だけの話ではない。
オタク界隈でも、SNSでも、ミーム文化でも普通に起きる。
人間は、共通言語を作ると同時に、境界線も作っている。
つまり共同体とは、仲間を増やす装置であると同時に、外部を発生させる装置でもある。
「ネタだから」で済まない理由
ネットではよく、「冗談だから」的状況が発生する。
実際、その通りの場合も多い。
ただ、人間は冗談だけでは、ここまで熱量を維持できない。
- 毎日語る
- 金を使う
- 儀式化する
- 派閥化する
- 人間関係まで変わる
ここまで来ると、ただのネタではなくなってくる。
つまり人間は、遊びながら信仰している。
そして、ネタがネタでなくなり、ネタが通じない所でもネタを考え、漏れだす様になってしまうと、外部から見ても笑えなくなる事がある。
例えば、聖地巡礼で立ち入り禁止地域に行ってしまうみたいな人は、実際多い。
おわりに
人類は「引用」で群れる生き物だ。
野獣先輩ミームと、名著引用。
推し文化と、宗教。
他にも、沢山ある。
もちろん全部同じではない。
歴史も、重みも、社会的意味も違う。
ただ、人間がどう共同体を作るか、という構造を見ると、かなり近い。
人は、
- 共通言語
- 共通象徴
- 共通ネタ
- 共通神話
を共有すると、仲間になった気分になる。
そしてその過程で、
- 教義
- 儀式
- 異端
- 聖地
- 引用文化
まで発生する。
つまり人類は、思った以上に昔から変わっていない。
インターネットで高速化しただけで、やっている事の根本は、「お前もこのネタ分かるか?」なのである。
そして、そのネタは、二ッチだったり、人を選ぶ内容ほど、強い仲間意識を作る。
理解出来ている事が、なぜか格好良くさえ思えてくる。
人は、ずっと変わらない。
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