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ある種、食物連鎖の世界
インターネットを見ていると、たまに発生する。
「それ、○○も読んでないのに語ってるの?」とか、「原典当たってないのに、その解釈は浅い」とか、「入門書レベルで止まってるね」みたいなやつ。
いや、学校や職場でだって発生し得る。
いわゆる教養マウント。
しかし、教養マウントを取っている側も、さらに上位存在から普通に狩られる。
そうだ。
最上位以外は、全員が狩られる側でもあるのだ。
教養マウントは「知識」ではなく「序列確認」
教養マウントとは、単なる知識の自慢や披露ではない。
本質は、「誰が上流にいるか」の確認である。
つまり、
- どこまで知ってる?
- 原典読んだ?
- 言語読める?
- 当時の文脈は?
- 研究史は?
- 異説は?
という、知識による階級判定が発生している。
そして恐ろしいのは、頂上以外には常に上が存在することである。
「ニーチェ読んだ」は、入口でしかない
例えば誰かが、「ニーチェって、神は死んだの人でしょ?」と言ったとする。
すると現れる。
「いや、神は死んだ、は文脈が重要で」
そこに、さらに現れる。
「その訳は誤訳寄りで、原語だとニュアンスが」
まだ、さらに現れる。
「後期と前期で思想変遷があり」
まだまだ、さらに現れる。
「そもそもハイデガー解釈以降で読むと」
もういいよってぐらい、さらに現れる。
「ニーチェ研究は90年代以降かなり変わっていて」
ガチの研究者が最新の話でもしない限り、マウントは延々と上乗せされる。
オタク界隈も同じ
これは哲学だけではない。
例えばアニメ。
ライト層が「この作品面白い!」となっていると、中級者が「原作だとここカットされてて」と出てきて、上級者が「ドラマCD版との対比が」と加わり、古参が「初期設定資料集読むと違って」と来て、マニアが「監督の過去作品文脈を踏まえると」とすり寄ってくる。
こうなると、もはや作品その物を観ているのではなく、作品を取り巻く情報圏を摂取している状態になってくる事もある。
教養マウントは「知識量」ではなく「比較対象」で決まる?
人は絶対値ではなく、相対値で優越感を得る。
つまり、
- 高校世界史で無双する大学生
- 大学教養で無双する院生
- 院生を黙らせる専門研究者
- 研究者を黙らせる現地一次資料勢
みたいな、終わらない食物連鎖がある。
そして全員、別界隈へ行くと初心者だ。
哲学怪物も、数学科に放り込まれると、「位相空間って何ですか?」になる。
「原典主義」の恐怖
教養マウントでよく出るのが、原典読め問題。
これは実際、一定の合理性がある。
なぜなら、
- 要約は削られる
- 翻訳は解釈が混ざる
- 二次解説は簡略化される
からだ。
ただ、これが加速すると、
「ギリシャ語読めます?」
「ラテン語原文は?」
「写本差異は?」
になっていく。
教養マウントは、しばしば「防御」でもある
なぜ人は教養マウントを取るのか。
単なる承認欲求もあるが、実は、「自分が積み上げた時間を軽視されたくない」という防御反応も大きいと思う。
例えば、十年研究した人からすると、「YouTubeで見ました!」だけで同列に語られると、モヤる人もいるだろう。
これはある意味当然。
問題は、そこから「知らない奴は喋るな」に進化すると、界隈が死ぬ。
入口は入りやすい必要がある。
上位存在ほど、無駄なマウントをしない
知識界隈、中途半端な層ほど攻撃的になりやすい。
なぜか。
自分の優位性が不安定だから、と考えられる。
逆に、本当に化け物レベルになると、「まあ色んな説ありますね」みたいになってくる。
なぜなら、知れば知るほど、単純断定できなくなるからだ。
つまり、初心者「わからん」中級者「全部わかった!」上級者「いや全然わからん……」に自然となる。
知識量と断定力が、逆転し始める。
教養マウントは、実は娯楽性が高い
人類、知識バトルが好きすぎる。
例えば、
- 出典バトル
- 年代バトル
- 解釈違い
- 誤読指摘
- 誤訳指摘
- 「それは○○派ですね」
など。
もはやゲーム。
しかも厄介なのは、外野から見ると結構面白いこと。
レスバ観戦文化が成立する理由でもある。
人間、権威と知識の衝突を見るのが好き。
古代ギリシャからずっとそう。
最終的に残るのは「態度」
知識量そのものには、ほぼ終わりがない。
つまり、マウント合戦だけすると、ほぼ永久に上位存在が出てくる。
すると最終的に重要になるのは、実は知識量より、
- 誠実さ
- 出典確認
- 保留できる能力
- 間違いを認める能力
- 不確実性への耐性
だったりする。
だが悲しい事に、これらはあまり派手ではない。
SNS映えもしない。
「実は諸説あります」
は、
「それ浅いよ」
より伸びない。
インターネットは、断定の方が強い。
インターネットが悪い。
まとめ
知識界の頂上には、すごくて変な奴がいる。
教養マウントは、知識そのものというより、序列ゲームに近い。
そしてこのゲーム、上には上が無限にいる。
- 原典勢
- 多言語勢
- 一次資料勢
- 専門研究者
- 現地調査勢
- 当事者
- その分野を作った側
など、どこまで行っても終わらない。
そして面白いのは、上へ行くほど、逆に断定しなくなる人が増えること。
知識が増えるほど、世界は単純ではなくなるから。
つまり教養マウントの世界とは、
「知れば知るほど、自分よりヤバい奴が見えてくる世界」
なのである。



