コラム

成功者ゆえの失敗への考察

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

成功者だからこそ陥る罠

一度、大ヒット作を生み出した人が、毎度大ヒットを飛ばす事は難しい。

とは言え、大ヒットを生み出す感覚を持つ人は、一度も産み出した事が無い人に比べればヒットを生み出すセンスが磨かれており、高い確率でヒットを生み出す事が出来る。

大ヒットを飛ばし続けて見える人もいれば、大ヒットの後にヒット作に恵まれないがコンスタントにヒット作を生み出す人もいるし、大ヒットの後に駄作を産み出してしまう人も存在する。

そんな時、大ヒットを飛ばした後に生み出される失敗作の中には「成功者だからこその失敗」をする事例が見られる事がある。

成功しないと出来ないとは贅沢な失敗だが、今回は、そんな失敗について紹介と考察をしていく。

あえて基本を疎かに……

成功を経験すると、自分が凄いと人は感じられる事がある。

そんな時、物事の基本を無視しても、自分なら大丈夫と錯覚する事がある。

例えば、物語なら、パラダイムは基本だが、成功作ではパラダイムに従っていたのに、次回作でパラダイムに従わずに作って大失敗なんて事は珍しくない。

自分の人気を過大評価?

大成功すると、人は人気者になる。

すると、みんなは自分の事が好きでファンになっていると勘違いする事もある。

作者のファンもそりゃいるだろうが、大半の人は、大成功作ありきのファンである。

そんな時、全然テイストが違う作品を作ったり、ファンの大半が求める作者の癖やセンスとは外れた作品を作ると、総スカンを喰らう事がある。

やっと本当にやりたい事が出来ると思ったら……

商業創作の世界では「本当に自分のやりたい事は、売れてからやりなさい」と言う教えがある。

だが実際は、一度大ヒットで売れたからと言って、やりたい事をやりたい放題出来る人は、かなり限られる。

やりたい放題するチャンスは得られるかもしれないが、やりたい放題やってヒットを飛ばすのは、難しい。

創作とは、見る人ありきであり、それは商業の世界では特にそうだ。

要は、見る人に楽しんで貰うとか、考えて貰うとか、喜んで貰うと言った、受け取りやすい形での価値を創出が肝にある。

これが、人によっては、自分の本当にやりたい事に、他人への価値が薄く、本当に自分がやりたいだけの人がいる。

そうすると、やりたい事をやった物を見た人達は「……これって、オナニーを見せられてる、ってこと!?」と、渋い評価を下す事になりがちだ。

再生産と言うマンネリ……

大ヒット作を生み出すと言う事は、自分の物と言えるヒットのパターンを手に入れたと言う事に他ならない。

そこを分かっている人は、大勢の人に求められる大ヒットパターンにマッチした作品を作り続ける。

しかし、そこに罠があり、大ヒットパターンは、多彩な変化が無いと、すぐに飽きられてしまう。

マンネリ化が起きたら、別のバリエーションやパターンを探せば良いのだが、大ヒットパターンに、成功体験に固執してしまうと、「これで上手く行ったのに」ともはや古いパターンで作品を焼き直す悲しきロボットになる事がある。

人々が求めるのは、いつだって「前と違うけど、いつもの」であり、この「いつもの」は、マンネリではなく「そうそう、こういうので良いんだよ」と言う王道である。

お約束や積み重ねをぶっ壊~す!

人は大きな事をやりたいと思うと、過去へのリスペクトを忘れてしまう事がある。

中でも最悪なのは、他人が積み重ねた歴史を破壊する行為だ。

上記した、再生産やマンネリを避けての選択が殆どなのだが、壊した末に作者の新たな自分色を入れた作品は別物となり、過去作へのリスペクトを求める人々からは、滅茶苦茶に嫌われる。

高尚で崇高な事をしたいいいいいっ!!!

意識が高い事は良いが、意識が高すぎたり、意識が高い事が本体となると話が変わってくる。

ポリティカルコレクトネス、フェミニズム、LGBTQ+、性差別や人種差別反対、こう言ったメッセージを前面に押し出した作品は、特有の臭みを持つ。

本来、エンタメとして人を楽しませようと言う人が、隠しもせずに「私が正しい事を教えてあげよう」と鼻持ちならない押し付けがましい態度を取って近づいて来たら、大半の人は嫌な顔をしながらもチャンスを一度は与えるか、あるいはすぐに逃げてしまう。

高尚で崇高なテーマやメッセージで作品を作る姿勢は構わないが、人を楽しませる本分よりも優先させるのは創作姿勢としては間違っている。

金をかければ、もっと面白くなる!

金をかければ、もっと面白くなる筈と言うのは、正しいが、間違ってもいる。

金をかければこそ出来る表現や価値はいくらでもある。

だが、金をかければかけただけ面白くなるかと言うと、そんな事は無い。

お金は、沢山かけられた方が有利だが、多くの面白さの肝は、意外と低コストで実現出来たりする。

例えば、物語は、小説や脚本と言った形で作品のコアの部分になったりするが、その面白さは活字でも維持されるぐらいにコストが低くても維持される事が多い。

昔から金がかかるのは、見た目を整えるのに関わる領域だ。

見た目が良ければ、それだけで価値がある様に見えるが、見た目だけでは、大きな価値は生み出せない。

つまり、金をかければ上手く行くかの成否を分けるのは、金をかけずに磨きやすい芯の部分の出来にかかってくると言うわけだ。

しかし、昨今は手軽に、金さえかければ見た目を整える事が出来る様になり、興行的には見た目さえ整っていれば表面的や金銭的には成功出来るので、芯に必要なコンセプトやテーマやメッセージ、物語や脚本やシナリオと言った部分が疎かな作品も昔と変わらずに作られ続けている。

上記した基本を疎かにとも被る失敗である。

エンターテイナーじゃなくてアーティストになりたい!

エンタメ系で大ヒットを飛ばした人が、アート系に転向すると、ファンの多くがふるいにかけられがちだ。

そして、アート系に行きたい理由が前向きな自己表現であれば良いが、後ろ向きなエンタメへの抵抗である場合、作品は歪みを持って完成する事は少なくない。

エンタメよりアートは別に崇高な物では無いし、アートよりエンタメがと言う事も無く、これらは対象やスタンスが違うだけの対等の物だ。

※この記事は、追記・編集していく予定です。

偉くなったと勘違い

大ヒット作に恵まれると、多くの人は天狗になる。

浮かれるぐらいなら可愛い物だが、中には、自分が偉くなったと勘違いする人がいる。

SNSでポジショントークしてみたり、上から目線で意見を言ったりぐらいなら、まだまだ可愛く、ヤバくなると差別や思想的な発信を始めてしまい、ファンに「黙ってれば良いクリエイターなのに」と思われる事も。

とは言え、今の時代クリエイター自らSNSで発信する事は珍しく無く、上手く使えばファンや他のクリエイターとの間に絆を形成する事も出来る。

要は、一時の高揚感に任せて普段言わない事を語り始めると、表に出してはいけない、表に出さない方が良かった部分まで晒してしまうリスクがあると言う事だ。

自作のテイストを他作に

他人の作品に関わる時は、他人の作品テイストを尊重し、リスペクトを持つ必要がある。

残すべき所を残す事が、一貫性の維持には重要なのだ。

そこで、下手に自作の大ヒット作のテイストを他作に組み込むと、他作に関わった意味が薄くなる事がある。

自分の持つ成功にしがみ付く事は正しいのだが、ここで主となるべきは、関わる他作の方が良い。

結果的に、お約束や積み重ねを壊してしまっては、作品についたファンが困惑してしまう。

1回のみ
毎月
毎年

Make a one-time donation

Make a monthly donation

Make a yearly donation

Choose an amount

¥500
¥1,500
¥10,000
¥500
¥1,500
¥10,000
¥500
¥1,500
¥10,000

Or enter a custom amount

¥

Your contribution is appreciated.

Your contribution is appreciated.

Your contribution is appreciated.

DonateDonate monthlyDonate yearly

物語る工房をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む