大きく儲ける為には、何かしらの悪徳さが必要なのかへの考察

a woman wearing an angel costume

善良なだけでは儲けられない?

視点や切り口を変えると見える物、見え方が変わる物がある。

例えば「善良さ」。

素直で性質が良いとか、穏やかな事、あるいは善性である事だ。

これは、他人からの評価が基本であり、つまり、悪ではない、それは転じて害にならないか、他人の為になる事と定義出来るとする。

商売において善良さを追求する場合、商売の終着点は、どこまで善良に出来るかを考えていく事になる。

サービスや製品の質は、当然良いに越した事はない。

では、値段は?

他人から見た値段は、適正価格である方が良い。

だが、きっと客目線での善良さの行き着く先にあるのは、恐らく無料である。

無料の商品が並んだら質を比べ、質で差が無いなら?

その先には、選んで貰うインセンティブ(報酬)の競い合いが始まる。

選んで貰う為に、より多く与える方が選ばれるわけだ。

しかし、現実は、そうはならない。

確かに、基本プレイ無料のゲームで初回ガチャ100連みたいな物はあるが、何もかもを無料で全部遊ばせる様な物は無い。

これが不可能なのは、善良さを追求するコストを売り手側が払えない事と、払うだけの意味が無い事に起因する。

そもそも、商売は価値を生み出し、それを様々な形で誰かに売って対価を得なけば、継続が出来ない。

継続性が必要だ。

つまり、100%の善良さだけで商売をする事は不可能であり、善良さを感じられる適正価格帯と言うラインの値段で誰かに売る事が前提で、適正価格帯で提供するには、相応のコストを買い手に負担させなければならない。

買い手にコストを負担させる以上、そこにはサービスや製品の制作や提供や品質維持の為のコストを押し付け、更に、売り手側の衣食住の費用も上乗せしなければ、継続が不可能である。

まだ、適正価格で良い物を作って売るなら、それは善良の範疇だと多くの人が感じると思う。

善良さの維持が、八方美人の難しさが顔を出すのは、この先だ。

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「他人の能力増強・パワーアップ・ブースト能力」登場作品特集

man in muscle back view

超優秀な補助役

努力をせずに強くなりたい、努力を越えて強くなりたい。

そんな願いを叶えてくれるのが、この力。

ある意味、理想的なドーピングである。

この記事では、そんな「他人の能力増強・パワーアップ能力」を持ったキャラクターが登場する作品を紹介していく。

なおこの記事では、ゲームのコマンドやバフ/デバフ系の力や、物質強化等は出来るだけ排除する。

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先制攻撃の罪の重さについての考察

man doing boxing

先に手を出した方が確実に悪い

先に何らかの攻撃を相手に加える事は、故意でも偶然でも争いを産み出す。

争いを産み出せば、当然だが反撃がやってくる。

先に手を出した方が悪いのは、非常にわかりやすい。

しかし、世の中、意外と口撃に対する反撃が暴力だと、暴力の方が悪いとする人が一定数いる。

正当防衛でも過剰防衛になれば罪になるのが現在の法律なのだから、その点では一定の納得感もある。

だが、そもそも先制攻撃が無ければ争いが起きない以上、過剰防衛だとしても先に口先だろうと挑発や精神攻撃をした方が悪いに決まっている。

そして、その先制攻撃の非は、過剰防衛を受けたって消える訳では無い。

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AI画像生成が物議を醸す諸々についての考察

すっかり嫌われ者

AI画像生成は登場当初こそ面白く便利な物と歓迎されたが、少し経ったところでマナー違反とか悪意あるユーザーとでも言える一部の人々によって悪評が立ち、その成り立ちが怪しいAIや学習modelも多い事から反対派の絵師も増え、すっかり表立って「AI画像生成を仕事で使っています」とは言えない、言いづらい、そんな状況に。

今回は、この状況を多少色々な切り口から考察する。

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浅く狭くても”理解出来てしまう”事によって思考が止まる事への考察【”完全に分かった”の弊害】

person holding a chalk in front of the chalk board

思考を停める一番の方法は、一度理解させてしまう事

人は、理解出来そうな物が理解出来ないと、自然と理解しようと努める。

ミステリーやクイズが1ジャンルとして広く強く愛されるのは、謎を提示され、答えを解き明かしたり示される事に快感さえも感じるからである。

理解が到底及ばないと感じると、人は理解を諦める。

理解促進の切欠になる、とっかかりが自分の内に無いと、そもそも理解しようと言う気にさえならない。

日本語でクイズを出されるのと、超マイナー言語でクイズを出されるのでは、問題の内容が同じでも日本語話者の謎への食いつきに大きな差が生まれるだろう。

人は、理解出来そうな事に対して、理解しようと言う性質を持っている。

この分かりそうな事を解き明かし、理解したいと言うエネルギーは非常に強い。

しかし、この理解したいと言うエネルギーは、一度理解出来たと感じてしまうと、それが浅く狭い結論でも、仮に間違った答えだとしても、理解したいと言うエネルギーは失われ、それ以上の理解の促進を停止させてしまうと言う性質も同時に持つ。

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創作の客観視点を磨かないと、知識や技術を自身に反映出来ないと言う話【良い先生が良い創作も出来るとは限らない】

close up photo of an eye green and white eye

客観視点に持ち込む難しさ

創作する際、主観と客観、両方の視点を持つ事が重要となってくる。

創作者の主観とは、こういうのが作りたい、こういうのが好き等の個人的な感情や感覚を根拠にした物に寄った視点。

一方で創作者の客観とは、一般的にどうか、読者・視聴者的にどうか等の事実や論理を根拠にした物に寄った視点。

この片方にだけ寄り過ぎると、もう片方に寄った必要な視点が抜け落ち、創作にギャンブル性が増していく。

安定させるには、バランスよく両方が必要十分にある事が肝心となる。

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「ペドフィリア差別反対」論争を眺めて【差別問題?表現問題?】

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正に平行線だが

X(元Twitter)で、何スタートかは知らないが「ペドフィリア差別反対」なるワードの影響で、ペドフィリアがトレンド入りした。

ペドフィリアとは、狭義には11歳から13歳程度の年齢層の子供に性的興奮を覚える、性的指向の事だ。

だが、恐らくSNS上で使っている人の大半は、ロリコンのヤバいヤツぐらいの感覚で使っている人が殆どだと思われる(なんとなく予想)。

そんなペドフィリアを、わざわざ差別反対なんて言っている主張が目立ち、それに対して「ペドなんて犯罪やろ」って意見である種の炎上をし、それに対してペドフィリア(小児性愛者)とチャイルド・マレスター(小児性犯罪者)は分けるべきと言う論が出て、それに対して更に、ペドフィリアも十分害悪と言う意見が飛び交い、それに対して差別主義者と言う意見が飛びと、各人が自己の結論ありきで意見をルール無用にぶつけ合う不毛空間が生まれ「これこそTwitter」と言う空気で包まれている。

双方が144文字なり、勢いのある短文で応酬しているが、双方が自分は正しいと感じ、相手が間違っていると断じていて、誰もが相手を論破するのに夢中と言う状況は、色々な意見が見える意味では面白く、シリアスな内容でも噛み合わない様は、物によっては滑稽ですらあった。

今回は、そんな論争を眺めて面白かったと言う話。

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なぜ学んでも身につかない・上達しない事があるのかについて

books piled up on the table

本を読んでも教えられても習っても上達しない事があるのは、なぜ?

専門書や教科書を買って読破したり、学校や教室に通った。

その筈なのに、なぜか習った事が出来ない。

それは、なぜか?

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